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『バサラオ』観劇感想(8/18)④髑髏の呪法

(『バサラオ』の内容にふれてますが、お芝居そのものにはほとんど関わらないのでネタバレにはならないと思う・・・。とは言え1ミリもネタバレ見たくない!という方はご回避下さい)


島のシーンでカコがボンカンに向かって「あんたがトンチキな念仏で幕府転覆の呪詛なんか…」というようなせりふがあり、その後、ゴノミカド初登場シーンの御殿(?祈祷所?)の装飾が髑髏だったので、(ドクロと呪詛かー、立川真言流だったりして、はっはっは)と思っていたのですが。
歌の中でボンカン(右近さん)が高らかに歌い上げるのが
「まつりし髑髏 あがめるはダキニテン」
という歌詞。
(荼枳尼天?じゃあ立川真言流じゃないのか、しかし荼枳尼天そのものはどういう神様なんだっけ?)と思い、帰宅してから調べてみたら。

日本では鎌倉時代の13世紀前半ごろに、荼枳尼天を祀る名称不明の密教集団(便宜上「彼の法」集団と呼称)が現れ、「髑髏本尊」という髑髏を本尊とする性的儀式を行った

荼枳尼天-Wikipedia-Wikipedia

じゃあやっぱり立川真言流じゃん!!
歴史好き・伝奇好き・オカルト好き・エロ・オタクの複数要素のいくつかが重なるような嗜好の人がたどりつく、立川真言流・・・。

今は(?)「彼の法」集団(かのほうしゅうだん)と呼ばれてるんですね。
そして

「彼の法」集団(髑髏本尊の教団)・真言立川流・文観派、これらの三者は、互いに全く異なる集団である。

「彼の法」集団-Wikipedia

そうなのかー。
歌詞カード見直したらボンカンが「髑髏本尊流、密教の奥義」と言ってました。
より正しい名称だったんだな・・・。

ボンカンの由来を調べていたら文観にたどりつきましたが、この人、『太平記』や『宝鏡鈔』などの影響で「荼枳尼天を祀る妖僧」とされ、後世に至るまでそのイメージが定着し、近年ようやくそのイメージが訂正されつつある、ということみたいですね。

宥快の政敵である文観(後醍醐天皇の護持僧)は、荼枳尼天を祀る妖僧として批難されている。通俗書の類はこれをそのまま採用するものがあるが、21世紀現在の研究では、これはただのいわれのない誹謗中傷であり、実際には文観が荼枳尼天を信仰したことはないことが判明している。

文観-Wikipedia

”いわれのない誹謗中傷”で、数百年経ってからも「淫邪教をまつっていた怪僧である」みたいなマイナスイメージを後世の人に植え付け、相手の名誉を傷つけることができるんだから、人の業って・・・。

ゴノミカドとボンカンは、この俗説におけるイメージから作り出されたキャラ・設定なんだろうなー。
ゴノミカド初登場シーンの歌には「カンド・カンドマ・ハラミッダ」というフレーズが繰り返し出てくる(サントラCDにおける曲のタイトルもこれ)のですが、「ハラミッダ」は「波羅蜜多」だろうな、じゃあ「カンド・カンドマ」ってなんだ?とネット検索したら、「関連する事項」として「立川真言流」が出てきて、ああ、やっぱり・・・(苦笑)となりました。
「カンド・カンドマ」はチベット(後期密教)での荼枳尼天の呼び方だそうです。

『バサラオ』観劇数日後に、歌舞伎座の8月歌舞伎第三部『狐花』を観に行きました。
冒頭、稲荷神社の鳥居前で登場人物2人が押し問答するシーンで、
「ここの神社は荼枳尼天をまつっている、参詣してどうする気です」
「(荼枳尼天をまつっているのだから)ここに参詣して、おのれの憎い相手を呪わせてくれ」
みたいなやり取り(うろ覚えですが)をしてて、ここでもまた荼枳尼天!!
そしてやっぱり呪い!!

そういえば京極堂シリーズにも立川真言流出てきたような。
どの話だったか忘れてしまったけど、「骨」だから『狂骨の夢』かなー。
(安易か、と思ったけどウィキペディアによればやっぱりそのようです)

『鬼灯の冷徹』にも”稲荷神社にはウカノミタマをまつっているところと、荼枳尼天をまつっているところがある”という話がありましたね。

私が立川真言流を初めて知ったのは、皆川博子さんの小説でした。
平将門の娘をモチーフにした歴史・伝奇小説だった。
夫は「何で知ったかはもう忘れたけど、青年誌の漫画だった気がする」と。
山田風太郎の小説とかにも出てきそうー。

かつては「立川流」の名称で「性行為に基づく秘術を修めた魔術的秘密結社」としてフィクション(特に伝奇小説怪奇小説)の題材とされる事が多かった。

「彼の法」集団 ポップカルチャーへの影響-Wikipedia

歴史的事実と違うんだろう、とわかっても、荼枳尼天とか、立川真言流とか、なんかこういう設定に弱い嗜好の業よ・・・。

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