大学時代
前回、暗黒過ぎた高校時代について書いたが暗黒時代はまだまだ続く。
死んだ魚の目をして人生で最高潮にブサイクな私は、第一志望の大学に落ちて第二志望の大学に進むこととなる。
いわゆる福祉系である。私は両親が共働きだったため90%は同居してた父方の祖母に育てられた。優しくて面倒見がよくて、料理上手のばあちゃんが大好きだったし、その時代は福祉が全盛期であった為就職に困らないだろうという単純な理由。
ここでも主体性のなさを発揮。一見、個性的かつセンスありに見せかけて全然面白みがない人間。その頃の自分によく考えろよ。と言いたい。
大学時代の話に戻る。
その時代、ゆずが一斉を風靡し、私の3人できた大学の友人も漏れなくゆずファンでありギターを弾いておりました。
3人は優しい女子達でした。私の誕生日に自作の曲をプレゼントしてくれた。確か私が初カレと破局して死んでたから元気づけようとしてくれたんだった気がする。
授業は、というとほぼサボってカラオケに行っていた記憶。何も身に付かず。他の3人中2人は知らぬ間に適度に勉強していたらしく資格も現役合格してた。
私はというと結構必死にダイエットしメイクを覚え、二十歳にして初めての彼氏をゲットしていた。走り屋だった。笑 峠とかサーキットに着いて行ってた事思い出した。笑 それが全てだった。
めでたく二十歳で恋愛依存症発症。いわゆる重たい女。男が逃げたくなる、絶対追いたいと思わない女。
大学はどうにか卒業したが、恋愛以外どうでもよくて大学も好きではなかったから卒業式も袴とか着るわけなくスーツで参加。本当かわいくない。
この頃から家にほぼ帰らず、彼氏の家に押しかけ女房。そりゃ重くて振られるよね。
要するに大学時代、私の頭は彼氏一色であり友達はその次。親なんかほぼ眼中にない。むしろそれが普通くらいの認識でいた気がする。親もなんも言ってこなかったし。言えなかったのか、興味がなかったのか。
改めて振り返ると自分がいかにズレていたかわかって恥ずかしくなってくる。そんな風だから友達とは卒業後いつの間にか疎遠になり今はLINEすら繋がってない。
この頃弟も高3にして精神を病んだ。それすらも私は関係ない、と見て見ぬフリしてた。恋愛依存性だから。
恋愛依存性は極端にいうなら2年前妊娠するまで完治しなかった。怖い。