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ものは思いよう(4年 砂川悠馬)
スポーツ総合課程 211060 砂川悠馬(今治西高校)
最近、同期の中でCUTIE STREETが大流行していますが、どちらかというとFRUITS ZIPPER派であることを言えずにいる砂川悠馬です。
このような“自分を出す”ブログや日記は苦手で、読めたものになるのか一抹の不安はありますが、寝坊だらけの4年間の大学生活で感じたありのままを書いてみようと思います。拙い文章であると思いますが、温かい気持ちで一読していただけると幸いです。
鹿屋体育大学には、入学前の入学試験から思い出がある。強風の中でのリフティング、現役大学生とのポゼッショントレーニング、大雨の中でのシャトルラン、潤の指の負傷による途中離脱と色々あった。そして入学することが決まり、愛媛から鹿児島に行くことが不安であった反面、わくわくする気持ちがあった。
大学に入学してすぐカテゴリー分けの試合があった。入試勉強に専念していたことなどもあり、全く思うように動くことはできなかったが、それなりに頑張ったような気がする。試合が終わった後、健と尊の3人でボールを蹴っていると、自分を除いた2人が青木先生に呼ばれて1stに参加することになった。大学に入学して早々挫折を経験した。しばらくしたら、健が左足のキックが蹴れないということで2ndに戻ってきた。
そんなことがありながら2ndからスタートした。上のカテゴリーに上がれなかった悔しさもあり、入れ替えのタイミングで上に行くことができるように頑張った。ありがたいことに多くの試合に出場することができた。だけど、思うような結果を残すことはできなかった。個人成績は1得点。人間としてもまだまだ未熟で、先輩方にはかなり迷惑をかけてしまった。その節は本当にすみませんでした。
1年生の時は移動手段が原付だった。雄偉、紘都の3人で原付で走っている時に紘都がいなくなって、2人で探しに行ったら、ジーンズに穴を空けて、血だらけで原付に乗っていたのが今では懐かしい話。血だらけなのにすごい笑顔だったね。そりゃ朝4時に目も覚めるし、人の家の玄関で・・・。これ以上はやめておきます。
2年生では1stで活動した。4年間を振り返って最も充実した1年間だった。それと同時に最も体力的にきつかった1年間でもあった。青木先生という大黒柱を中心に全員が一致団結し、家族のような温かさがあった。このような雰囲気、チーム作りができた青木先生の凄さが、指導者の経験を経た今は身に染みて感じる。チームは開幕から好調で、自分自身も出場時間は2試合も出てないぐらいであったが、2得点2アシストの結果を残すことができた。練習では、火・水曜日に走りなど体力的にきついメニューがあり、どうにかして休めないかと休む理由ばかり探していたような気がする。だけど、なんやかんやで全部頑張った気がする。1番きつかったメニューは、朝練でのフルコート4対4があったメニュー。あれは吐きそうだった。元樹くんグラウンドに吐いてたよね?あ、あれはまた別の二日酔いの日か。
1年生の時と大きく違ったのは県外に遠征に行くことが多くなったことだ。出場機会は少なかったものの、嬉しいことにほとんどの遠征に帯同することができた。その行く先々でよく一緒に散歩したのが、24時間のうち15時間以上を風呂と睡眠に費やしている尊だ。福岡の繁華街、沖縄の国際通り、大分の温泉などいろんなところに行くことができた。尊のおかげで遠征に行くことも楽しかった。
3年生でも1stで活動した。ほとんどの人が知らないだろうが、実は1stのキャプテンだった。特段素晴らしいプレイヤーでもなかったが、なぜかそうなってしまった。やると決めたからには頑張ろうと最初は意気込んでいたが、全く持ってうまくいかなかった。何をしたらいいのかがわからなかった。何が原因でうまくいっていないのかもわからなかった。自分だけがチームから取り残されているような感覚になった。でも、サッカーだけでも頑張ろうと思った。新しいメンバーが加わり、その数週間後にアウェーで試合があった。自分は勝手にメンバーに入るとなんとなく思っていた。だけど、メンバーの中に自分の名前は無かった。メンバーは移動するその日に伝えられたため、選ばれた人たちはホームで行われていた別のカテゴリーの応援を途中で抜けていった。練習内容の出来具合は悪くはなかったから余計に悔しかった。惨めで悔しい気持ちの中、応援するのはきつかった。そこから、あまり記憶にない。練習も試合も覚えてない。そして、いつだったか忘れたがホーム戦の日の朝、ベッドから起きれなかった。初めて仮病を使った。身体がどんなにきついときでも、病気やけがでない限りは休んだことが無かったが、初めて嘘をついて休んだ。それからしばらく休みをもらって徐々に回復し、改めて頑張ってみたが、結果に結びつくこともなく、心が追い付かなくなった。このシーズンでサッカーをやめようと6月ぐらいに決めた気がする。ちなみにこの年の出場時間は1試合とちょっと。そのうち1試合はリーグ最終戦の残留が決まった状態。情けをかけて出してもらった試合。キャプテンマークなんてもしかしたら1回も巻いたことない。そりゃ金髪坊主にもしちゃうよね。
翌年からは2ndの学生スタッフとして活動した。高井先生のご厚意もあり、メインスタッフとしてトレーニング内容から試合の指揮までさせてもらえることになった。初めての経験だったが、チーム状況は良く、初戦から連勝続きで勢いは止まらず・・・とかだったら良かったんだけどね。結論から言うと地獄だった。まず初陣、5バックという保守的で地味なサッカーをした挙句敗戦。これには様々な方から大バッシング。続いて練習で走らせすぎと選手からの信頼を無くす。公式戦も負け続きでお先真っ暗。負けすぎて試合前は吐き気がすることも多々。ほんとに残留できてなかったら立ち直れなかった。ただ、言わせほしい。わたのチョンボ、ゆういのオフサイド疑惑、ゆうさくのヘディング、PK戦とか色々なかったりあったりしたらほとんど勝ってるんじゃない?1年目にしてはかなり良い結果じゃん!冗談です。ほんとに反省してます。もっとみんなのことを信頼して、もっとチャレンジすればよかった。守りに入ってしまうことが多いように感じた。挑戦し続けることが大切であることを学ぶことができた。
2ndのみんなにはかなり苦労をかけたし、不満も多い中で最後まで戦ってくれたことに感謝しかないです。特に、あんじをはじめとした3年生には、自分の足りない部分を支えてもらいました。1・2年生もフレッシュなパワーでチームに活気と熱を与えてくれました。最後、残留に導けたのはみんなの力そのものだと思います。本当にありがとうございました。
また、塩川先生、青木先生、高井先生、村川先生、隅野先生、鹿屋体育大学サッカー部に関わる皆さん、4年間本当にありがとうございました。皆様の尽力なサポートのおかげで、大好きなサッカーととことん向き合うことができた4年間でした。皆様のお力添えが無ければ、このような充実した環境は得ることができなかったと思います。今までありがとうございました。
そして同期のみんな。まずは、ありがとう。小学生みたいな年上、部屋が汚いのにイケメン、身長が高ければイケメン、小学生みたいな小学生、ウッディみたいなウッディなど個性豊かなメンバーで胃もたれします。でも、みんなとサッカーする時間、だらだらとくだらない話をする時間、一緒にご飯を食べてる時間、ゲームをしている時間、どの時間も色濃く思い出として残っています。振り返るとこんなに長い時間を共にしているのに、あっという間に過ぎていったように感じます。進む道も過ごす場所も散り散りになってしまいますが、これからもみんなとの繋がりはそのままでありたいです。本当にありがとう。
最後に、お父さん、お母さん。様々なところで支えてくれてありがとう。自分が1番追い込まれている時に優しくしてくれてありがとう。餓死してないかとご飯を送ってくれてありがとう。頻繁に連絡をくれてありがとう。おかげさまでたくさんのことを学ぶことができました。たくさんの失敗と成功を経験することができました。たくさん2人からもらうことができました。今まで受けた恩をこれから少しずつ返していけるように頑張ります。今までありがとう。これからもよろしくね。
長々とたくさんのことを書かせていただきました。
この4年間で挫折と成功、指導方法、リーダーとしての在り方、NT・・・と色々な経験をすることができました。その中でも、私が得たことは
「ものは思いよう」
ということ。大学で学んだことを胸に、良いことも悪いことも謙虚にポジティブに捉えていこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。大学生活で100回以上見たこの言葉で締めたいと思います。
長文失礼いたしました。
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