私的艦これ史回顧録


 私が艦これの存在を初めて知ったのは、2013年6月、当時の2ちゃんねる内におけるとあるソーシャルゲームのスレッドでした。
 今も言えることかもしれませんが、当時のソシャゲといえば重課金のイメージであり、私が遊んでいたソシャゲも上位を狙う為には普通車一台買えるような額の課金が必要でした。

 そんなソシャゲのスレッド内において、見かけたのが「まだこんな課金が必要なゲームやってるのか?艦これは無料で楽しく遊べるぞ」的な内容のレスでした。
 スレ違いとも言えるレスでしたが、当時の私は(まあ、確かにソシャゲって金が掛かるし、無料で遊べるのなら遊んでみるか)と思いました。

 今思うとこれはひと昔前に流行ったステルスマーケティング、いわゆるステマという奴だったのかなと思います。
 ステマとは一般人を装った内部の人間ないしは宣伝を委託された人間が口コミ調の宣伝を行うことで、以前電通のIPアドレスからステマが発覚して話題になったのを覚えています。
 艦これの生みの親である田中プロデューサーも一時期電通に身を置いていた時期があるので、ステマの性質上確たる証拠は出てこないと思いますが、当時艦これのステマを行っていた人間と何かしらの関係者の可能性もあったのかもしれません。
 
 さて、そんなステマに誘われ、私は艦これに手を出しました。始めてからわずかひと月足らずの2013年の7月、期間限定イベントがありました。当時すでに人気が出始め、イベントは通信障害によりまともにプレイすることができない程でした。
 猫りながらもイベントをプレイし、第一の海域で潜水艦と邂逅した時は、艦これというゲームの戦略の幅と可能性が広がっていくのが楽しみでした。

この頃から嗅覚の鋭い絵師達は素早く艦これの絵を描き始めていました。絵描きが艦これの絵を描くことで、つられてその取り巻き集団も艦これをプレイするようになっていきました。そんな中で起こったのか『ワンドロ乗っ取り事件』です。
 ワンドロ乗っ取り事件とは、当時東方projectと呼ばれる作品のファンの一人が考えたTwitter上のタグ、『#深夜の真剣お絵描き60分一本勝負』(通称ワンドロ)という1時間で絵を描いて投稿しようという企画を受け継いだ絵師が、艦これを流行らせたい為だけにワンドロ内に艦これの絵を放流し、この企画のタグを乗っ取ろうとした事件でした。この事件により、艦これと東方の間に良くない空気が流れました。
 
 恐らくこのワンドロ乗っ取り事件を契機に起こったと思われるのが、『東方警察騒動』です。東方警察騒動とは、かなり大きな規模の同人イベントである東方オンリーイベントで、東方に関係ない艦これの同人誌を売っていたことに東方のファンが「それは良くないんじゃないかな」と思っていたところに、対立煽りと思われる存在が『東方警察』という架空の組織を持ち出し、東方にいると大変な目にあうとデマを吹聴したことに端を発します。
 詳しくは(https://knkr.wiki.fc2.com/m/wiki/%E3%80%8C%E6%9D%B1%E6%96%B9%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E3%80%8D%E6%8D%8F%E9%80%A0%E9%A8%92%E5%8B%95)

 このデマに対して、東方から艦これに移りたいと考えていた同人誌の描き手や絵師達がこのデマに同調し、騒ぎを大きくして「こんな作品に居られるか!」と主張して艦これに移りました。なお、東方警察がいるという根拠とされる出所不明のリストですが、艦これの絵を描いていない人も含まれる明らかに出鱈目と分かるものでした。
 この騒動により、絵師とその取り巻きが東方にネガティブキャンペーンを行いながら艦これに移動し、東方は長らく事実無根のデマに苦しめられたようです。
 この時移ってきた絵師と取り巻き集団は本当に厄介で、艦これ内において度々問題を起こします。
 沢山ありすぎてキリがありませんが、艦これに特に影響を与えた人物で例を挙げるのであれば、恒心教徒に喧嘩をふっかけたオメガ氏、ワンドロ乗っ取り事件の関係者であるモレノ氏、後に艦これ版ワンドロを潰すことになるモレノ氏の友人である魚類氏など、悪い意味で艦これに影響を与えた人物が移動してくることとなりました。

 艦これ本編の方では、2013年の秋イベントが高難易度で話題になり、私も手元の物を投げたくなる程の理不尽を味わった。イベントを運良くクリアできた者にとっては「難しかったが、終わってみれば面白かった」という思い出となっていたと思う。こういった苦労した末のささやかな成功体験の重なりが、艦これにおける『信者』と呼ばれる存在を育てていったのだと思う。
 当時は信者の勢いも強く、艦これに対する不平不満を口にすれば、どこからともなく現れて集団で不平を漏らす者を叩きのめし黙らせていた。
 2013秋イベントで印象的だったのは、イベントも終盤に差し掛かった真っ只中、最終海域において突如予告なく矢矧のドロップが追加されたことだろう。恐らく運営側としては最初からそういうサプライズじみたことをやりたかったのだろうが、当時の多くのプレイヤーから不満が噴出し、それを信者が叩いて回る地獄絵図となった。この時の衝撃は現在まで残る古傷となり、艦これというゲームに残っていると思われる。
 艦これ運営の原作者である田中Pは、こういった他者を悪い意味で驚かせるのが好きらしく、インタビューにおいても「艦これが失敗していた時のプランの一つとして考えていたのは、終戦記念日に鎮守府が侵攻される悲壮な感じにして、艦娘たちがどんどん轟沈していくという(笑)」という旨の発言をしていることからも分かる。
 やや感性が特殊な人なのかもしれない。

 当時は司令官レベルに99という上限があり、その頃にはレベルがカンストしていた私は多少改善すべきことがあるとは思いつつも、まだ楽しく遊んでいたと思う。その裏で信者と呼ばれる人達は爆発的に数を増やしていき、集団心理によって次第に増長し、自分と艦これ運営を絶対の正義と信じて攻撃的になっていった。

 気が向いたら次『止まらない艦これ絵師と信者達の暴走』へ続く。

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