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桜咲く春 キンモクセイ香る秋

春と聞いて何を思い浮かべるだろうか

桜 卒業 別れ 出会い 新生活

それぞれが人生の「春」にドラマを見てきただろう  多くの涙の背景には青空に映えた薄ピンク色の花びらが舞っていたはずだ

人生の節目の中に桜があったことは日本人であるわたしにとってある意味誇りであり その経験から得た感覚は尊いものだ

実を言うとわたしが生まれ育った東北の山あいにある田舎では桜が咲くのは当時ゴールデンウィーク前後(現在はもっと早い)で桜舞う卒業式や入学式を経験したことが無い

しかしなぜか記憶の中で春の行事の背景には桜が舞っているのだ テレビの見過ぎかもしれないが 実際多くの日本人の心の中ではそういった春の行事に桜が紐付いているはずだ

桜が散りゆくときには それまでの自分を惜しみつつ脱ぎはらって

青々とした葉のように 新しい自分へと生まれ変わる

そんな日本人の「春」が今後変わるかもしれない

”9月案”は新型コロナウィルスの影響による学校再開の時期を考える上で今こそ諸外国と足並みを揃えようとするものである  社会との摩擦や学年はどうする?今まで同級生だったのに?などもちろんこのほかにもたくさんの問題があってすぐに決断できないというのは知れたことなのだが

わたしが住む台湾の教育機関も9月始まりでそれ自体に全く異論はない

しかしふと思ったのだ 自分が持っている「春」に対するこの尊い価値観は一体なんだったんだろうと思う日が来るのかもしれないと

9月始まりということは6、7月に卒業を迎えることになるだろう

果たして9月、ワクワクするんだろうか

陽が沈んでいくような夏の終わりの切なさを何が支えてくれるだろう

何が新しいステージへと導いてくれるだろうか

「秋」という季節は好きだ 四季の中で一番好きだ

しかし9月というまだ秋も始まり切らない夏の名残のその時に『新』というイメージがどうも結びつかない

例えば「卒業 袴 桜」が「卒業 浴衣 花火」になってしまうのだろうか

「春」は一体どうなってしまうだろう なんて身勝手に春のことを不憫に思ったりするのだ

こんなことを考えたところで春は春だし秋は秋だ そしてわたしたちの「春」もきっと変わらないだろう 人々が変わっても雪解けとともに春は芽吹く わたしたちが見た「春」はいつまでも「春」のまま 思い出はずっとココに

そして

鈴虫の鳴く頃、新たな一歩を踏み出す 新生活の香りはキンモクセイ

なんていうのも悪くないかな

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