出羽三山神社_松例祭 1_祭の背景
改めて、松例祭とは
天下泰平・五穀豊穣・国土安穏・風雨順時・万民快楽を祈願する羽黒山の例祭です。
出羽三山の御開祖・蜂子皇子(はちこのおうじ)が疫病で苦しむ農民を救うために行ったのが起源とされ、ツツガムシ(疫病の原因)に見立てた松明(たいまつ)に火をつけて焼き払うと、たちまち鎮まったといわれています。
羽黒修験の四季の峰のひとつ「冬の峰」(百日修行)満願の日で、松聖(まつひじり)の験力を試すさまざまな祭事が、大晦日から元旦にかけて夜を徹し行われます。
「国の重要無形民俗文化財」に指定されています。
冬の峰
毎年羽黒山手向(とうげ)地区から条件を満たした山伏の中からふたりの松聖、位上(いじょう)と先途(せんど)が選ばれます。
ふたりは、最初の50日間をそれぞれの自宅の一室に祭壇を設え、その後49日間を出羽三山神社の斎館にて、田小屋に模った興屋聖(こうやひじり)に五穀を納め、ひたすら穀霊の憑依を祈り籠りの行を行います。
その100日目にあたる大晦日の夜(松例祭)に、結果としての験力が試されるのです。
松聖(まつひじり)
ひじり=火知り、日知り からきているようで
火を扱えるひと
また興屋聖の上部は紫だけれど黒を意味し、黒は水を表します。
松聖は、水や火を管理し、自然界を本来の状態に戻せるひと
春が来るのを妨げるものを焼き払えるひと
「それだけの験力があるひと」といういことなのだそう
松聖の験くらべ
松例祭では、様々な祭事でふたりの松聖の験力を競うのですが、松聖のおふたりは祭事の間ずっと補屋に待機しておられます。
手向集落の若者衆が位上方と先途方に分かれ、各松聖の代わりに競いあうのです。
位上(いじょう)が勝てば作物の実りが、先途(せんど)が勝てば海の幸が豊かになると言われています。
松聖の験力が試される祭事なのに、実際に験くらべをするのが松聖本人ではなく、それぞれの松聖の験力が憑依した若者衆というのが、なんともユニークで面白いなと思うのです。
春の峰へ
年が明けてすぐ、冬の峰で松聖が五穀に祈りを込め出現した穀霊を一俵の稲籾に入れて増殖させる「春の峰」が執り行われます。
穀霊・稲霊をうつしたもみは、御判立(ごはんだ)てといって、護符「牛玉宝印(ごおうほういん)」に入れ、希望する農家に頒布されます。
明治維新廃絶していた春の峰が、平成30年に150年ぶりに復活。
その翌年、星野文紘先達が茨城にも牛玉宝印(ごおうほういん)を届けてくださいました。
そこに入っていた五穀から稲もみだけを撒き、御岩神社注連縄奉納講の水田で一粒万倍に育て、昨年末初めての注連縄を綯い奉納しました。
引き継ぐ
1400年以上続く羽黒修験。
大晦日、極寒の中真剣にご神事に関わる手向の若者衆。
それも「仕方なし」な感じではない。誰もが活き活きとし、魂そのものが弾むのが見てとれました。
初めて大松明引きに参加した青年が、「見ているだけではわからなかった。縄をもつ手の感覚、伝わってくる振動、そして内側が高揚する感覚があった」と話していたのが印象的でした。
こうやって脈々と受け継がれてきたのだなぁ。
「やり方」ではない、目に見えないもの、言葉で説明できないものまるっと。
そして、50年以上山伏として、先人から受け継がれてきた習わしを守り、後継者を育てられてきた星野文紘先達が、20年務められた「所司前=羽黒権現」役を引退されることに。
あの場に山伏として身をおけたことに、深く深く感謝します。
降りしきる雪
燃え盛る炎
そこに立つ先達の勇姿
静けさ、力強さ、美しさ
山伏として、私に何ができるのか、何を受けとり、渡していけるのか・・・とても重みを感じた夜でした。
次の投稿から、松例祭で行われた祭事を写真とともにご紹介します。