#1 新米の季節に
炊飯器をやめておよそ一年がたった
昨年ついに念願叶って手に入れたstaubの両手鍋 最初は無水調理のためにと思っていたから 肉じゃがやカレーなんかで主に活躍してくれた
そしてある日お米も意外と簡単に炊けることを知って すぐに試した
これが当たりで 今まで炊飯器で納得できなかった炊き上がりを 一気に超えたのだ 炊きたてはもちろん冷めた後の状態にも大きく違いがあって 米の種類は同じなのにこうも違いが出るのかと驚いた
その頃 友人との間でとあるお米が話題になっていた 日本のミルキークイーンという品種を台湾で作ったものだ 近所のスーパーでも買えるとあってすぐに買いに行った
普段はコストコで日本産のものを購入していたから コストコに行けなくても手に入るのはありがたいことだった
早速staubで炊いてみると 炊き上がりを見て顔が緩むのがわかった こりゃあいいと思っていたのだ 初めてstaubでお米を炊いた時にも同じ顔をしていたと思う いざ食べてみると味、食感共に文句なしの炊き上がりだった
米を炊く手順はシンプル
1.二合に対して200mlの水を注ぎ火にかける 2.沸いてきたら一度混ぜて弱火にし蓋をして10分 3.その後火を消してそのまま15分放置 4.15分経ったら蓋をあけ混ぜ起こして終わりだ
おかずを作りながらタイマーで管理してやるのでズボラのわたしでも無理なくできて なんだかんだ一年続いている
結局カレーはフライパンで作るのが定番になって staubはほぼお米専用になりつつある
なかなか日本に帰れない今 料理があまり得意ではないわたしでも美味しいお米を炊けることはせめてもの救いだ
そろそろ新米の季節 とある光景が目に浮かぶ
風の温度が変わる頃
目の前に流れる景色は黄金色になっていた
「うちの稲刈りいつ?」
地平線まで続く黄金色の海を車窓からぼんやりと眺めながら聞いた
「来週かな」「そろそろだよね、あとで聞いてみないと」「え、今年はもう終わったよ」
などなど、母親が答えるそれは毎年聞くタイミングのせいなのか様々だったが わたしは毎年決まって車を走らせている母の背中に聞いた
聞いたところでわたしは手伝いに駆り出されるわけでもないから そのあとの返答は大体「ふーん」くらいなものだ それでも目の前を流れていく黄金色の景色がその時期がきたことを知らせる 弾むわけでもないそのやりとりは車の中でふわっと交わす程度がちょうどいい
わたしにとって当たり前だったのは 車内で交わすそんな会話や 風になびくその美しい景色だけでなく 黄金色から生まれる真っ白なご飯が 金銭による取引なしで手に入るというところまでがセットだった
母がたの祖父が作るお米で育ったわたしは成人するまでお米をお店で買ったことがなかった 18歳で田舎を出てからもお米は必ず送られてきた だから米の値段を知らなかった
ずっと祖父のお米で育ったとはいえ お米の味にそこまで興味はなかったし 学校給食や外食などで他人のお米を口にする機会はいくらでもあったから正直米の味にこだわりはない
だから「恵まれている」とか「美味しいお米で育ったんだね」とか言われてもよくわからなかった
祖母や母も米の炊き方にこだわりがあった様子もなかったし 特別こうしなさいと教わった記憶もない お米に対してさほど興味を持たないまま大きくなったわたし 実家のご飯の美味しさを感じるようになったのはおそらく実家を離れてからだろう
台湾に住み始めてから お米は本格的に買うものに変わり 入居時に備え付けてあった炊飯器で炊くそれに納得できないことが増えた
米の種類や洗い方を変えたり 水の量を調節したり 試行錯誤はしてみたものの 炊きたてはまずまずになっても 一度冷めてしまうとその差は歴然
この日常の小さな不満は 帰国時のご飯が楽しみになった一つの要因だ
祖父の稲作に後継者はいないので やめ時は度々話題になっていたようだが 孫に食べさせるためだと言って高齢になってもやめず そのうちひ孫が食べるようになってやめ時を逃していたそうだ
ひ孫であるわたしの娘が初めて口にした10倍がゆも祖父のお米で炊いたものだった
しかし体のこともあって 数年かけてゆっくりと退く形をとった
台湾に住んで 祖父が老いて 当たり前じゃなくなったお米の美味しさ
やっとわかった「恵まれていた」意味
感謝していないわけではなかったけど 当たり前を届け続けてくれた祖父の愛情を噛みしめるようになったのは本当に最近のことだ
きっと今わたしが口にしているお米も誰かが愛情を込めて作ったもの 少しでも美味しく食べられるように工夫することが 生産者への感謝にあたると思えば ひと手間かける喜びも感じられるものだなぁ
「うちの稲刈りいつ?」
今年もそろそろ どこかで誰かが言っているかもしれない