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呪殺インターハイの思い出

1999年
3年Δ組 縊谷 凶子

 私の架高で一番思い出に残っているのは、2年の夏に出場した「呪殺インターハイ」です。

 皆さんご存じの通り、呪殺インハイは全国の学生たちが磨いた呪殺の技術を披露する貴重な機会です。私は「要人呪殺 フリー形」に架高の代表として出場しました。使うのはもちろん、中学の頃から馴染んだ藁人形です。

 中でも強く印象に残っているのは、やはり決勝で当たった山形代表の井津奈選手との戦いです。私の標的として指定されたのは、当時の外務大臣でした。開始の半鐘が鳴り、支給された大臣の毛髪を藁人形に仕込んで五寸釘を打ち込もうとしたその時でした。私の金槌が真っ二つに割れたのです。

 道具の点検を欠かしたことはありません。そして一瞬だけ私が視界の隅に捉えたのは、管狐の姿。井津奈選手の妨害行為でした。当然呪殺インハイでは他選手への直接的な妨害行為は禁止されています。しかし審判は無反応。私は井津奈選手選手に対し怒りの気持ちもありましたが、むしろ審判にすら気付かれない鮮やかな手並みに驚くと同時に、闘志が刺激されたのを感じました。

 井津奈選手は一つミスを犯していました。呪殺インハイに出場する前日、私は3年の禍ヶ淵先輩からお守りがわりに金槌をお借りしていたのです。優勝間違いなしと言われながらも、去年の呪殺インハイで高知代表の犬神使いに敗れた禍ヶ淵先輩。スワロフスキー・クリスタルの生成り姫があしらわれた金槌は、私たちの憧れでした。私は懐から金槌を取り出すと、禍ヶ淵先輩への思い、井津奈選手へのライバル心、そして無能な審判への怒りを込めて五寸釘を打ち込みました。

 会場となったさいたまスーパーアリーナのスクリーンに映し出されていた国会中継。外務大臣と、井津奈選手の標的だった農林水産大臣が心臓を押さえて倒れるのはほぼ同時でした。しかし写真判定の結果、私の勝利が確定した時は、頭の五徳から溶けた蝋が垂れるのも構わず見守ってくれていた禍ヶ淵先輩達のもとへと駆け寄りました。あの瞬間が、3年間で一番の思い出です。

 審判は後日ちゃんと恨みを込めて呪殺しました。


甲冑積立金にします。