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二千年後の君へ (4年 田嶋悠希)

こんにちは。
今回ブログを担当する4年の田嶋悠希です。
トップチームでもない人のブログなんて読む人いないだろうという楽な気持ちで書いていきます。それでも読みに来てくださった方、ありがとうございます。長い分になりますので心して読んでください。

先日、4年間NIFS2ndに所属した自分もついに引退をすることになりました。今まで生活の一部のようにしてきたサッカーをやめるというのにまだ実感が湧いていないのが現実です。今まで苦労したこととしては、地元の友人に「たじまはどこのチームにいるの?」と聞かれた時に「2nd」と言うと語弊が生まれるため、「1番下のチーム」と答えることでした。

でもそう答えている自分に1番下のチームだから「ダメだ」とか「意味無い」という感情は全くありませんでした。1番下のチームでも1番上手くなって見返してやろうって気持ちは心の底にはありました。さすがに4年も在籍していると何回か上のチームに上がるチャンスは訪れますが、自分は2ndでやり切り、2ndで結果を残したいと思い2ndに残ることを決意しました。これから2ndで活動する後輩には、2ndでもやれば戦えるようになることを証明したかったです。

大学サッカー4年間を振り返ると、終わってみればあっという間でした。しかし、その時々の気持ちを思い出してみると、ここに書ききれないくらい気持ちの変動は大きく、充実したサッカー生活だったのだなと深く実感できています。その支えになっていたのは、指導者や仲間はもちろんですが、やはり家族の存在だと思います。

父は、どこにそんな時間があるのかってくらい毎試合自分の試合を見に来てくれていました。「最近どう?」っていきなり連絡来る時はいつも自分は返信に困っていました。そんな父を尊敬しているところもあります。自分が「自分大きな怪我した事ないよね」と話すと、「強く産んでくれたお母さんに感謝しろよ」や、成人で集まった地元の親子での飲み会で自分がジャンケンに勝って貰った商品券を父にプレゼントすると、後から「これお母さんにあげな」といつも母がいたから、母のおかげと言っています。
中学校の最後のクラブユースの帰りの車、自分が脳震盪の関係で試合に出られずチームは負け、父から母が泣いていたことをこっそり告げられ堪らず大号泣した自分を母には何も言わず肩を寄せてくれたことは一生忘れません。

母は常に心配性でいつも自分を心配してくれている印象があります。一人暮らしを初めてから台風が来る度に連絡くれたり、感染症が流行り始めたら連絡くれたりと、とにかく心配性です。しかし、基本的には自由に生きさせてくれる母でした。特に勉強しろとかやかましいことも言って来ない母なので適当なのかなと思っていました。でも高校三者面談のときに、自分がサッカーで大学に行きたい気持ちを話していると、当然そこまで安定しない目標に対して先生は反対気味でした。母は「高校でも私立に行ってサッカーをしたいところを公立高校に行かせたので大学では思いっきりさせてあげたいんです」と。もう泣きそうですよ、これ聞いたら。今でも母の手料理は1番好きな味なんですよね。卵焼きを少しでもそれっぽく作ってもやっぱりあの味には到底及びません。

両親について語り始めたら長くなってしまいました。こんな機会なかなか無いのでお許しください。
後輩もみんなかわいい人ばかりです。これからも鹿屋体育大学サッカー部の応援よろしくお願いします!

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