直線的世界と円環世界の狭間を生きる―『この茫漠たる荒野で』"NEWS OF THE WORLD"
*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、ビジョンクリエーター生成
*この論考には映画『この茫漠たる荒野で』"NEWS OF THE WORLD"のネタバレが含まれる。
新聞を読み聞かせることで生計を立てる、トム・ハンクスが演じる主人公のジェファソン・カイル・キッド大尉は、読み書きの出来ない人々や新聞を読む暇のない人々のために世の中の出来事を伝える。彼が主催する集会には多くの人々が集まり、行政や立法の情報から鉄路の敷設計画、小さな町の笑い話など、街の人々が多岐にわたる話題を共有する場となる。
南北戦争終結後のテキサスにおいて、州議会は合衆国憲法修正第十三~十五条の受け入れを命ぜられる。その大統領令を発したユリシーズ・S・グラント大統領の名前が出た途端、殺気立つ聴衆が「テキサス第一」「修正条項なんざクソ食らえ」「北部の金持ちのために汗と血を垂らしてるんじゃねぇぞ」と罵り出す。北軍兵が発言に対する警告を発して事態が険悪になるが、ジェファソンは「皆が苦しんでいます」と言って場を収める。彼は街を渡り歩いて見聞きしたことを「困難の時代」と表現し、北軍の兵士と揉めたところで、それは数ある難題にまた一つ難題が増えることでしかないと説く。こうして人々の苦しみを分かち合い、ジェファソンの集会は人々に課題を認識させて前に進むよう促す機能を果たす。妻の死を受け入れることが出来ない彼は、こうして故郷を避けつつ街から街へ渡り歩く。
折しもレッドリバーの戦いが終結し、ネイティヴアメリカンが居留地への移動を余儀なくされる時期に、ジェファソンは検問所に送り届けられるはずだった少女のジョハンナ(シカダ)に出会う。カイオワ語を話す彼女を送り届けるはずだった黒人の御者は吊され、指令書と共に取り残された少女は、六年前に起きたカイオワ族の襲撃によって家族を殺され、カイオワ族に育てられたが、レッドリバーの戦いで育ての親も失っていた。ジェファソンはジョハンナを検問所へ連れて行くが、インディアン担当官が不在で、彼が戻るまで三ヶ月待つかジョハンナの叔父母が住むカストロヴィルへ彼女を連れて行くかの二択を迫られ、連れて行くことにする。
ジェファソンは忍耐強くジョハンナを見守る。彼の持ち物を漁るジョハンナに対し、手に持っている物の名前を言い、話しかける。そしてジョハンナは、警戒しつつ、ジェファソンの様子を窺う。ジェファソンの妻の写真を手にした時に見せた彼のぎこちなさを見逃さず、注意深く観察する。
こうして壮年期にさしかかった男と少女の奇妙な関係が始まる。
ダラスに着いたジェファソンは旧知のガネット夫人を訪ね、奇遇にもカイオワ語を話す彼女の通訳でジョハンナと意思疎通を図るのだが、ダラスで開いた集会に参加した無法者にジョハンナが目を付けられ、人身売買を持ちかけられる。激怒するジェファソンはジョハンナを連れてダラスを離脱するが、無法者の三人が跡を追い、生き延びるために協力する二人は何とか三人を始末する。そしてジョハンナはジェファソンを信頼しはじめ、交流が始まる。
カイオワ語と英語で物の名前を言い合う中で、ジョハンナはジェファソンに「ドム(大地)」と「パン(空)」が円を描き「ドコドン(精霊に抱かれる)」と伝える。しかしジェファソンは「我々はむしろ直線で物事を考える」と言う。神が世界を創り、全ての出来事は予め決められ、最後の審判が下されるというキリスト教的世界観は直線的であり、この世の出来事が円環の中で生起するカイオワの世界観とはかけ離れている。
南北戦争従軍中に故郷の妻がコレラで命を落とし、戦争の血生臭さや惨たらしさに身をさらしたジェファソンは、自分の成したことの罪深さにおののき、従軍したことを呪いと言い、妻が命を落とした理由を「神の裁き」と捉え、過去を忘却して前に進もうとする。
しかし実の父母を失い、育ての親をも失ったジョハンナは「前に進むために思い出す」と言う。殺戮の起きた生家に一人で入り、出てきた彼女は過去の記憶を取り戻して“Mama, Papa, tot?”(ママ、パパ、死んだ?)とドイツ語でジェファソンに確認する。
このジョハンナの一連の行動に促されるように、ジェファソンはジョハンナを彼女の叔父母夫婦に送り届けた後、長年避け続けていたサンアントニオに帰郷する。幼馴染みのウィリーとの会話で、ウィリーはジェファソンが見舞われた悲劇は神の呪いでも裁きでもないと諭す。「我々は生き、彼女(ジェファソンの妻)は死んだ」という事実の提示に留めるウィリーは、望んで従軍した訳ではなく、戦争における人間のおぞましさを認識するジェファソンに対し、ただ向き合っていくしかないと伝える。そして妻の墓を訪れるジェファソンは、指輪とペンダントを墓に供え、向き合えなかった過去を乗り越えてジョハンナの元へと戻るのだ。
ジェファソンは非常に忍耐強くある。検問所で雑貨店を営むボウドリン夫妻の内、ボウドリン氏はカイオワの衣装を着るジョハンナに対して気味悪がる素振りを隠さず、ボウドリン夫人は抵抗するジョハンナに無理矢理洋服を着せる。ボウドリン夫妻は凡庸な良い人々と言えるが、異質な存在に対する接し方が分からず、理解出来ない相手を警戒するか自分たちの作法を押しつけるようにしか振る舞えない。ジョハンナの叔父母であるリオンバーガー夫妻も、リオンバーガー氏はジョハンナが働かないと言って不機嫌であり、夫人は「逃げる」という理由でジョハンナの足に縄を結いつけ杭に繋ぎ留める。人手が足りず自給自足の生活をするカストロヴィルでは、意思疎通も儘ならない子どもを養っていく余裕は無い。
そのような所にジョハンナを置き去りにしてしまったジェファソンは、自分の間違いを認め、ジョハンナを連れていくことにする。そこで彼は、無理矢理ジョハンナを連れていくのではなく、彼女が自ら納得して彼に抱きつくまで、彼女がどうするか決める時間を尊重し、待つ。ダラスでガネット夫人に「子どもの面倒を見る必要もなかったし、忍耐もない」と言ったジェファソンは、子どもを尊重するが故にジョハンナの信頼を得て、彼女とウィリーのお陰で自らの過去を乗り越えてゆく。
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