(75)スキマ時間
須藤さんはとにかくいつもとても忙しくて、
彼からの連絡を待っていたら、ゆっくりとしたふたりきりのデートはいつまでもできそうにない。
だから、彼が旅の仕事から新幹線で帰ってくるタイミングで、
東京駅に迎えにいこう、と思いついた。
迎えにいく、というと彼は遠慮するとおもったので、
「東京駅に用事があるので、タイミングが合えば一緒に帰りましょう」
と伝えた。
須藤さんは、「会えたらいいですね」と、駅に着く時間を教えてくれた。
夕方、彼が東京駅に着く時間に合わせて出かけた。
東京駅に何の用事だったの、と聞かれたときのために、東京駅のデパートでしか買えない限定スイーツを買った。
ここまでやるなんて、本当にバカみたいだけれど、でも、須藤さんのスキマ時間をゲットするためには、こんなやり方しかなかった。
新幹線の改札で彼を待つじかんは、わたしにとっては、とても満ち足りたじかんだった。
駅に着いた旅帰りの彼とほがらかに合流して、中央線に乗った。
わたしは、このほんの30分の移動時間の、ふたりのひとときを楽しみに東京駅まで行ったのだ。本当に、それだけでいい。(長旅帰りで疲れている須藤さんに、それ以上はまったく期待していない。)
中央線にふたりで揺られて、
須藤さんの旅の話を聞きながら、あっという間に駅に着いてしまった。
いつもの最寄り駅ではなくて、その隣りの駅。
彼がその"隣りの駅"を選んだのは、もしかしたら、いつもの最寄り駅だと、二人並んで歩くと知り合いに会って怪しまれてしまうかも、と考えたのかもしれない。
駅を降りて、歩き出す。
須藤さんの家の前まで一緒に歩けたら、あと20分くらいは一緒にいられる。
それだけで、うれしい。
並んで歩きながら、須藤さんが、
「少しだけ飲んで帰りましょうか」
と言い出した。
わたしにとっては、期待していなかった分、めちゃくちゃうれしい申し出だ。
じゃあ、一杯だけ、と、ふたりで、通りの居酒屋にふらりと寄ることに(ふたりともはじめてのお店)。
そのお店に入るなり、知り合いに会ってしまった。
わたしたちがよく行くお店のマスターのシュウさんがひとりで飲んでいた。
わたしたちの最寄りの駅前のバーのマスターで、マリともしっかり繋がっている人。
(隣りの駅を選んだけれど、結局、こういう偶然に巻き込まれる)
シュウさんはわたしたちふたりの登場に驚きつつ、せっかくなので、と、3人で飲むことになった。
わたしたちがなぜふたりでいるかなんて、とくに詮索しないところが大人だ。
(けれども、翌日マリと会うと言っていたので、わたしと須藤さんがふたりで現れたことは彼女に気軽に伝えるかもしれない)
3人でしばらく飲んで、須藤さんが「俺はそろそろ帰ります」と言い出して、お開きになった。
ふたりきりではなかったけれど、楽しい時間だった。
須藤さんのそばにいるだけで、彼の笑顔をみるだけで、うれしい。
その夜は、須藤さんの家の前までふたりで歩いた。
夜道を歩きながら彼は、
「気がかりがある」
とつぶやいた。
「それは重めのことですか」
と返すと、
「重め」
と、悲しそうな顔をした。
たぶん、家族のことで、なにか悲しいことが起きているのだろう。
深くは、聞かなかった。
別れ際に須藤さんは大事そうにわたしを抱きしめて、
「ありがとう、楽しかった」
と笑顔で言った。
そのひとことで、
今日は、無理矢理なスキマ時間ゲットのやり方だったかもしれないけれど、
じぶんの心に従って行ってよかったな、と思った。
須藤さんの重めの悲しいことに、心だけでも寄り添えたらいいのにな、と思いつつ。