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#052 エッセイが読めない

「わたし、エッセイってなんか読みきれない」 知人が言ったその一言がずっと心に引っかかっていた 

ただわたしは文章にも相性があると思っていたからその時はあまり気にしなかった エッセイに限ったことではないがわたし自身もすんなり入ってくるものとそうでないものがあるのは経験としてあったから

エッセイというのは文体や内容に決まりがなく自由な文章だといわれている 好みが出るのも当然だろう またフィクションに比べて続きがどうしても気になる といった展開で読者を引き込み 最後まで読み切らせるのは確かに難しいかもしれない  

わたし自身は今のところジャンルに縛られることなく 文章を作り上げること自体の練習と自身の頭の中を整理する目的で書くという作業をこなしている

そのためジャンルはないのだが 強いていうならエッセイということになるのだろう そこでこのわたしの文章でいえば知人の言う「エッセイって読みきれない」というのは納得だ

継続してわたしが書く文章を読みたい 次が楽しみ と思う人は今のところ少ないだろう 

それはなぜか わたしの書く目的が答えなのかもしれない 自分のために書いた文章であり それは何の展開もないただの事実だから ここに記すわたしの文章はわたしが日々見聞きし感じたことのただその事実と考え方なのだ 何者でもない 特別な人生を送っているわけでもない無名の主婦の独り言のようなもの
何度かこのnoteにも記しているようにわたしの書く文章は 読んだ人が何かを得られるものではない 日記と変わらない それこそ「読みきれない」原因なのだ

つまり読まれるエッセイには読み手を引き込む力が必要で その人自身の持つブランド力なんかも大きく影響すると思う

わたしが好きなエッセイの中にフランスでの暮らしをテーマとして書かれたものがある

筆者にとっては日常の出来事なのだが 読んでいると自然と街の風景が想像できて無性にパリに行きたくなってくるのだ 初めて読んだ当時 エッセイの中に出てくる聞きなれないパンの種類なんかも気になって気になって フランス系のパン屋を探して手にとった日には緩む顔を抑えられなかった これが彼女がいうアレかと 本場のものとはきっと違うのだろうが それでもエッセイで初めて知ったものを実際に自分でも手に取っていることに喜びがあった

当時フランスに興味があって手にとったのだから読みきれて当然だったのかもしれないがフランスでの暮らしを綴ったエッセイというのはそれなりにあるはずだから もしかすると手に取るものによってはそこまで心惹かれなかったかもしれない

だからわたしが本屋でいくつかあるフランス関連の本から その本を何となくこれがいい と思って買うことにしたのにも相性みたいなものがあったと思う

エッセイを読みたい!と思って探すという人はあまりいないと思う この人が書いている本 これに関連する本として手に取られることの方が圧倒的に多いはず 小説などと違ってエッセイというジャンルの文章が読みたいんです なんて聞いたことがない

現実世界で生きている中では ドラマのような生活は皆無である しかしノンフィクションというジャンルの中で人を惹きつけるエッセイを書くには ドラマチックな生活が必要に思えてくる フランスでの生活がものすごく特別でオシャレに思えるのも彼女の描くフランスが文字通り優雅だったから

ではわたしのこの台湾での日常はどうなのだろう
きっとテーマを台湾生活に特化して書き続ければ一定の人からの支持を得ることは可能だとは思う ただし台湾生活を発信している人はプロのライターさん以外にもたくさんいてその中から選ばれる文章を書いていくことは簡単なことではない 


大学のエッセイの講義で教授が言っていたこと たとえ荒くても筆者が書くことに真剣に向き合って書かれたものは 読者にもそれが伝わる そういうものはたたいてしっかり修正すればいい作品になる
だから人に読まれるいい作品を作ろうというよりも 自分が楽しんで ときには苦しんだとしても逃げずに向き合って書くことが大切なんだと思う その中で何気ない日常に少しづつ色味が増していく それが誰かの感情を動かす作品になっていくのだろう 


結局のところわたしの場合はまだまだ修行中なわけだけど エッセイが読めない といった知人がいつかわたしのエッセイを楽しんでくれるようになったら嬉しい



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