見出し画像

怪我をして復帰して感じたこと

よくnoteを見ますが、初めての投稿です。
私は青森出身の22歳。社会人4年目のどこにでもいそうな青春を捨てきれない市民ランナーです。

私は10.20の東京レガシーハーフマラソンに出場しました。
運良く一般エントリーで当たった私は当時(7月)、怪我をしていました。
2024.6.5の知り合いの自主練に参加後、6.16にある3000mSCの大会に向けてハードル練習を行っていました。
自主練後、競技場内はナイターとは言え暗い状況の中でのハードリング練習。
私は某メーカーのモンスターなシューズを履いて練習しました。
着地時、左足が曲がってはいけない方向にぐにゃりと。曲がりました。
直ぐに練習を中断し、競技場内にあった氷でアイシングを作り冷やして競技場を後にしました。
自宅に着いたのも22時頃でお風呂を済ませ、湿布を貼って就寝しました。

2024.6.6 私の左足は関節が見えませんでした。
起きてベットから降りて仕事の支度をしようとしましたが痛すぎて立てませんでした。
職場に昨夜のアクシデントを伝え、医療機関への受診の旨を伝え休みを頂きました。

電話を終えた頃には私は泣いていました。
というのも、6.16の大会後7.5~7.7の期間中に地元の青森県の県選手権に出場してとある大会の標準記録を突破する計画を立てていましたがそれがこの怪我によっておじゃんになったからです。
その日のうちに【左足関節捻挫、靭帯損傷】という診断を受け、3週間から1ヶ月の間ギブスを着用し運動を控えるように医師から言われました。

私の10年間の陸上競技人生において初めての怪我でした。
そこで考えました。
一回怪我を治すまで走らずにいたらどれくらい復帰に時間がかかるのだろうか。

私の周りには大小関係なく、怪我やコンディション不良を抱えながらも鍛錬に打ち込む仲間がいました。一度も怪我をしたことのなかった私からすると【休めよ、怪我してていいパフォーマンス出せるわけないだろ】と思っていたので、いざ怪我をしてみて実際のところどうなのかこの際、ハッキリさせようと思いました。
とはいえ、少しの可能性を信じて7月の県選手権に望みをかけていた私はまず、病院へ行きギブスを着用しました。そうすることで走りたくても強制的に走れない環境を構築できると考えました。
7月末まで約1ヶ月間、ギブスをつけていましたがこんなに日常が不便と感じたのは初めでした🤣

ギブスの大きさのあまりサンダルはLLを履いていました。

ギブス着用中は生き残っている右足で感覚のトレーニングを行きつけの接骨院の先生と行いました。
今までは走る動作の仕組みを何一つ知らずにやって来ていたので、【互動法】という考え方をレクチャーされました。
※お金を払ってお稽古を受けているので詳しくは載せれません😓

怪我の最中も左足の怪我に負担をかけないトレーニングを1ヶ月行い、ギブスを外してからも左足関節の可動域を戻すトレーニング、右足で行った動きを左足にも反映させるトレーニングを週に一回、接骨院に通い行いました。

ようやく走れるようになったのは8月からです。
その少し前の7月末には、お世話になっている練習会の有志による長野県東御市の、湯の丸高原にて合宿を行いました。
私は、主にサポートに徹しましたが隙間時間でスロージョグを行い、走ることへの不安を少しずつ払拭することが出来ました。

一回目の湯の丸合宿はカメラマンが主でした📸

8月以降、ジョギングを中心に怪我シーズン中出来なかった土台作りをテーマに走りました。
とはいえ、ギブスを外して以降左足の動きが極度に悪かったので走る頻度は中々上がらず月間走行距離は114kmでした。
接骨院のトレーナーの先生とも話を重ねて、10月のレガシーをひとつの復帰レースにしようと決めました。

9月から、職場の配置が変わったこともありランニングの頻度をあげることが出来ました。
それでもジョギングで基礎を固めて土曜日に練習会でポイントをいれる方針で走りました。
9月は三連休が2回あったので、より走り込める環境に身を置けました。

年内2度目の湯の丸合宿。9月は2泊3日で計75km走破

2度目の湯の丸合宿でも走り込むことに重点を置きながらも7月末より状態が良かったので仲間と切磋琢磨出来ました。
湯の丸合宿を終えて、1週間後ながらも祖父母に会うための帰省がてら、オホーツク網走マラソンに出場しました。
ここでもテーマは【無理することなく走りきる。エイドは全種類全制覇】で3:11'52で完走。
怪我前には感じ取れなかった走る事の楽しさを噛み締めて走れました。
色々な要素が重なり合って9月は月間325km。
これは現役時代含めて最長距離でした。
ほとんどジョグでのこの走行距離は改めて基礎の重要さを感じました。

10月、レガシーハーフの月間に。
第1週の10/5の練習会では、20km走(3'53/km)で実施。
この練習でレガシーハーフの目標は80分切りに設定しました。
その翌週の5000mの記録会では17分切りを目標にしていましたが結果は17'45。
目標と現状のギャップを感じて不安になるものの、直前に行ったポイント練習の消化具合やピークをここに持ってきていないことを踏まえて記録会の結果は結果で受け止めようと思いました。

しかしながら、記録会後の疲労が思うように抜けず接骨院でのトレーナーによるマッサージや走る頻度を落とすなど最善の調整をしました。
私自身、レース前日はピリッと刺激を入れるのがルーティンでしたが初めてノーラン調整を実施。
代わりにセルフマッサージなどで緊張している筋肉をほぐすなど有意義なランオフを過ごしました。

そして、2024.10.20。
東京レガシーハーフマラソン当日。
朝は4:30に起床。前の日は21:30には就寝。
しっかり休養して朝食をしっかり取り出発。
06:15には最寄りの千駄ヶ谷駅に着き、06:25にはウォーミングアップを開始。
アップのジョグは朝イチながらも4'30/kmを切るペースで2km行い、状態の良さを確認。
ユニフォームに着替えスタート地点で軽めの動的ストレッチ等を行い、08:05いざ、スタート。

レガシーハーフの受付完了後、expoを堪能。
ニューバランスのNをポーズしたつもりも実際見てみると
あんまり再現出来ておらず。
次回はBに寄せたい。

Bブロックからスタートでグロスタイムから15秒程のビハインドを抱えスタート。
レガシーハーフの目標は⬇️
①80分切り ②82分以内 ③84分台
落ちても最低キロ4以内にまとめれたら及第点にしました。
①の目標をするためには当日ペーサーをしてくれた80分ペーサーについて行くのはマストでしたが、ほぼスタートと同時に走っていたため10~20秒の差がありじわじわ近づくレースプランで行くことにしました。

最初の5kmは下りと聞いていましたが3kmまでは上り基調でなおかつ、混み合う集団をかき分けるために入りの1kmは4'02とまずまずな立ち上がり。
しかしこれは予定通りで、整列完了してから20分ほど待機していたため心拍は落ちていたので最初から設定通りで行くとオーバーペースと感じていたので許容範囲内で穏やかな立ち上がりとなりました。

11km近くで追いつくまでは、自分のペースで走り時にはいい感じのペースで走るランナーさんの力を借りて走りました。
大集団に追いついてからは13kmまでの2kmで集団走で脚を休めて、水道橋の交差点でペースアップ。
78分台を狙えると見て、果敢にチャレンジ。
しかし現実は甘くなく、16km飯田橋~市ヶ谷でペースダウンし大集団に再度吸収される。
吸収されるもののしっかり粘ってラスト5kmの上り坂をクリア。
ラスト1.5kmからは下りを利用してペースアップ。
ゴールタイムは1:19'27(net 1:19'15)
目標達成と走りきれた喜びでメダルを貰ってしばらくして安堵の涙。
応援してくれた仲間や、怪我期間中も声をかけてくれた仲間を思い込みあげるものがありました。

怪我をして走れなくなって感じたことは

走るのが好きなこと。
走ることは楽しいこと。
走れない期間でも成長出来ること。
速くなるには走る事だけではないということ。
勇気を持った挑戦は必ず成果として現れること。
基礎を固める事の重要性。
共に頑張れる仲間のいる偉大さ。

この感じたことは、今後の競技生活で一生忘れないと思います。
今回のレガシーハーフマラソンは復帰点。
ここから私の快進撃は始まります。始めます。
今後も応援、よろしくお願いします。

【追記】
初めてのnote投稿。1時間ほどスマホと格闘しました。文中に画像を入れたり思ったことを言葉にする事は難しいなと感じながらも、書き残すことは期間が空いて読み直す時にまた新しい感情を生むと信じて今回、打ち込みました。
ここまで読んで頂きありがとうございました。

勝負飯は鮭の西京漬け焼き。

いいなと思ったら応援しよう!