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第三回ごきげんコラム

第三回ごきげんコラム
~ご機嫌のコツは勘の良さ~


「妖怪は、静かな暗闇が好き」
と幾度か聞いたことがあります。
妖怪も多種多様で、様々な特徴や性質があり
一概には言えないとは思うのですが

今回のコロナ禍で
ネットの世界では24時間大騒ぎの中、
街はすっかり静かになり、電灯は消え
見る見ると景色が変わっていった頃
世界中で綺麗な景色や自然界の美しいニュースを目にする機会が増え
ふと、
「妖怪たちがうっかり出てきていたりしないかな」と
淡い期待を抱いてしまったりしていました。

妖怪といえば、私にとっては
水木しげる先生。
ゲゲゲの鬼太郎をはじめ、漫画界の中でも
才能あふれる作品を多く残されているのは言わずもがなな事実でありますが
私は水木先生の考え方や価値観がとても大好きで
誰かと知り合った際にも
水木しげる好きと聞くだけでなんだか勝手に親近感が湧いてしまう程でした。

エッセイやインタビューでも当時の話は出てきますが
戦地での最前線での生活、
いくら想像しようとしても足りないくらいに
大変な時間を過ごされていたと思います。

そんな戦時中、朝の点呼に不在の為、大騒ぎになり
うっかり脱走兵と疑われるも、実際は眠っているだけ。
そのあと、ばちばちと殴られるも
毎日の様に、怒られるまで水木先生は眠っていたといいます。
爆弾で左腕を失い、そこで野戦病院に入ってからが
自由の時間が少しあったと話し
現地の人(水木先生は土人と呼びます)との出会いや
パプワニューギニアのジャングルの中で
妖怪の気配に出会い、ぬりかべに命を救ってもらったり、
朝方見張りをしながらオウムの美しさに見惚れていた事で
相手からの攻撃を逃れられ、軍の中で唯一生き残ることとなりました。

そんな貴重な体験(かつ、水木先生らしい体験の解釈)をされているのにも関わらず
「片腕をなくした漫画家」の様なメディアがこぞって好きそうな
謳い文句では表に出ていなかったと思いますし、隠そうともされていません。
個人的には、先生が喜んでたくさん話したがっている戦時中のエピソードは
糞壺に夜中足がハマってしまった時のことの様な気がしています。笑

他にも印象的だったのは
終戦後、戦地であったパプワニューギニアに残りたいと申し出たこと。
戻られて、漫画家としてたくさん活躍をされても尚、
そのまま残っていたら幸せに暮らしていただろうとおっしゃっていたことです。
その理由についても現地の気候について交えながら話す先生の
物の見方には、ハっとさせられます。

ちなみに先生は、眠ることの素晴らしさを語り
「なまけものになりなさい」という水木語録として有名なお言葉のイメージに
ユーモアさやチャーミングさが相まって
ストイックさなどからは遠く離れた印象が表立つことも多い気がするのですが
実際は大変勤勉な方で、研究熱心な努力家です。
様々な物後に対する価値観も
感覚的で主観性が強い様に見えて、かなり客観性が強く分析的な一面があります。
哲学書も随分とお読みになられていたようで、暗記するほど読んだという
ゲーテについては「ゲゲゲのゲーテ」という名作もございますので
お勧め致します。

そして、「勘がよくなきゃいかん」ということ。

勘が悪くて、無駄な努力ばかりしている人は餓死だそうです。笑

まだまだ読み尽くしていない
水木先生の漫画、エッセイ、インタビューなどこの時期に
たくさん触れていき勘のいい人間になりたいものです。

Omochi特派員

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