手製の銃弾が残したもの
2022/12/28
1 銃による暗殺
2022年(令和4年)と言う年を締めくくる上でどうしても外せない話題がある。
今年7月、まさに日本では考えられない暗殺事件が起きた。
殺害されたのが元首相であると言う衝撃も強かったが、多くの人は、日本では歴史上初となる「銃」による凶行というキーワードに震撼したと思う。
しかし、私は、そこに付け加えられていた「手製の銃」という言葉が興味深かった。
当時警護を担当していた奈良県警は、各方面から散々に非難を浴びていたが、私は日本と言う国の治安の高さを強く感じていた。テレビや映画では簡単に手に入るコルトやトカレフはどうしたんだろう?
自衛隊経験のあった山上容疑者(なぜか異例の長さの拘留が続き公判が始まっていないので、容疑者のまま)は、なんらかの経験上、この国においては、どのようなルートを使用したにしても、「銃」を入手した者は官憲にマークされることを悟っていたのではないだろうか?
実際、私の知る限り、カタギの人間が個人レベルで銃を使った犯罪の歴史上、その銃は、正規のルートにより実名で入手したものか、事前に盗難に会っていて、官憲の探索中だったものしかない(暴力団や過激派のような組織的なものは別である)。
銃を買う金がなかった?いや彼は、花火からかき集めた火薬を乾燥させるだけのためにワンルームを借りている。
それにしても凄まじい執念だ。今時花火師でもやらない硝酸アンモニウム等からの火薬の配合といい、不足分を花火の微量な火薬をかき集めるなど、想像を絶する根気と気の遠くなる時間をかけて、彼は、何度も何度も、憎んでも憎んでも憎みきれない仇を殺し続けたのだろう。怨恨もここまで来れば天晴れというべきかも。
いずれにしても、銃による暗殺と聞いて、「日本も物騒な国になったものだ。」と感じている人達は、そんなに不安を感じる必要はない。こんなケースはおそらく相当稀有なもので、日本の銃刀法の規制は十分に機能しており、治安だけは他国に自慢できる国であることについては変わりない。
ただ、それは、銃刀法という武器に対するものだけであって、山上容疑者がこの事件によって投げかけた、宗教団体や詐欺集団から、無辜の市民が安全に守られているかというと難しいところがある。
そして、そのような集団と手を組んで議席にありついている政治家が山ほど居て、その悪事が見過ごされていた可能性があると言うおぞましい事実は、強烈なインパクトを与えたと言えよう。
正々堂々と宣戦布告をせず、無予告に行われる暗殺やテロリズムは、卑劣なものだ。
そのような違法行為によって社会に変化が起きることは、法治国家においては、決して認められない事態なのだが、山上容疑者の行為は、結果的にリクルート・ロッキード並みの激震を起こし、社会に大きな変化を起こした。それは、山上容疑者が、容易に手に入るサバイバルナイフではなく「銃」を使用したからである。
確かに接近戦を望めない状況から「銃」を選択することはわからないでもない。しかし、積年の怨嗟を積み重ね完成させたその銃の殺傷力は、クロスボー(ボーガン)程度、いやそれ以下だっただろう。暗殺が成功したのは、サバイバルナイフでも殺せるほどの距離に接近できたからに過ぎない。
この山上という人物、実は優秀な進学校を出ている。殺害はたまたま上手く行っただけのこと、彼の狙いは、「銃」による襲撃そのものであったように考えるのは私だけだろうか?そして、世間に訴えたかったのは、統一教会の非道だけだったのだろうか?彼が花火から丹念に火薬を抜き取り、床に均等に敷き詰め乾燥させる姿を想像すると、彼ほどの知者がその程度の目的に突き動かされていたようには思えないのである。
すなわち、ターゲットは最初から、安倍元首相であったのではないだろうかと考えられるのである。
2 バチが当たるは誹謗中傷?
アベノミクスが始まる前夜、株投資の損失が繰り越せる税制改正が有った。長い低金利に痺れを切らし、株の投資に走る人が増えていたが、いかんせんまったく儲からない。繰越損失は、数百万から2〜3千万円に膨れている人も居た。ところが、アベノミクスが始まると、株価は高騰し、その莫大な赤字が全部消えて黒字にひっくり返る「黒転」という現象をたくさん見たときは、安定政権の重要性を強く感じた。
もともと、護憲派の私は強硬な改憲派である安倍首相とは相容れない立ち位置にあるのだが、思想が違うからといって、善政を行っている首相を非難することはない。従って当初は、彼の政策を強く支持していた。
しかし、森友学園騒動辺りから少々雲行き怪しくなってきた。
そして、その疑念は、自殺した近畿財務局職員、赤木俊夫さんとその遺族に対しての対応を見て確信に変わった。
誰が彼を自殺に追い込んだのか?改ざんを命じた上司でしょう?
そんな簡単なことか!?
例え、安倍元首相や昭恵夫人が直接関与していないにしても、歴代一位の在任期間によって出来上がってしまった忖度という闇に対して、行政府の長として、彼は赤木さんとその遺族に詫びるべきであった。
「権力は腐敗する。」19世紀の英国の歴史学者ジョン・アクトン卿の言葉だが、権力は長期化するほど腐敗するものである。韓非子は、孤憤編で、君主そのものより、取り巻きの重臣やその部下(重人(じゅうじん)と名付けている)の行為こそ注意が必要であると語っている。プーチンや習近平の政権が延命されるのは、実はこのような既得権益を握った重人の謀略かもしれない。
行政の長たるものは、己を律するなど当然のことで、部下の行動を十分に監視し、不備あらば責任を負ってこそ長と言えるのである。よく、任命責任などというくだらない責任を追求している暇な政治家が多いが、私は未来まで予想しろとは言わない。ただ、その部下が起こした不祥事によって生じた損失や痛みを補填することは望む。
在任中はいろいろ事情があろうと思い我慢していたが、コロナ対応でやりたいことがしにくくなってきた途端に政権を投げ出した時は、「もういいだろう?赤木さんの墓前に線香でもあげに行け。」と考えていた。ちなみに妻の雅子さんは、麻生(当時)財務大臣には、弔問を願ったというが、これも無視されたという。
この頃から、私は公然と「彼はいずれバチが当たる。早く赤木さんの墓前に挨拶に行くべきだ。」と言ってはばからなくなった。
昨年の岸田氏が当選した総裁選でも、「えらい元気やないか?」と言いたくなるほど、だんじりの大工方のように、跳ね、跳び回っていた。
その裏で、あんないかがわしい宗教団体の応援を大々的にして、もう時代劇に出てくる悪代官、いや悪将軍だ。さらに、先日の岸田総理の会見で知ったが、11月15日の投稿「日朝国交回復」で取り上げた、防衛費引き上げ案の立案者も安倍元総理だそうではないか?そういえば、「拉致問題」を国民に刷り込むのに一番熱心だったのは、あの人だったな。もうこうなると、国家反逆罪だ。でもって、「国葬」だって。岸田さんもバチが当たるかもしれないね。
外交では評価されているようだが、自分の国を売って良いのなら、私でもそれなりの成果を挙げられる。歴代最長政権?第一次の時は、「お友達内閣」と揶揄されることに耐えかねて、おなか壊して投げ出したの覚えている?調子の良い時だけ総理の席に座って、都合が悪くなると体調を崩す。総理大臣なんて命を削る職務だ。私だったら、毎日一瓶の薬を飲んで続けるね。体調不良で部下に大事な局面を押し付けたような人間が、総裁選で裏工作しているのを、なんで周りは文句言わないのかねえ。長期政権の腐敗ぶりは相当なもんだよ。
死んだ人の悪口を言ってはいけない?その言葉って前から気になっていたが、何の論拠があるんだ?
死んだ人にそれほどの尊厳があるのなら、赤木さんのファイルはなぜ公表されない。
国民は気持ちの悪い統一教会ばかりを敵に回しているが、山上容疑者が開いたドアはそれだけではない。もし、私の勘ぐりが正しくて、彼の目的が、この国を蝕む重人の腐敗を知らしめることも含まれていたとしたら、今後の裁判は慎重に行われなければならない。我々は、強い関心を持って彼の真の狙いを突き止めるべきである。
部下の不祥事について責任を取るのは、行政の長の務め。しかし、政治の腐敗を質せないのはこの国の最高権力者である我々国民の責任である。
ゴッホの代表作「ひまわり」は、全部で7作有る。その由来は、彼が新進気鋭の画家達を集めて新しいコミュニティーを創ろうと企てたが、結成の日参集してくれたのは、ゴーギャンただ一人だった。それでも、彼は、その感動を忘れられず、参集者を迎え入れるべく、集会(予定)場を飾っていたひまわりを描き続けたと言われている。
掲載した7作分の3は、実は戦災で消失し、徳島の大塚美術館が再現したものだ。枯れ、朽ち果てて7作の中で最も醜い。にもかかわらず、私は7作の中で最も好きだ。なぜなら、ゴッホが表層の美しさより、感動こそが絵画にのみ許された表現であることを証明しているからだ。
残念ながら、彼の作品の意義を最も理解していた弟テオが、画商でもあったにもかかわらず、ゴッホの絵は生前一枚も売れなかったことは有名である。
安倍元首相のことを散々コケ下ろしたが、私の見解としては、彼が、少なくとも私利私欲ではなく、本当に国のことを思って行動する政治家であったことは認めている。彼の行為は、いずれ歴史上正しかったと判断される日が来るかもしれない。
何事も、表層だけで判断してはいけない と言う人もいよう。
しかし、我が国は法治国家である。山上容疑者の行為に如何に正義が存在しようとも、彼は人殺しとして裁かれる。
安倍元首相の不都合な真実の隠蔽工作に加担したものは、悉く罪人であり、その罪は、韓非子が国家の存亡に関わると言った「重人」の罪である。