散文 20240703
やりたいことが多くて、大変だ。本を読んでゲームをしてアニメを観てねこと遊んで料理をしてパフェを食べに行きたい。すごい、すべて今の自分の快楽のためだ。将来の自分のため、あるいは後世の人間のために投資できる人を尊敬する。そして劣等感がある。人生をとても刹那的に捉えている心が奥底にあるから、何かのために頑張ろうという気持ちが全く沸かない。将来の自分がどうなろうとも良い、というわけではなく、自分ひとりの人生であればこのままでも何とかなると思っている。そして、わたしが死んだ翌日に日本が沈没しても、世界がめちゃくちゃになっても、正直なところ別に構わない。わたしは自分のことだけがとても大切だ。これが素直な気持ちだし、みんなも本当はそうじゃないのかな。違うとしたらそれは、本当にすごいことだと思う。
でも最近、漸く見知らぬ子どもを慈しむ気持ちが生まれてきた。わたしは子どもが、というか人間があまり好きではなく、大抵の人間のことが薄っすら嫌いだ。個々人の人間性とか所業とかそういう表層的なものが原因ではなくて、人間といういきものに苛立つのだ。子どもも同じく人間であるので好きではない。が、好きではないという気持ちと、慈しみたい、健やかであってほしいという願い(というのも烏滸がましいほどかすかな光のようなもの)は決して矛盾しない。その気持ちが同居して良いということを漸く認められたような気がする。わたしはかつて自分が生まれてこなければ良かったと思ってしまったから、やはり出生を自分の身で考えたときに肯定的には捉えられないけれど、でもだからこそこの世に生まれてきた(きてしまった)人間たちはなるべく苦しまないほうが良いに決まっている。幸せで、温かで、前向きで、そういうほうが良いに決まっている。わたしがそうでありたいように。すごくシンプルなことだった。
思春期の麻疹で、十代から二十代前半にかけて自傷癖があった。麻疹と呼ぶにしては長く続いて、本当にくだらないことをしたと今となっては思う。それで、今でもわたしの腕には傷跡が残っているわけだが、齢三十を過ぎてそれがどうでも良くなってきた。かつてはレーザー治療のカウンセリングを受けたこともあったが、値段が張る割には綺麗には治らないと聞いて諦めたのだった。まあでも、もう良いや。うーん、もう良いや……。
連想ゲームで書いているので、万人受けしなさそうな、誰かを無差別に傷つけるような、そんな話題が続いてしまった。閑話休題、何か違う話。
大好きな漫画が完結してしまう。少し前からもう終わる……もうすぐ終わってしまう……と言い続けていたが、ついに本当に終わるらしい。かなりおろおろしている。この数年、毎週末その作品のことを考える生活を送ってきていた。それが終わるとなると、自分がどうなるのかわからない。人生が変わる、とまで大袈裟なことは言わないが、趣味や男の好みやその他色々は捻じ曲げられた作品である。すごく寂しい。終わらないでほしい。でも、終わらないこと、終われないことのほうが圧倒的に悲劇であるとは思うので、こうやって惜しまれながら完結を迎えられることが嬉しくもある。でも悲しい……悲しいと思ってしまうことを許してほしいし、完結したあとに暴れることも見守ってほしい。
まだ歩いているか? ギリギリ、歩いている、と言えるくらいには歩いている。先月は九回歩いたらしい。一回3キロ歩いているから、合計30キロ弱。それなりに頑張っていると思う。春、本当に重くて大変だったのだが、それよりは1.5キロほど減ったようだ。嬉しい。当時あまりにも重すぎたのが原因で、現状まだ許せる体重に戻ったというだけなのだが、それでも自分の身体をコントロールできたということに誇らしい気持ちになる。十年前は今よりも更に6キロ軽かったはずなので、そこまで戻そうとは思っていないが、あと2キロほど減ったら嬉しいなと思っている。頑張るぞ。応援していてください。
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