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#2 日替わり思想
今日の僕と、昨日の僕、考えることも、感じることも、日替わりだ。
そのときどきの「自分」がどんなフェーズにいるかによって、考えていることや感じることが変わる。
いや、実際にはどれも心のどこかで存在している思想なんだけど、それが表面に浮かび上がってくるタイミングに波がある、そんな感覚だ。
少し漠然とした始まりだけれど、これは自分の「作曲家としての思想」についての話。僕の思想やスタンスは日々揺れる。まさに日替わり思想。日替わりスタンス。時には分替わりだったり、週替わりだったりもする。
作曲家、というすみっこ生物
僕は作曲家という、広い世界の中でひっそり存在する生物。そういう周りになかなかいない人種だからか、よく質問をされる。
「どんな曲を作ってるの?」
──現代音楽です。あまり聞いたことがないかもしれませんが。
「作詞もするの?」
──基本しません。そもそも歌の業界ではないです。“基本”。
「どこかで曲聴けるの?」
──YouTubeで検索すれば、いくつか出てくると思いますよ。
そして、かなりの頻度で聞かれる質問がこれ。
「普段何考えてるの?」
いや、これ、何を期待されているんだろう?
「今日の晩ごはん何にしようかな」とか、「この後の予定なんだっけ」とか、「今日の金ローはラピュタだ〜」とか、作曲家ではない人と大差ないことを考えているよ。
でも確かに、作曲家ならではの思考もある…気がしなくもない。
ただ、これはあくまで僕個人の話。他の作曲家がどうかは知らない。
という前提で、僕のある日の思考を少しだけ覗いてみてほしい。
とある日の思考①
自分が作曲家として、どんな作風で、どんな立ち位置で、どんなルーツを持っていて、どんなビジョンがあるのか。
そういった「柱」をしっかり自分の中に持つべきだ。作曲家として存在する以上は。
作風について言えば、純度100%のアカデミック寄りではなく、ポップスやジャズの影響を受けたタイプだ。
ルーツ?それはたぶんオタク気質とサブカル好きな性格。(これがルーツと言えるのかはさておき。)
自分の系譜はどこになるのだろう?しっかり考えないといけない。
作曲家たるもの、自分の中に評価基準と社会との距離感を持っていなければならない。
とある日の思考②
「系譜?社会的評価?自分ではわからん!聴いてくれた人と、欲を言えば評論が専門の方とで考えてくれ!
僕は、ただそのとき面白いと思った音楽を作るんだ!」
ええ、まるで躁鬱状態。
前者が「うつ状態」だとしたら、こちらは「躁状態」だ。
深層心理常駐の天使と悪魔
きっと僕の深層心理の中では、どちらも本心なのだろう。
「自分のスタンスをしっかり考えなければ」という思いと、
「そんなことより面白いものを作ればいいじゃないか」という思い。
単に、その時々の体調、精神状態、忙しさの波によって、どちらが優勢になるかが変わるだけだと思う。
躁鬱というか、なんというか…天使と悪魔?(は?)
他人と自分の二面性
でもこういう二面性って、たぶん誰にでもあるんじゃないだろうか。
白か黒か、常に一定の意見を持ち続けている人なんて、いないと思う。
そして、意見や思想が揺れることは、悪いことではないと思っている。むしろ、そういった他人の揺れる部分を見るのが、僕はすごく好きだ。
その危うさがあまりに人間くさくて、とても愛おしく思えてしまう。
人ラブ!人ラブ!人ラブ!(元ネタには触れない)
だけど、自分の揺れる部分は、とても気持ち悪く感じる。
他人に対しては「愛おしい」と思えるのに、自分に対しては「嫌悪感」が湧く。
ちょっと前まで逆のこと考えてたのに。そのときの僕は、別の僕なのか…!?という感じというか。自分の思想も、貫き通せないのか!?というか。とりあえずものすごく、嫌い、自分のことになると。
あ、でもこれも、もしかしたら日替わりの感覚なのかもしれない。
まとめ
結局のところ、僕は日替わりスタンスで生きている。
作曲家としての方向性やビジョン、世の中との関係を真剣に考える日もあれば、何も考えずに面白いことだけを追いかける日もある。
どちらが正しいかなんてわからないし、どちらも僕の一部なのだろう。
自分の二面性に悩む日もあるけれど、きっとこれからも僕は、この日替わり思想、日替わりスタンスを引きずりながら、音楽を作っていくのだと思う。
小噺
今回のヘッダーというか、サムネというか。
実際に私が書いてる曲の下書きです。なんの曲の下書きだっけな。