VTuberに沼があると言われ「いやいやまさかそんな・・・」と思って視聴を続けた元プランナーの末路
今から書かれるお話は、たぶんここNoteでも他に誰かが書いているであろう一般的な話なんですけども、個人的な整理として書き起こしたいと思います。
Vには沼がある
「VTuberは沼になっている」
僕がそんな噂話を聞いたのは、たしか1年とちょっと前だったと思う。
その頃僕は、まあまあ四天王とよばれる配信者は追いかけず、You Tube自体もそこまで入れ込んでみているわけではありませんでした。
ただ在宅業務が増えたことで、業務中You Tubeほか何らかのメディアを流しっぱなしにすることが増えた頃でもありました。
そしてある日、僕はYou Tubeのいろんな配信者にハマっている友人に聞いたのです。
「誰かおすすめいる?」
すると彼は、早口でまくしたてるように今推している配信者のことをべらべらと喋りました。誰が良いとかアレが面白いとか、あまりにも情報量が多くて個人名は、すぐ「うんうんうんうん」とシャットダウンしちゃってよく覚えていないのですが、その中にはVTuberもまじっていました。その最後の言葉として覚えていたのは「VTuberって沼になっているんだよ」でした。
「はあ、そうなんだ?ふーん」
個人的には切り抜きがうざいと思っていたので、VTuberを特に追いかけていませんでした。ただ改めて誰々が良いよ、と言われたときに、1時間とか2時間を集中してみることはありえないので、結局切り抜きから、なんとなく見始めるわけですね。
Vっていうとキャラデザインはいいものもあるけど、でも中身はどうだろう? どうせ作られた人格でギリギリ痛々しい配信をやってるんでしょう?みたいな、ちょっと斜めに見るわけです(実際には、ライバーで未だにキャラをつくって痛々しい人はもう逆にレアで、魂にじみ出ちゃってる人間臭い連中の集まりなのですが、それはまた別の話)。
まあまあまあまあそうして──
「この人トークおもしろい」
「この人歌うまいなあ」
「この人ゲームうまいな」
「お笑いの神様おりてきた」
とかとかで見ていくわけです。
で、そうして見終わって落ち着いていたのです。この手の配信というのは一個人一個人を断片的に追いかけるものになるのだろう、と思っていたのです。
しかし、それは大きな間違いでした。
実は僕は複数の配信者を横断的に追いかけたことで、すでに沼にハマっていたのです。
気づいたときにはもう手遅れでした。
視聴者を沼に引きずり込むある行為
僕は、個人的にVTuberという配信業がここまで市場として広がった理由について、とある一つの確信を持っています。
そこにはある活動行為が強く関係していると思っています。
それは「コラボ」です。
コラボというと、生身のYouTuberもやっているものではありますが、細かく見ていくとVTuberにおけるコラボというのは、YouTuberのそれよりもいろいろとメリットが多いものとなっています。
まず配信環境的な話でいうと、VTuberはコラボする際に、生身で会うことなく、一緒にいる状態を演出できたりします。これは配信の手軽さにつながります。
リアルなYouTuberは生身なので、番組としてはどうしても会うことを求められちゃうんですよね。
それからコラボレーションというのは、当たり前にお互いのフォロワーをシェアし、また新たなファンを獲得するための手段になるものです。これはVTuberもYouTuberもメリットとしては同じですね。
ただまあ、VTuberの沼というものを考えた時、実はこのコラボの役割──大事な機能というのは、ちょっと別のところに発生しています。
配信コラボレーションのヤバいところ
VTuberにおけるコラボ配信の肝──それはピン配信だとどうしても隠れがちな、「中の人のキャラクターの意外な一面が他者によって暴かれる機会が生まれる」という機能が一つ、そしてもう一つが「出来上がった他ライバーとの関係性自体がコンテンツになる」という所にあります。
これが、初期VTuber四天王とかでは感じ取りにくかったコンテンツとしての深み広がりを、現行のVTuberという存在に与えることになった。
何がそんなに重要であるのか個別に解説します。
キャラクターを暴く機会を生み出す
まず「中の人のキャラクターの意外な一面が他者によって暴かれる機会が生まれる」についでですが、これはそもそもの話VTuberって、表情が二次元で、声だけなのでノンバーバルコミュニケーションにおける情報量が圧倒的に少ないんですよね。
だから正直なところ第一印象でキャラクターを把握することが非常に難しい。設定によってはわざわざ魂を隠すためにキャラ作ってきたりするしね。だから、人となりを把握するというのが、ソロ配信を一時間みてもなお難しいのです。さらに興味がない配信を一時間みることが難しい。
そのわからない部分の情報がコラボをすることによって、他者からのツッコミややりとりによって、補われるんですね。コレが大きい。実はアイツはドジっ子だたとか、実はあいつはポンだったとか、実はアイツは対人コミュ力お化けだったとか、色々判明するのです。
コラボレーションは、登場人物の人となりを発見するアクシデントの連続になっていて、それがいろんなものを浮き彫りにしてくれるんですね。
出来上がった関係自体がコンテンツになる
で、2つ目の「出来上がった他ライバーとの関係性自体がコンテンツになる」についてですが、人間ってやつは他者とからめば上下関係もうまれるし、ボケ担当とツッコミ担当に分かれるように出来ています。
それによって生まれた力関係は、そのままキャラクターコンテンツになるんですね。
それはある種の恋愛関係であってもそうですし、ライバル関係でもそう。ゲームを通しての勝負、あるいは協調、敵対、愛憎、それらすべてが、二次元のガワでもってコンテンツになるっていう。
もちろんリアルYouTuberでも、髪の毛が二色にわかれている人と炎上系配信者のプロレスみたいなものはあるんですが、二次元だとそれが二次元であるがゆえに、関係性コンテンツが生々しくならないので良いというメリットもあったりね。
現象としては──
AさんがBさんを好きであるとか、CさんがDさんの後輩であるとか、BさんとCさんが寝落ちモチモチしたから、Aさんがそれにブチ切れるとか、だからAさんはDさんを寝取った風のプロレスをしかけたとか、あるいは別箱ではEさんとFさんが、義務カップル的なコンテンツになって、それを軸にEさんの箱と界隈自体がもりあがるとか、いろいろな関係性が生まれ、キャラが暴かれ、無限にコンテンツを生み出してくるのです。ついでにそれが切り抜きによってタイムスタンプとして残る、と。
で、そこから、じゃあAさんとEさんが絡んだらどうだとか、BさんとHさんがコラボするけどどうなるんだろう、とかいろいろ追いかけ始めるわけです。
これがもう本当に沼を作り出すんですよね。VTuber界隈の沼というのは、そういう話だったのです。
ええ、沼があると知らされてから、ハマった状況に気づいたのは3か月後くらいだったですかね。
で沼
で、今も沼をさまよっています。
底なしというよりは、足はつくんですけど、広いんですよこの沼。
そして陸に上がることもできるんですけど、結局また暇なときに入りに来ちゃうんですよね、この沼。
温泉みたいなものかもしれません。効能も多分あると思うんですよ、このV沼ってやつは。
沼ガイドブックまである始末。