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#016 万物は戦争下にあり
1300年ほど前に書かれた古典文学が現代も生きた詩として読まれるというのはつまり 人類の生きる世界の情景はこの美しい詩の形とともに その時代に完成されてしまったのかもしれない
中国語を学ぶ中で中国文学にも興味が出始めている そこで最近中国文学の入門書を読んでおり その中で杜甫の詩に触れた
杜甫と聞けばだいたいの人は「あぁなんか聞いたことあるな」と思うのではないだろうか 中国文学に対して全くのど素人のわたしでもその名は耳にしたことがある
高校時代に漢詩を習う理由がわからず 日本独自の読み方で訳されたそれに美しさを感じることはなかった 漢詩の美しさは書かれた内容だけではなく韻律が大きく関係している そのため日本独自の読み方では意味理解こそできても俳句や短歌のような詩の響きによる美しさを感じ取ることは出来ない そんな当たり前のことに気がついたのも恥ずかしながら最近のことだ
ここではわたしが先日読んだ杜甫の詩「倦夜(ながきよる)」を紹介したい
竹涼侵臥内 野月満庭隅
重露成涓滴 稀星乍有無
暗飛蛍自照 水宿鳥相呼
萬事干戈裏 空悲清夜徂
竹の涼しさは臥の内を侵し 野の月は庭の隅に満てり
重なれる露は涓滴と成り 稀らなる星の乍ち有りてまた無し
暗きに飛ぶ蛍は自ずからを照らし 水に宿る鳥の相い呼ぶよ
萬事は干戈の裏なり 空しく悲しむ清夜の徂くを
竹林の涼気は寝床の中にまで侵入して来、野らの月の光は庭の隅々にまで満ちあふれている。竹の葉末(はずえ)に重なってゆく露はやがてしずくとなって流れ落ち、月空にまばらに浮かぶ星くずは、ふと見えたり、ふと隠れたりしている。物陰を飛ぶ蛍はわが身のまわりだけをそっと照らし、川に宿る水鳥はしきりに友達と呼びかわし合っている。わたしは思う、これらのものすべては戦争という不幸な状態の中にあるということを。わたしは清らかな夜のふけてゆくのをただ手をつかねて悲しむばかりである。
(杜甫詩選 黒川洋一編 岩波文庫)
この詩は目の前にある美しい夜の風景を描写しながらも その現実として存在する景色の全ては絶えぬ戦争下にあるものだとしている それと同時に自らの無力さを嘆いた詩である
この詩を読んでわたしは 杜甫が生きた世界と自分が今生きる世界が何も変わっていないのではないかと思えた 世界はずっと戦争下にある 今こうしている間にも争いは行われている それでも自分はここで何もできずにいることの虚しさと 反対に変わらずそこにあり続ける自然の風景が なんとも無情に思えるそのさまを 今このわたしにもはっきりと感じ取ることができる
中国文学入門の著者の吉川幸次郎氏も記しているように 杜甫の詩は古典文学でありながらも昨日のように新しく現代の詩のように感じさせるものだ
もしも杜甫が今この世界を見たとしたら 何を思いどのように詩うだろう
何も変わっちゃいないと嘆くだろうか それとも自身の詩がこの時代にも人々の心を打つことに喜びを感じるだろうか
この詩の中の情景が思い浮かぶこと 言葉を理解できること それが完成された芸術であること
世界は昔から何も変わっていないのかもしれないと思わせる杜甫の作品に ただただ感銘を受けるばかりだ
わたしはどうやら開けてはならない扉に手をかけてしまったようだ
参考:中国文学入門 吉川幸次郎著
引用元↓
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