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2025.2.14『愛や自由は飾りじゃない』

日記です。

他者に迷惑をかけないで生きるという事について考える。

幼い頃に「人に迷惑をかけてはいけません」と教わる子どもは多いと思う。「誰かが嫌な思いをすることはしません」と。
その行動と気持ちは道徳的な配慮であり、絶対的なルールでは無い、はず。だって人は誰しも何かしらに迷惑をかけなければ生きていけない。ただ、故意的な迷惑はやめよう。わざとはダメだよって。

じゃあわざとじゃ無ければ許されるのか。
それでも許さなければいけないのか。
そう考える、人に迷惑をかけないで生きられる人はいるだろう。

楽しみにしていた我が子の発表会で、同じクラスの障害を持つ子が奇声をあげていたら、がっかりする気持ちは生まれないのだろうか。
助け合いと譲り合いと優しさと、そういう柔らかな感情に救われる事を、当たり前に甘受することが出来ない。いっそネガティブな感情を向けられた方が楽だ。

仕方がないことなら許さなければならないと、感じさせることが申し訳ない。迷惑をかけてしまい申し訳ない。帰り道、子を後ろに乗せて自転車を走らせながら泣いてしまった。世界はこんなにも優しい人が多い。優しい人に我慢をさせることが辛くてたまらない。

多分きっと、逆の立場なら(そんなの気にしなくていいのに。きっと楽しかったんだろうね。大丈夫だよ。一緒に出られてよかったね)
一連の流れを見て、微笑ましくも感じるだろう。

きっと私だけが必要以上に罪悪感を感じ、惨めになっているだけだ。それって全方向に失礼なのに。

優しくなりたい。迷惑をかけて辛いと泣くのではなく、広く広く多くに。他者にも、元気な人にもそうでない人にも、わかる人にも分からない人にも、家族にも自分にも。優しくなりたい。愛するということ。甘えではなく覚悟を持って、優しくありたい。

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