【物語の現場002】備中守の屋敷もあった東京駅丸の内駅前広場周辺(写真)
「融女寛好」の第五章から登場する阿部備中守。阿部家(備後福山藩)の上屋敷は、写真の左側、新丸ビルの辺りにあったようです。
江戸時代、登城する大名は、大手門か桔梗門を使っていました。阿部屋敷からは桔梗門の方が若干近いでしょうか。いずれにせよ、古地図を見れば、この地域には、代々老中や若年寄を務めた譜代の名門の上屋敷がずらりと並んでいます。備中守とは、そういう家の人です。写真は近くのビルの屋上庭園から(東京都千代田区、2022.12.20撮影)。