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"ありのままの自分"でいい?"ありのままのあなた"がいい!


"ありのままのあなた(自分)"でいい

このフレーズは
いまや、
この世に溢れてる。


自己否定や自己犠牲に
陥ってしまった…
そんなとき、
心に響き、温かく癒す
説得力溢れる
心地良いフレーズだ。

いや、でも…⁈

… もし、
たとえば夢があったとして…
一歩踏み出す勇気が自分に無ければ、
少しの努力も行動もせず
いまの自分のまま、
いつまでも変わらない
自分でもいい…

そういうコトにもなるのか?

何かモヤっとするけど…

でもその方が…
不安要素に悩むことなく、
何となくこの先も楽そうだし、
今、とりあえずはやり過ごせてるから、
挑戦するの、
一旦やめとこうかな……


心のどこかで、
踏み出そうとするごとに
向かい風の冷たさと
恐れを抱き続けてきた自分を、
そんな思考と感情が
表面的に慰め、肯定する瞬間も
あるだろう。




ところであなたは、
すべてを完璧にこなそうと
日々、
神経の摩耗を繰り返していないか?

仕事やコミュニティなど、
自分が身を置く場所において、
モノゴトが自分の力量で
最大限うまく回るように。
次の日も、
皆が心地よく動けるように、と。

そうやって
自己犠牲を繰り返し、
いつの間にかそれが、
人間不信、そして自己否定へと
悪循環を起こしていないだろうか?

そんな流れで、
人間関係にまで躓き
疲労困憊極限状態に陥ることも
あるかもしれない。

そんなときは、
静かに自分を内観してみるといい。

自分はいま、
何に対して
神経を尖らせているのか?
それは何に起因するのか?

同時に、
事象(相手)についても
掘り下げてみよう。
あの言動の裏には、
どんな思いやこれまでの経験が
あったのだろう…?
と。

さらにどんどん掘り下げていくと、
"相手も自分と同じ部分がある"と
見えてくることがある。

例えば、"他人に認められたい"欲求。

そんな奥深い部分に
共通する気づきを得たりする。
人は誰しも、
承認欲求は少なからず
持ち合わせているものだ。

そして、相手も同じように
頑張っていたのかもしれない。

そう理解出来ると、
だんだんと、少しずつ、
相手が愛おしく
思えてくるから不思議だ。

過去の辛い出来事も
オセロをひっくり返したように
180度変わって見えてくる。

逆に、
他人を羨ましいと感じるとき、
それは自分にも
その素質があるということ。
人から学びを得ようと、
自然と行動を起こし、
没頭する…
それが心地よく感じられるのなら、
努力とか根性とやらとは違う。
我を忘れるほど本心を生きる、
いわゆる"ゾーン"状態だ。


総じて突き詰めると、
事象(相手)は自分の鏡。
すべては自分、
現実は"わたし"の投影なのだ。


完璧主義は手放そう。



すべて=ジグソーパズル
に例えると、
"わたし"と"他者"は
パズルのピースともいえる。

ピースは一つひとつ形が違う。
"わたし"がいないとパズルは完成しないし、
"他者"がいなくても完成しない。

あなたに"不得意"があるとするならば、
それは他の誰かの"得意"な部分でもあり、
その誰かが輝く場所となる。

そして、その逆も。
もう、あなたはすでに輝いている。
輝きを放ち続けているのだ。

あなたの存在は、
誰にも在り得ない
唯一無二なるもの。

そのように、
個々の尊いパズルがピタリとはまり、
すべてが一体となり
大いなるひとつの愛と
成るのだ。



無理に自分を変える必要は
何一つとして無い。

自分の得意なこと、
本心からやりたいことに
とことんエネルギーを投じていこう。

その喜びに溢れたエネルギーは、
やがて周りのパズルにも伝播し、
皆が喜びに満ちるのだ。
やがて、
愛と調和の世界へと
染み渡っていく。

それこそが、
私たちがこの星に
生まれた意味、
魂の願いなのだ。




だから……
自分を諦めてはいけない。
本心に従い、
愛と感謝で歩みを進めれば
自ずと道は拓けてくる。


行こう。
この地球という星を楽しみ尽くす
ありのままの光の旅へ


"ありのままの自分"でいい。
"ありのままのあなた"がいい。


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