香水をつけられなくなった。
ドルチェアンドガッバーナのその香水のせいだよと歌う男の曲がヒットした。その男たるや人を傷つけても泣かせても何にも感じなくなったそうではないか。これにはあの窪塚洋介も激怒している。
実を言うと私にも香水にまつわる苦い思い出がある。
私は香水の匂いを嗅ぐのが好きだ。
基本的に香水はいい匂いだし、服や髪型以上に「その人」として強力に記憶に結びつく。脳の構造からして匂いと記憶はかなり強く結びつくらしい。
実家、病院、部活、食べ物、元カノ、昔飼ってた犬など、香は嗅いだ人の心を一瞬で過去のある時点やイマジネーションに結びつける。
東京の男はいい匂いがしてエロい
幼少期、私の周りには香水を好まない人が多かった。
電車もロクに通っていないような田舎町で中高生が付ける香水はすなわち性の匂いとして周囲に認識され、一部では忌み嫌われた。
中高校時代には「東京の男はみんないい匂いがしてエロい」「〇〇くんはいい匂いさせてるから不純」「オトナと付き合ってるからあの子は香水クサイ」という会話がなされていた。
それは憧れ半分という感じだった。
あんな性的なアピールに長けた人間は中高校生としてはマセすぎている、という非難めいた響きもあった。
また、私自身が地味で、交流を持っていたのも比較的素朴で平和な女子たちばかりだったため、「高校生の性」は遠い国のお伽噺か、テレビや雑誌で見る修羅の世界であり、リアルに存在しているとは信じられなかったのだ。
本当に信じられなかった。
そんなのはシンナーを吸ってる不良か、心を病んだ人以外はやりっこないと思ってた。
今思えばあまりに閉鎖的価値観であり、高校生ならそれくらい普通だよ、放っておけよと言いたい。
その一方で、誰もの家に芳香剤やファブリーズがあり、柔軟剤も石鹸もあった。そういった生活のなかの自然な良い匂いは健康なものとして受け入れられていた。
香水がダメなら石鹸の匂いを付ければいいじゃない
やがて高校を卒業した私は親元を離れ一人暮らしするようになった。
ごく狭い、家賃2万代のアパートの天井にネジを刺して天蓋を吊るし、お姫様ベッドを作った。ローゼンメイデンみたいに眠りたかったのだ。
(顔は能面、良く見積っても市松人形である。)
以前少し書いたことがあるが、実家は家と呼ぶには至らないギリギリの居住環境だったため、家賃2万六畳一間でも一国一城の主となった気分で夢を膨らませていた。
生活をもっとプリンセスにしたい。
その思いが私を大学近くのショッピングセンターに導いた。
これが高級百貨店や渋谷や池袋だったら危なかった。
近場のショッピングセンターでひときわオシャレな気配と良い匂いを放つ店があった。石鹸屋のLUSHだ。
計り売りの、宝石みたいに煌びやかでどこか毒々しくもある石鹸。海外の雰囲気があるお店。
都会から来た同学年の女の子がその店の石鹸を100グラム買って紙に包んで貰っていた。いいなぁ。
私はLUSHへ足を踏み入れ、台に並ぶ色とりどりの商品を眺めたり手に取ったりして嗅いで回った。
その中で特にピン来たものがあった。
オリーブ収穫祭
以下引用
マンダリンとレモンが放つ柑橘の爽やかさだけではなく、ベルガモットとオレンジフラワーの甘く優しい香りもほのかに漂います。まぶしい太陽の光を感じさせる香りは、甘さの強い香りが苦手な方や、初めてシャワージェルを使う方にもおすすめです。全身を洗っているうちに、バスルームが美しい地中海を望む果樹園に変わっているかもしれません。
この香りが好きだ。店員さんにお試しさせてもらう。手を洗う。やはりいい匂いだ。
私はオリーブ収穫祭を購入して帰った。
風呂の中で心地よい匂いに包まれると幸福感で満たされた。汚れとともにストレスも洗い流されていくようだった。
もっとこの幸福感で日常を満たす方法はないのか?そして私は次なるステージに進む。
エスニック雑貨屋でお香をキメろ!
大学の先輩の部屋に遊びに行ったら、大麻のマークがぶら下がっていた。
先輩はアレをやっていたのである。
六角香
レゲエ好きの先輩の部屋はバリかなんかのエスニックな?オリエンタルな?雰囲気だった。
そして、すごくいい匂いがした。
ああ〜これこれ!
外国の寺院で祈りを捧げる僧侶が見える。濃厚芳醇なお香の香りだ。いわゆる白檀、サンダルウッドである。
私はすぐさまエスニック雑貨屋に駆け込んだ。ヒッピー風のロン毛の店員さんが出迎えてくれた。手に持った茶色い六角形の箱を嗅ぎ、匂いを確かめる。間違いない。お香を立てるための木箱も持ってレジに向かった。
ピンクと白で統一された私の部屋にはお香の香りが充満し、プリンセス風のお寺と化した。スピリチュアル空間だ。
お香を炊くと気分が良くなりリラックスできた。しかしお香は持ち運びには不向きで、灰が出るため掃除が若干面倒臭い。
なんとかしてもっと気軽にこの匂いを楽しめないものか。
大学にはいろいろな地方から来た女の子がいた。仲の良い子も真面目な子もフェラガモやディオールの有名な香水をつけていることを知った。
この文化圏では香水は悪ではないのだと気が緩んだ私は、例のショッピングセンターに入り浸り、香水売り場の商品をクンクン嗅いで回るようになった。
そしてついに至高の逸品に出会ってしまったのである。
ミッドナイトバクラ
瓶から「外国のお寺の匂いですよ~!」という声が聞こえてくる。優秀なデザイナーが作ったに違いない。(今は廃盤になった)
この香水の香りが本当に好きで、部屋に撒いてはしばしば白目を剥きトリップしていた。
部屋に撒いたのは、服や肌につけて外に出る勇気がなかったからである。
例え友人たちが香水をつけていても、それが悪いことでもなんでもなくても、私が香水をつけるのは「マセてていやらしくて臭くてイケナイこと」なのだという呪縛が解けなかった。
しかし私はこの香りをひどく気に入っていたので、試しに親に会うときにつけてみた。
すると、なんと親が「いい匂いだね」と褒めてくれたのである!
大人に認められたことで香水の呪縛から解き放たれた気がした。
私は堂々と大人の階段をのぼる!
これからは人前でも香水をつけていいんだ!
なんかお墓の匂いしない?
私の香水ライフは一瞬にして終わった。
友人から「あれ……なんかこのへん線香の匂いがする……お墓参りした?」と言われ、即座に私の背筋は北極より冷え凍えた。
「え~~~~?線香?なんだろう?」
どう考えても私の香水のせいなのである。
私の好きな香りは友人には墓参りの香りとして認識されていた。冷や汗が出た。その感覚は巨大な恥かしさであった。
田舎者が無理をして背伸びしてお洒落をしてみたら、墓参りの線香になってしまったのである。
死臭だ。
カラスだ。
葬式だ。
誰か今すぐ私を葬り去ってくれ!!!
あはは……と逃げるようにその場を後にした。
あれ以来、香水をつけるのをやめた。
悪臭か芳香かを決めるのは誰か?
墓場香水事件以来、私はすっかり自分の嗅覚を信じられなくなった。
周囲の人間に臭いと思われるのはなかなかの苦痛である。
私自身はどんな香水でもあまり臭いと感じないので尚更よく分からなくなる。
但し、一つだけ耐えがたい「芳香」に出会ったことがある。
LUSHの蝶々夫人。
吐き気がこみ上げた。しかし店員さんはこの香りが一番好きだと言うのだ。
彼女の目の輝きや話し方から本気で推しているのだと分かった。自分の嗅覚に自信を無くしていた私は「この人がそこまで言うならこれは他の人にとっては良い匂いのはずだ」と蝶々夫人のシャワージェルを購入した。
毎日のバスタイムが地獄に変わった。
しかし3000円もするボディーソープだ。歯を食いしばって使い切った。
匂いものには、きっと正解がない。
誰のための匂いか、相手がそれを気に入るか、自分がそれを良しとするか、いろいろな思惑が絡みついてしまう。
香水を付けた人は好きだが、私はもはや、できるだけ無臭になりたい。
余談:好きな匂いについてわかったこと
シャンプーの商品開発のモニターをしたとき「普通、女性が好まない匂いを選びがちですね」と言われた。
それから、私の好きな香りをほかの人に嗅いで貰って感想を聞くと、男性でも女性でもだいだい「エロいオジサンの匂い」「お父さんの整髪剤の匂い」と言われる。
私の好きな香りは「中年もしくは線香」の香りであるらしかった。
香りの好みは千差万別。
一説によると遺伝子的に近いものとの交配を避けるために、娘は父親を臭いと感じるようになるらしい。また、相手の体臭を心地よく感じるかどうかで遺伝子的な相性が分かるという。
つまり、「自分に近い=遺伝子的に相性が悪い=臭い」「自分から遠い=遺伝子的に相性が良い=良い匂い」と感じるのではないだろうか。
とすれば、好きな香りほど自分にない匂いなのかもしれない。
その逆に、嫌いな匂いは自分の匂いに近いのかもしれない……。
更に言えば「香りの好みが合わない人ほど、遺伝子的に相性が良い」とも言えないだろうか?
変な匂いの香水を付けてる相手ほど相性がいいのかも知れない。