散文 20240801

昨晩、床についてからずっと泣いていた。一度目が濡れてしまったらもう歯止めが効かなくて、布団を噛んで嗚咽を堪えた。ねこの死を考えたのだった。

わたしの大切なねこは、ほぼ間違いなくわたしより先に死ぬ。どんなに頑張っても、あと二十年だろう。二十年後、ねこは死ぬ。介護が必要になるかもしれない、認知症になってわたしを忘れるかもしれない。それでもいい、と言えるほど、わたしとねこは十分な時間を過ごしていない。でもわたしはいま、ねこのことが愛おしくて、その柔らかさをずっと抱きしめていたい。
どうか、ずっと一緒にいてほしい。どうか、長生きしてほしい。化け物と呼ばれる存在になってもいい、ずっと生きていてほしい。そのわがままで、わたしを困らせてほしい。わたしの腕のなかのこの温かないのちが、わたしよりも先に消えてしまうなんて、そんなことは言わないでほしい。ずっと一緒にいてほしい。大好きで、たいせつだから。
でも、わたしの寿命を分け与える代わりにねこが長生きできるとしたら、わたしは躊躇うと思う。ねこは、大切だ。大好きでたいせつで、愛おしいいのちだ。でも多分、わたしの人生のいちばんでない。
わたしは、人間が好きではない、人間のいのちが好きではなくて、その存在に薄っすら絶望している。そんなわたしが、手元にあるねこの命を尊ぶことは、矛盾しているのだろうか。考える。わからないけど、わたしは生きているだけで少しの罪悪感がある。

先日、会社の飲み会があった。格式ばったものではなく、仲の良いメンバーの集まりだった。そのなかで、参加者の女性に恋人がいること、さらにその恋人が別の部署の知人であるこを知ったかたが言った。ふたりの子どもは身長が高くなりそうだね。
駄目なのだ。一番嫌な言い方だ。勝手にひとの子どもを連想することの、何が許されうるのかわからない。わたしは元々、その発言をした方が好きだった。良識があり、周囲の意見を拾いながら良い方向に物事を進めることができる人だと思っていた。でも、一気に許せなくなってしまった。
場の話はそのまま展開していったけど、わたしはこっそり当事者の彼女に、結婚なんてしなくていいよ!寂しいから!と言った。お節介厄介ババアになろうと思ったのだ。彼女のためではなくて、そういう風に言いたかっただけだ、わたしが。彼女は曖昧にフフフと笑っていて、多分本当にお節介だったのだろうと思ったけど、でもわたしは、そういう風にしたかった。

前の項は、飲酒後に書いた。お酒なんて大嫌いだよ。本当に。法律で禁止してほしい。

法律で禁止されていることは、もちろんやらない。どうしてダメなんですか、なんてことは聞かない。そういうことに決まってるから、でわたしにとっては十分だ。酒を飲むこと、筋トレをサボること、間食をすること、全部法律で禁じてほしい。そうしたらわたしは頑張って、最終的には多分犯罪者になる。ダメじゃん。

言わなくてもいいことをわざわざ言う(あるいは書く)人が苦手だ。言わなくてもいいこと、というのはわたしの主観だが、それを言うことで誰かに気を遣わせたり、自分の預かり知らぬところで誰かを傷つけたり、そういうことが本当に嫌で、わたしはインターネットで文章を書くときに幾重にも予防線を張りたくなる。でも「言わなくてもいいことをわざわざ言う」ことはきっと悪いことばかりではなくて、そういうあけすけさが誰かに愛されたりするのだと思う。だからこそ、自分にはできない「言わなくてもいいことをわざわざ言う」ことができる人に対する嫉妬や羨望があるのかもしれない。わたしにはできない、と思うので。
翻って、わたしは飲酒した自分が好きではない。余計なことを言って後悔するから。簡単に人を傷つけたりするから。酒に酔ったわたしはとても面白いが、その面白さは諸刃の剣だ。自分に対する評価が高すぎるかもしれない。それはごめん。

先日、「生きづらさ」をテーマにした小説を読んだ。生きづらさって本当にこの世界に蔓延していて、一種の現代病だよなと思う。苦しさやつらさや、そういう負の感情は個人の中でのみ評価されるべきで、誰かのそれと比べて決められるものではないと考えている。ので、他人が勝手に誰かの苦しみを規定することはできないし、わたしは絶対に個々人のそれを否定したくない。傍から見れば幸福そのもので恵まれた環境にあるひとが苦しいと言っていたとしても、それはそのまま受け取るべきだと思う。
だけどわたしは、生きづらいと感じていない。めちゃくちゃ生きやすい。生きづらいと零す人は多くいるが、全然生きやすいっすよ問題ないっすよ、と言う人間は少ない。わざわざ言う必要がないからだろうか。まあそうだろうな。

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