#014 「いいね」に消えた喜び
SNSを利用していて「いいね」をもらうと嬉しいと感じますか?
わたしはもちろんもらえたら嬉しいと感じるけれども 本当に内容をしっかり確認して「いいね」と思ってくれたかどうかはわからない おそらく「いいね」というよりは「みたよ」という意味に近いのではないだろうか
わたし自身他人の投稿をパッと見て反射的に「いいね」していることがあるので特定の人の投稿に対して 見たら「いいね」を押すという行為が反射として身についている人も多いだろう
コメント機能を使う機会はめっきり減り 「いいね」で済ませたり 何か伝えたいことがあれば個人に直接DMを送信したりする 最近インスタグラムのストーリーにも「いいね」機能が使えるようになりDMのやりとりすらも減ったように思う
わたしは自分が発信したものに対して反応してもらえることに喜びを感じるタイプなので やりとりのないSNSにやりがいを感じなくなり始めている
見返りを求めているつもりはないけど 自分の発信に対してコメントやDMで反応をいただけることはわたしにとって喜びでありやりがいそのものなのだ きっとこれは発信者の多くがそうだと思う
今はインサイト閲覧機能もあって自分の発信がどのくらい人に届いているのかを確認することができる そのため直接的な反応がなくても目を通してくれた可能性は受け取ることができる それだけでもやりがいにつなげられる人もいるだろう
わたしが毎週欠かさずに配信しているこのnoteやPodcastに関しては 恥ずかしながら多くの方に見てもらうほど価値のあるものを提供している自信はなく 書いて配信するという行為も 期限通りやるということも全て自分自身の満足感や達成感のためだけにこなしていることだ そのため基本的に全く反応がないというのは想定内で 実際音声配信の平均再生数が3、4回だけどなにも残念に思っていない
しかし欠かさずnoteをチェックしてくれる友人が 先日SNS上でわたしが書いた前回の記事を感想とともにシェアしてくれていた
久しぶりに発信したものへの反応を受け取る喜びを感じた出来事だった
実を言うと 最近は筆がのらないとでもいうのか ネタを思いついても広げられなかったり まとめられなくてなかなか自分の納得いくようにできていない
それでも自分が決めた期限を守ることで 自分自身に対する信頼を築こうとしている 大丈夫、自分はちゃんとやれるんだっていつかの自分のために実績を積んでおきたいのだ
だから前回書いた記事の内容も自分からしてみれば あぁそういう自分の弱さが出てしまっているな と感じるものだった
それでも一度発信した言葉はわたしの中から離れたもの それを受け手である彼女が価値を与えてくれた そしてその事実がわたしの元に届いたことが心から嬉しかった
一言でもいい 感じたままに伝えることが 相手を救う 自分の言葉を届けることが喜びになるのなら わたしはやはり「いいね」にとどめることなくコメントやメッセージを送りたい
それは一定の時間と労力を要するとしても決して無駄なことではないと思う 機能の単純化によって失われたもの 思っていること感じていることを表現する機会は自ら作っていかなければ 今後もっともっと自分を言葉で表現できなくなっていく
だからこれからも言葉を届ける 言葉を交わす その喜びを忘れないように
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