鹿屋に関わる全ての人に幸あれ (4年 吉田真那斗)
引退してはや1週間。
サッカー中心の学生生活も終わり、卒論に追われる日々に怯えながら
いよいよ回ってきました引退ブログ。
今回ブログを担当させていただきます、吉田真那斗です。
これまで色々な想いのこもった引退ブログを読んできました。
みんなのブログを読んでいるだけで、4年間を思い返すし、めっちゃ泣きそうになってます。
自分は何書こうかなって考えてたけど、ありのままの想いを綴ることにしようかなと。
それではいこう。
2023.12.10
試合終了のホイッスルとともに、自分の大学サッカー終了のホイッスルが鳴った。
正直、何も考えられなかった。何も考えたくなかった。
涙を流す同期。肩を落とす後輩たち。
全ての光景を見たとき、泣きそうになった。
でも、強がって泣くのを我慢した。
なんでかは分からない。それでも、なぜか強がっていたかった。
この1年間、自分にとって今まで感じたことないくらいの経験と成長を感じた1年だった。
3月・2024シーズンから横浜F・マリノスへの加入が内定。
4月・J1リーグデビュー、u22日本代表候補選出。
9月〜10月・アジア競技大会u22日本代表選出。
チームの結果としては、
・天皇杯予選準優勝
・九州トーナメント準優勝
・総理大臣杯ベスト16
・国体準優勝
・九州リーグ準優勝
・インカレベスト16
ざっくり出すとこんな感じ。
今年だけでアジア大会含めて、5つも準優勝。
僕、めちゃくちゃシルバーコレクターなんです、、
そろそろゴールド欲しいな。
まあそれは置いといて、
自分でも想像できなかったほどのありがたい経験をこの1年でさせてもらった。
この経験は今後の自分のサッカー人生において、絶対に大きな糧になるはずだし、来年からの大きな自信となるものになった。
しかし、この経験と成長とは裏腹にふと考えたことがあった。
鹿屋のために何か出来ているのか?
この1年間、本当に沢山の経験と成長をすることができた。
それは間違いなく、嬉しいことだしありがたいことだ。
しかし、その分鹿屋を離脱することが多かった。
半年くらいはいなかったんじゃないかな〜。
4月の代表合宿が終わり、帰ってきて1ヶ月後に怪我で離脱。
夏は1ヶ月ほどマリノスに帯同させてもらい、総理大臣杯で戻る直前で怪我をして、総理大臣杯には出れず。
そしてアジア大会から帰ってきて、国体に出場した後、突然サッカーに対しての熱が燃え尽きてしまい、離脱。
振り返ってみると、ほんとに鹿屋で活動してないな。
その間にチームはどんどん「一丸」になっていった。
今だからいうけど正直、すごい居づらかった。
マリノスから帰ってきてもそう、アジア大会から帰ってきてもそう。
みんなとの接し方がわからなくなって、
なんか自分の居場所がない気がして仕方なかった。
みんないじりで(本気かも)、よく「変わったね」って言ってきてくれたけど、その時の自分には相当きてた。
自分ではそんなつもりはないのに、冗談だとわかっているのに、何度も自分で考えた。
時にはむかつくこともあったし、落ち込むこともあった。
理由は簡単だった。
だって、どんな時も鹿屋のことずっと考えてたから。
本気で鹿屋が好きだったから。
普段あんまり見ない練習映像もめっちゃ見てたし、試合前日にはケア室にみんなが集まってそうな時間に電話かけたり。
ついていくのに必死なのに、ふとした時には鹿屋のことを気にしてた。
そのくらい鹿屋で戦いたかった。
みんなともっとサッカーしたかった。
この4年間この大学でサッカーしてきて、間違いなく1番いいチームだった。
そのチームを一緒に俺も創り上げたかった。
そんなふうにずっと心の中で考えていた。
心の底から鹿屋が大好きだった。
サッカーから一度距離を置いた時、正直辛かった。
ただでさえ、いなかったのに。
少しでも長くみんなと時間を過ごしたかった。
みんなといるのがめっちゃ楽しかった。
練習後のダラダラする時間も、練習中も、全ての時間が自分にとってかけがえのない最高の時間だと思ってた。
だから、チームに戻ると決めた時
「鹿屋のために、後輩達のために」
これしか考えてなかった。
必ず何かを残して終えたい、その一心で闘おうと思った。
でも現実はそう甘くはなかった。
志半ばで、長かった旅は終わりを迎えた。
ほとんどいなかった自分に何か残せたかはわからない。
ただ本気でそう思っていた。
果たして何か残せたのかな、何か残せてたらいいな。
時を今に戻そう。
そんな今年1年間の想いもあって、あそこで自分は強がったのかもしれない。
最後くらいキャプテンマークを巻いた責任を果たしたかったのかもしれない。
色々言ってきたが、それでも後悔はない。
目標にしてた「日本一」に届かなかったけど。
だってみんなが1年間本気で取り組んできたの知ってるから。
俺も取り組んできたつもりだし。
多くのものを犠牲にして、きつい練習も苦しい状況でもみんなで踏ん張って、「一丸」となって乗り越えて。
最高に濃い時間をみんなで創り上げてきたはずだ。
だからみんなで胸を張ろう。
本当に最高のチームだった!
みんなとサッカーできて幸せだった、ありがとう。
後輩達へ
生意気でガキみたいなやつが沢山いたけど、最後まで一緒に戦ってくれてありがとう。
みつを中心としたほとんど俺以外の4年生が率いたチームだったけど、キャプテンマークを巻いてピッチに立った時は自分を信頼してくれて、自分についてきてくれてありがとう。
厳しいことを言ったこともあったし、先輩らしくないところもあったと思う。
ほんとは何か言われるのが怖い人間だから、言いたくなかった。
でも、絶対みんなならできると思って、心を鬼にして言ってた。
その分、必ず引っ張っていく強い覚悟を持ってプレーした。
だから、もっといい景色を見せてあげたかった。
勝たせられなくて、見せてあげられなくてごめん。
その景色は来年以降、自分たちで見に行ってくれ。
みんななら必ずやれるから、そのくらいのポテンシャルあるから。
今年のチーム以上のチームを創って、必ず日本一になってくれ。
1st、2ndのみんなは、なかなか関われなかったと思う。
それでもいつもホーム戦の時、最高の雰囲気を作ってくれてありがとう。
3つのチームで鹿屋体育大学サッカー部だから、全員で最高の部を作り上げてな。
そして、ここでの時間をめちゃくちゃ大切にしてほしい。
それが絶対みんなの大きな財産になるから。
同期へ
個性が強すぎて色々あったけど、みんなとだったからどんなことも乗り越えられたし、最高に楽しい4年間を過ごすことができた。本当にありがとう!
みんなの支えがあったから俺はプロになれたと思ってる。
みんなの頑張りが俺を成長させてくれたし、奮い立たせてくれた。
これからはそれぞれ色んな道に進んでいくと思う。
それぞれの道で頑張っていこう!
時間があったら試合見にきてね、もちろん俺のユニフォーム着て!
そして必ず何年後かにみんなで集まって、また語り合おう。
みんなと同期で本当によかった!同期最高!
最後に
鹿屋にきたことは自分の人生において、最高な決断だったと思う。
選手としてはもちろん、人としても大きく成長することができた。
最初は、何もなくて先が不安だなと思っていたけど、
今となっては、第2の故郷だと胸を張って言える。
正直、ここでは語りきれないほどの想いがあるけどこれだけは断言できる。
鹿屋での4年間は人生の宝物。
鹿屋体育大学にきて心の底からよかった。
これから自分は次のステージ、プロの舞台へと進んでいきます。
みんなが自分とサッカーしたことを多くの人に誇れる、自慢できるくらい飛躍します。
応援よろしくお願いします!
最後になりますが、
鹿屋体育大学を支えてくださるスポンサーの方々、これまで応援してくださった父母の方々やファンの方々、本当にありがとうございました。
皆さんの応援、支えがあってここまで成長することができましたし、どんなに苦しい時にも最後まで戦い抜くことができました。
これからは自分が恩返しをする番です。
皆さんに良い報告ができるように日々精進していきます!
また、鹿屋体育大学の歩みはこれからも続いていきます。
必ず皆さんの期待に応えてくれるはずです。
これからも鹿屋体育大学の応援をよろしくお願いします!
そしてこれからは自分も鹿屋体育大学サッカー部のファンとして、サポーターとして全力で応援していきたいと思います!
本当に鹿屋体育大学にきてよかったです!
4年間ありがとうございました!
最高の4年間でした!!
鹿屋に関わる全ての人に幸あれ。
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