日記、または高校時代の私の話
社会人だが、高校時代のノートに落書きをしている。新しいノートを買う金も時間も惜しい。そのくせ書くことはたくさんある。板書を追うだけのノートには意外と空白が多い。そんなわけで、私は国語の文章題や数学の解法の隙間にイラストやらアニメの考察を書く。後で読み返すことができればいいので、こういうのは滅多にインターネット上に晒さない。
今日開いたのは数列の応用問題のページだった。等差×等比がどうとか、群数列がどうとかいうことらしい。何か書きたいな、と思ったが書くことも特になかったので、今日は数列問題の解法を解説する文章を書くことにした。こうすれば、高校生の自分のことが分かる気がした。
高校生の自分が何を考えていたか、あまり思い出せなかった。何をしていたかは思い出せる。絵を描いていた。物語を作っていた。勉強をしていた。学校の手前にある急な坂道を登るために自転車を押していた。朝早くに家を出て、できるだけ早く家に帰るようにした。そうしなければ門限に間に合わなかった。
どれだけ自分の行動を思い出しても、思想が思い出せなかった。代わりに、思い出せない理由が大きく二つあることを思い出した。一つは中学卒業後に『若さだ青春だ貴重な時間だ』と言われている高校生活を全てドブに捨ててみたらどうなるのだろう、と興味本位で考え、実行したこと。もう一つは大学時代に過去の嫌な記憶をできるだけ忘れようとしたこと。つまり、そういうことだった。
今、ノートに等差数列の和と等比数列の和についての簡単な解説を添えた。後で読み返すことができればいいと言ったが、それにしても字が汚い。もっとなんかこう、あるだろ。具体的に"どう"かは分からないが……高校生の私はどう思う?
私は課題を解こうとする人間を笑わない。
それならよかった。
なんとなくだが、高校時代の自分は学校や家庭といった社会的なものから積極的に距離を取ろうとしていたような気がする。それが指すものは、孤立。人間は孤立したとき何を考えるのだろう?漸化式の中に答えはない。ここにあるのは、知りたいという私の欲求だ。
昔からずっと変わらない。自分がどこかに、あるいは何かに向かおうとする指向力は昔からずっと変わっていない。変わっていない、はずだ。高校時代の記憶の欠落を見つけるまで断言はできない。
……なんで数列の問題を解きながら指向の話を?自分は相当数学が好きなんだろうということは分かったけど、この話は創作の中ですることになっている。だから日記はここで終わりだ。
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