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起こることはすべて"最幸"へのサイン

ふと、取り出して見つめる
財布の内ポケットに
永く大切にしまった
50年ほど前の
古い一枚の写真。

私が5歳のとき、
父は末期ガンで
この世を去った。
46歳だった。

亡くなる数日前、
父が入院していた大学病院の中庭。

秋の夕日に優しく照らされ
目を細めながら微笑む幼い私を膝に乗せ、
パジャマの上からも見てとれる
弱々しく細い両腕で抱きしめる父との
色褪せた写真だ。

父はどんな想いで
レンズを見つめていただろう。
母はどんな想いで
シャッターを切っただろう。

とめどなく涙が頬をつたう。

と、同時に思う。
特別、経済的に裕福でも
人の羨む存在ではなくても、
心身ともに幸せに満ち足りた
感謝の念に溢れる私が
いま、ここに在ることは
確かだと。

父の死から30年経ち
母が旅立った。
仕事帰りの自転車に乗ったまま
病で倒れた。
突然の病院からの知らせだった。

「2人は(当時4歳・2歳の私の娘と息子)元気?
今日、会いたいよ」と
2時間前に電話で話していたよね?

私が出産してから、
母は父の分まで
これまでの時間を取り戻すかのように
一生分の愛を
孫に注いでくれた。

その"任務を終えた"という
神様からの
知らせだったのかもしれない。
(これはペットや植物の死も同じだそう)

辛く険しい幼少の頃からの道のり
数々の挫折
星が見えない孤独な夜…

さまざまななシーンが蘇る。

…でも、大丈夫。

数え切れないほどの
辛い経験も
起きたことは一つひとつ、
すべてがここに繋がっていたのは
不思議なほどに
明らかだ。

50年の長い月日をかけて、
あなたが私を
ここに導いてくれた。

そしていまの私自身、
当時逆境の中にいた
私に言える。

「最幸の私が待っているよ。
だから恐れず
自分の本心に従って
生きればいい。」

私はいま、
心から思える。
最高に幸せだと。

だから今度は私が、
この地球で
いまを懸命に生きるいのちを
光へと導く一助となる。

自分が自分を生き切ることが、
亡くなった人(動物や植物)への
一番の供養になるのだ。

安心してね。

私は愛の世界へと、
みんなとともに
歩んでいくから。

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