雑音の中に身をおくこと
昔から移動中にイヤホンで音楽を聴くことが苦手だ(音楽が嫌いなわけではない)
単純に耳が痛いし 外の音を遮断することが怖いというのもあるが 移動自体を楽しめるということが理由としてふさわしいように思う
徒歩 自転車 電車 バスなど移動中のBGMは人々の話し声だったり 車内のアナウンスだったり 街のいわゆる雑音といわれるものが適している
(車の場合はイヤホンをする必要がないので音楽やラジオを聴く 昔は数年テレビなし生活をしていて家ではもっぱらラジオを聴いていた)
もともと乗り物が好きでバスや電車の車窓から景色を眺めるのが楽しみだった
この辺りを通るとこんなアナウンスが流れていたなとか このカーブでこんな音がするんだよなとか そうやって目と耳で記憶に刻むことがある
毎回全てのアナウンスを聞き取っているわけではないが 香りも記憶に残るように 音が視覚とともに記憶に残ることもあるだろう
徒歩や自転車の場合はまた少し違う 慣れない道を通る場合は特に写真に収めるようにして通った道の景色を脳に焼き付ける 静止画だからそこに音は必要ない
そうやって脳に収めた写真のおかげで一度通ったことがある道で迷うことは少ない
慣れた道なら”無心”これに尽きる この無心こそわたしにとっては大切な時間であり ある意味で大切な場所とも言える
歩くことも結構好きで 一度に2〜3㎞ 時間にして30〜40分程度なら日常的で全く苦にならない 日本に住んでいた時は仕事終わりにボーッとしながら歩いて帰る時間が一種の癒しだった
”無心”と言っても実際に思考停止することはほとんどなく 考え事をしたりしているわけだが 立ち止まったり部屋やカフェなど 一定の場所にとどまってする考え事よりもモヤモヤ感が少ない
その都度内容の重さは違えど 自分の内面に耳を傾けるこの時間はストレス解消に不可欠だ だからこそそこに意味を拾ってしまう音楽はBGMに適さないのかもしれない 意識を内側に注ぐには美しいメロディでも無音でもなく雑音くらいがちょうどいい
雑音の中に身をおくこととして度々海外に一人旅をしていた
日常的にこうして浄化をしていてもストレスは時に対処できないほど重くのしかかることがある
仕事をしていた時 度々重くなったそれを解消するために未知の場所へ自分を連れ出していた 場所はだいたい英語以外に現地の言葉がありそれを全く理解できないところ 理解できない言語は雑音と同じでそれはわたしを不快にさせることはない いい言葉はもちろんだが嫌な言葉が聞こえないということがわたしにとって快適そのものだった
台湾に住み始めてから妊娠出産育児と慌ただしく 中国語をほとんど理解できないままで生活上不便に思う一方で マイナスな言葉に触れる機会のないことがストレスの少ない生活を続けられた一つの理由であることは間違いない
結局 大学の言語センターに通い始めてから半年以上が経った今でも街の人たちの会話はまだまだ雑音に近く全てを理解できないのだが 今はその雑音感よりもこの地の温かい人々とコミュニケーションを取れることの楽しさや大切さの方が快適な暮らしに必要なように感じている
もしもこの地の音に疲れてしまったときには また違う場所にでも自分を連れていってあげよう あるいは日本に帰って懐かしい音と景色の中に身をおくのもいいだろう
当面の間は大学への通学路の雑音がわたしを独りにさせてくれるだろうが 今後は暑さの方が心配だ