巫蠱(ふこ)第九巻【小説】
▼楼塔流杯と桃西社阿国③
「わたしがもぐれるとこまでは確認したんやけどなんもないんよ」
と阿国(あぐに)が言い終わらないうちに流杯(りゅうぱい)は湖に飛び込んだ。
……間を置いて浮上する。
「ほんとにいない。どうしよ。そうだ師匠ならもっと深く」
「落ち着いてとんぼさん、死んでたらかざりちゃん飛んでくる」
▼楼塔流杯⑧
「確かに簪(かんざし)は、ねーちゃんが門下生を道場にいれなかったことにも気付いてたっぽいね。
「じゃあ鯨歯(げいは)たちは無事……そういえば絖(ぬめ)によると、桃西社(ももにしゃ)でねーさんが見つかるのはきょうかあす。
「湖のそこに隠れ場所があって、ふたりともやっかいになってるとか?」
▼楼塔流杯と桃西社阿国④
「べつの場所に通じる穴でもあったんやないの」
「ああ、そう考えればいいんだ」
とりあえず、あしたまで待つことにした。
安否の不明な人間への対応としては不適切かもしれない。
ただ状況を整理して、阿国(あぐに)は思った。流杯(りゅうぱい)には思われた。問題ないと。
だから問題ない。
▼城絖と刃域服穂③
同時刻。
刃域服穂(じんいきぶくほ)と城絖(さしぬめ)は後巫雨陣(ごふうじん)を進んでいた。
肥大した植物のなか、べっとりとした汗をかく。
絖はなにかをたぐりよせるようなしぐさをまぜながら、水の柱のある最奥に向かう。
服穂だけだともっとまよったことだろう。
▼後巫雨陣離為火と刃域服穂①
……小石だらけの場所を踏む。
汗がひいていく。
服穂(ぶくほ)は、くしゃくしゃにまるめた紙ふたつをとりだす。後巫雨陣(ごふうじん)をとおってきたため、ぐしょぐしょになっている。
ひとつずつを両手でころがし、水の柱につっこむ。
なかにいた離為火(りいか)がそれらを指でつまんだ。
▼後巫雨陣離為火と刃域服穂②
「灰に」
水の幕をはさんで、離為火(りいか)は服穂(ぶくほ)の声を聞く。
両方の人差し指と薬指とにひっかけた二個の紙の球体…それをやや回転させるように指の位置をずらす。
つぎの瞬間どちらも発火し、またたく間に燃えつきる。
あたりの冷気のためか、すぐに火の気は消え失せた。
▼巫女と蠱女⑪
離為火(りいか)と服穂(ぶくほ)のやりとりを、絖(ぬめ)と一媛(いちひめ)が見ていた。
ひととおり終わったことを確認して、「ふたりとも死装束着る?」と絖は質問する。
「要る」と一媛は応ずる。「必要ないと思うよ」と離為火は答える。
「わたしのぶんは簪(かんざし)にまわしてくれる?」
▼後巫雨陣一媛と刃域服穂①
……水の柱に赤がまじる。そろそろ夜だ。
「服穂(ぶくほ)ちゃん」
一媛(いちひめ)が話しかける。
「もう全員知ったと思う?」
「筆頭はそういうふうにうごいていたようです」
「おなじようなことは過去にあった?」
「似たようなことは」
「でも巫蠱(ふこ)は続いた」
「思われる者のおかげです」
▼城絖と後巫雨陣一媛①
「蠱女(こじょ)……皇(すべら)も早く見つかるといいけど」
「それなら心配ないよ」
手あそびしながら絖(ぬめ)が言う。
「りゅーちゃんが見つける」
「どこで」
「桃西社(ももにしゃ)で」
それを聞いた一媛(いちひめ)は、左手の中指と薬指で右手の中指と薬指を二十四回たたいた。
「……そういうこと。信じる」
▼後巫雨陣説①
日は変わり、未明。
水の柱からはなれた場所で、後巫雨陣(ごふうじん)の三女、説(えつ)が葉っぱをもいでいた。とくに調理せずとも、その地の植物は食べられる。
小石だらけの最奥ではなく周辺にひそむのが彼女である。しめりけを味わうためらしい。
だから、しばしば舌をだす。
▼後巫雨陣説②
彼女はしゃがんだ。
植物の根っこ近くに這う虫一匹をすくった。指を二本差し出して。
それは貧相なかたちをしている。どうやら宍中(ししなか)から迷い込んだものらしい。
指をつたう。てのひらへとおりる。生命線を往復する。
やがて汗にまみれた。
うごかなくなった。
▼城絖と後巫雨陣説①
虫をすくわなかったほうの手に葉っぱを持って一媛(いちひめ)たちのもとに向かう。
すでにみんな起きている。ほおをぐりぐりしてやる必要はなさそうだ。
噴水で手をきよめ、葉っぱを配る。
そのとき絖(ぬめ)に死装束が要るかたずねられた。
説(えつ)は「いちおう」と応えた。
▼刃域服穂④
ところで後巫雨陣(ごふうじん)と之墓(のはか)をつなぐ地下通路……その存在を知っていたのはもちろん蓍(めどぎ)だけではない。
「こういうの」に関しては、むしろ服穂(ぶくほ)のほうがくわしい。
しかし彼女たちは、そこにみだりに踏み込まない。
近道と了解しながらも、さけるのだ。
▼城絖と刃域服穂④
ふたりは之墓(のはか)を目指している。
後巫雨陣(ごふうじん)からだと、宍中(ししなか)または赤泉院(せきせんいん)をとおればいい。
ここで絖(ぬめ)が、ある提案をした。
赤泉院と宍中の境目を歩いてから目的地に着こうというものだ。
地理的には可能である。服穂(ぶくほ)は了承した。
今度は彼女が絖をみちびく。
▼巫蠱の地③
草ぼうぼうの平坦が宍中(ししなか)……そう以前に述べた。
服穂(ぶくほ)たちの右手にそれがある。
ただし彼女の道筋は、草むらにでたりはいったりしながら、えがかれる。
左手の赤泉院(せきせんいん)との境界を正確にたどった結果である。
草を踏むたび虫が飛ぶ。
絖(ぬめ)のほうは、草をさけつつ服穂に続く。
▼刃域葛湯香①
途上、虫を巻き上げながら、ふたりと並んで歩き始めた者があった。
刃域葛湯香(じんいきくずゆか)である。
彼女は大きなたんすを背負って移動するので、見間違えようがない。
ましてや姉の服穂(ぶくほ)なら……いや、おなじ巫蠱(ふこ)ならば。遠くにぽつんとみえる距離でも。
▼刃域服穂と葛湯香①
……草の途切れが視界にはいった。もうすぐ之墓(のはか)に着く。
ここでようやく葛湯香(くずゆか)が服穂(ぶくほ)のほうに寄ってきた。
「ねえ。十我(とが)によると、アレ、まず八人で話し合うつもりらしい」
「それはわたくしが。あと葛湯香、筆頭をアレ呼ばわりするものではありませんよ」
▼城絖と刃域葛湯香①
「ずゆかちゃん、仕事の調子はどう」
絖(ぬめ)がうしろから声をかける。葛湯香(くずゆか)は振り向かずに応える。
「ふるわねえよ。玄翁(くろお)んとことちがってな」
「このごろは建築だけじゃなく取り壊しの依頼も増えてるみたい」
「ふんだくる気だろ」
「そりゃね」
▼之墓②
刃域(じんいき)の巫女(ふじょ)が宍中(ししなか)のつぎに居候する地は、之墓(のはか)である。
服穂(ぶくほ)が十我(とが)の家にもどらなかったのは、移動する時期がきたからだ。
……すこし、寒くなったようだ。大小の岩がころがる荒野にて、冷たい風がたまっている。
そのわだかまりを服穂が踏んだ。
▼桃西社③
……桃西社(ももにしゃ)の夕刻。
「とんぼさん!」
阿国(あぐに)の声だ。
陸地で筒をかまえていた流杯(りゅうぱい)に手招きする。
「さっき、くじら姉の知らせがあったんよ、水のそこから。三人おるみたい」
また流杯(りゅうぱい)が湖に飛び込もうとする。
が、今度は阿国にとめられた。
▼桃西社④
「ごっつんこするって」
阿国(あぐに)にたしなめられた流杯(りゅうぱい)は、湖面をじっと見つめた。
わずかだが波打っている。そのうねりが徐々に大きくなる。
つぎの瞬間、あぶくが浮かんだ。間髪いれず大量の泡がのぼってきた。
そこに影がまぎれている。
みっつのあたまがみえてくる。
▼巫女と蠱女⑫
「鯨歯(げいは)、蓍(めどぎ)さん! ……ねーさん!」
呼ばれた三人が水中から顔をだしてはじめて見たものは、手をたたいてよろこんでいる流杯(りゅうぱい)であった。
つぎに目にはいったのは阿国(あぐに)。
こちらの表情はけわしい。
「ぜーちくさん、ひとまずは無事やったんやね」
▼赤泉院蓍と桃西社阿国④
「阿国(あぐに)……おこってる?」
「いやおこるやろ。二晩も待っとったんよ。せめて『あがってこなくても、じきもどってくるから心配するな』くらい言ってほしかった。
「ぜーちくさん、だいたい分かってたやろ。なのに最低限しか……いや最低限のことさえ言わんで……」
「ごめん」
▼桃西社鯨歯と阿国③
「いいよもう。くじら姉がいっしょやったから問題ないとは思っとったし」
「あの……阿国(あぐに)」
鯨歯(げいは)が目をそらしながら声をかける。
「なん?」
「わたしもしかってくれん」
「なんで」
「このしたに穴があったんやけど、そこくぐったあと、ずっと阿国のこと、ほっといてたから」
▼桃西社鯨歯と阿国④
鯨歯(げいは)に対して阿国(あぐに)は、おこる気になれなかった。
姉妹の関係にあるからではない。
自分の姉は他人の真意が分からずとも、それらすべてを思える度量を持っている。今回も蓍(めどぎ)と歩調を合わせただけだ。
だから阿国は湖面に浮かぶ姉のあたまに、ぽんと手を乗せて終わりにした。
(つづく)
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