嫌い のち 大好き (4年 北遥希)
大学4年間のサッカーへの感情を表すなら
「嫌い のち 大好き」
この感情の起伏を4年間の振り返りでお伝えできればと。
NIFS1st 北 遥希(鹿児島中央高校)
好きだから、まだやりたいから、あわよくばサッカーを仕事にしたかったから鹿屋体育大学に入学した。
入学後はいきなり2番目のチーム(NIFS1st)に混ぜてもらったのだが、さっそく衝撃を受けた。
みんな上手すぎる、、、
自分は元から器用なタイプではなく、運動量や球際で勝負するタイプだったが、それでは補えないほどの技術の差。
特に2つ上の先輩方の技術力、サッカーへの厳しい姿勢に圧倒された。
そして、数ヶ月後、3番目のチームで出直してくるように伝えられた。
ただ、まだサッカーを嫌いになんてなってなかったし、好きだった、また這い上がってやろうと。
嫌いになったのはこの後だ。
それは、自分よりサッカーが好きで、サッカーへの熱がある同期の存在に気づいた瞬間。
高校時代まで、自分より上手い選手を見たことがあっても、サッカーへの熱で負けたと感じる人はいなかった。
いわゆる“気持ち”の部分。
“気持ち”だけなら誰にも負けない自信があった。
しかし、コロナ禍で部活が止まっている期間。
本気でプロを目指す同期のストイックな生活、これでもかと真っ暗になるまで自主練に励む姿を前に絶望を覚えた。
例えるなら、いつも満点ばかりだった数学で突然赤点を取ったような気分だろう。
自分にとって絶対の武器が他人の当たり前だったことに、サッカーを続ける資格があるのかとすら考えた。
プロになる人はこういう所から違うんだと。
そこからしばらくは、その劣等感からサッカーを続けているのが苦しかったし、初めてサッカーを嫌いになった。
ところが、引退する時はサッカーをまた大好きになっていたから不思議な話である。
不思議とは言ったものの、その要因は分かってたりする。
それは、どんな苦楽も共にした同期、愛情満載で親しみやすかった先輩方、生意気だけどかわいい後輩達という仲間の存在だ。
青木先生がNIFS1stのことをよく“家族”と言っていた。
勝っても負けても、試合に出ても出なくても、サッカー以上に出会った仲間を大切にしろ。
そういう教えだったと受け止めている。
その“家族”という表現が大好きだったし、“家族”のおかげで続けてこれたし、またサッカーを大好きになれた。
そういった“家族”の支えがあって辿り着いた最終節は、自分にとって忘れられない日に。
当日朝、監督の森さんからキャプテンマークを巻くように指示された。
他にも巻くにふさわしい4年生はいっぱいいた。
そうした中、経緯は分からないが指名して頂き、自分も“家族”に貢献できていた証かなと思うと正直とても嬉しかったし、最後の最後もう一度恩返ししようと90分間戦い抜いた。
結果は引き分けだったが、個人的にはサッカー人生でのベストプレー。
一緒にピッチに立った“家族”もベンチからサポートしてくれた“家族”も、応援で鼓舞してくれた“家族”もみんな最高だなと実感。
このチームでやってきて、この“家族”と出会えて良かったと心から思った日。
4年間続けてきて良かった。
みんなありがとう、ありがとうございました。
全ての人に大感謝。
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