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資格

世の中で最も有資格者が多いのは自動車運転免許だろう。
運転免許がないと地方ではとても生活できないし、
都市部であっても業務で車を使用する事はよくある事だ。

そのように資格があるからこそ権利と責任が生じる事はわかりやすくて良いと言えよう。

しかしこの10年ほどでやけに資格が増えたように思うし、
その取得の手間がかかるようになったと思う。

およそ10年前。
岐阜の知人に、トヨタなどの工場で働く外国人に日本語を教える仕事をやってみないかと誘ってもらったことがあった。大変ありがたい話ではあったけども、愛知や岐阜に転居する準備など全くできる状態ではなかったので丁重にお断りすることとなった。

今、転居の準備もできて岐阜で日本語を教えたいと言ってもそれは不可能である。日本語教師という資格が必要なのだ。最初に述べた権利と責任という意味ではそれがあった方がいいに決まっているのはわかる。

ただ案外取得条件が雑に定義されていて、
所定の時間の講習を受ける(受けるだけでいい)か、
資格試験を一発合格するかのどちらかで取得できる。

試験はまあいい。
講習を数百時間受ければOKというのは何だか納得がいかない。
講習の費用も100万円ほどかかるものであり、
ちょっと自分にはポンと出せる金額ではない。

ここで少し妬みやっかみが入る考え方として、
地獄の沙汰も金次第じゃないけれど、
お金さえ積めば資格が取れて選択肢が広がるのかと思ってしまう。
しかもこの資格に関しては、来年度から教育実習のような講習も必須になるとの話もあって、社会人が新たに取るにはもう一段ハードルが上がるようである。

その他の分野でも資格ビジネスは増えていて専門学校や通信講座の資料を見るとビッシリと様々な資格が並んでいる。

資格を設ける事はお客様に安心を与える事にはなるが、ちょっとばかしお金を好きすぎていやしないか。

国家資格などはともかくとして、
中には「それ本当に資格試験として勉強して誰かのためになるのか?」「実地で働いた経験のほうがよくないか?」とツッコミたくなるものもある。

専門学校も資格を作った団体もお金を稼いでご飯を食べている。
資格を取りたい人も資格を生かしてご飯を食べたいと考えている。
同じ土俵での奪い合いは想像できたが、まさかこんな形でマンモス肉の奪い合いが作り出されるとは10年前はあまり考えていなかった。

愚痴っぽくなって恐縮だが、持ってる人は持ってるので仕方ない。ルールだ。俺だって知らないうちに取ってた屁のような資格は持ってるし。
ただ、誰のため・何のためという部分は考えて資格と付き合いたいと個人的には思うのである。


#資格 #愚痴 #エッセイ #専門学校 #十年一昔 #四角

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