私はシンデレラにはなれないけど
※詳細に私の過去を記しています。キツイ方は見るのを推奨しません。
※本当に見たい人だけ見てください。
配信という媒体で、
お金を貰う以上、なぜ必要なのか、何故こうなったかは軽く面白くお話してきました。
でも、ちゃんとは話していない。
なので、ここでさらけ出します。
今は全てここに書いていることは、許してる事になります。
神成というIRIAMでの人生ができる前のお話。
あるところに、小学生2年生がいました。
誰とも話す気もなく、誰とも仲良くもせず、1人で本を読んで楽しんでいる子供でした。
その子は、いつも思います。
『なんで、皆あんなに笑ってるんだろう。』
そんな子は、家に帰ると親に大きな声で言いました。
『ただいま!今日友達と鬼ごっこしたんだ!楽しかったんだ!』
…ちょっと待てよ?
そうなると思います。
そう。嘘ついてるんです。この子。
それが私でした。
小学2年で分数、少数、その他化学を突破し、微分積分まで辿り着いていたんです。
そんな私は、周りに友達なといませんでした。作る気はあったけれど、周りはそれを良しとしなかった。
でも、親は友達がいないことを良しとしない。
そんな、複雑な状況下で生きた子供時代。
いじめも受けていたし、親からの圧もあった幼少期。
1度だけ、親に助けを求めたことがあります。
『後○○年待てば、卒業なんだからいいじゃない。』
それから、頼ることをしなくなりました。
嘘をつき続けました。
その時に思ったこと。
どうしたら、信じられる嘘がつけるのだろうか
高校生の頃、そんな人生で、覚えているのは、
『一時保護を受けた場所の、
鉄格子がついた窓から見える夜景』
それだけ。
『高校2年生から高校卒業後(専門も少し含む)』が、記憶から抜け落ちている。
心因性健忘症になってました。
未だに許せないのがひとつ。
このせいで、微分積分から何からあやふやなんです。
小学校の勉強を大人になってから進めてます。
それくらい抜け落ちました。
でもその分いいことがありました。
『貴方ラジオパーソナリティ向いてるよ』
『貴方はエンタメで生きてるんだね』
そう言ってくれた大先輩の声優の先生たち
ある日、セロ弾きのゴーシュをやっていました。楽長が、ゴーシュに向かって、「全然なってない。」と叫ぶあのシーン。
私はある一人の人が苦手でした。
〜だから、〜かな、〜って言ってたから、その言葉を多く使った人でした。
私は今までの人生を自分で責任持たなければいけなかった。頼れなかった。彼女は頼れる人生を暮らしていた。それが、…辛くて苦手だったんです。
誰も、1人として発表する時に自分のいる場所から動かない中、
私は、彼女の前にまで行って、言いつけました。
「全然、なってない!」
それが、先生に褒められた1度目。
『誰かの心ってね。
自分の心が入ってる声で、
やっと動くんだよ。
喋らなきゃダメなの。自分の言葉で。』
それから、私は色々な演技の勉強をした上で、
一般職に着きました。
しかし、親とは離れることは出来なかった。
そして、鬱で休職し、
実家に支払う金が作れず、何とかアルバイトをしていたある日
少しの切り抜きですが、
これが決定打となりました。
アルバイトをしていたのは、今の店長の職場。
今の居酒屋です。
無理くり店長とタッグを組んで一人暮らしした私は、こうして今IRIAMで活動しています。
あの時は嘘のためだったけど、
今はホントの気持ちを出していきたい
それが誰かの楽しいひと時になるなら
色々なところで、やりくりの関係で、そして親との関係で私は借金も作りました。
でも、親に頼れない。
未だに頼れる場所がない。
だからこそ、頼れる場所を作っていきたい。
あの日の私が、
独り言で言ってたことがあります。
『帰りたい。』
家にいても、外に居ても。
帰れる場所であれるように。
シンデレラにはなれないけれど、
オオカミ少女には慣れたけど、
あの日の私を、それに似た境遇の誰かが、
頼れる場所に。
笑える場所になりますように。
ちなみに今は、
親と普通に話してます。
ただ距離は置いてだけど。
遠いからこそ、
いいこともあるよね。
あの時はああ言うしか無かったんだと。
理解してるからこそ、
許してます。
ここに産んでくれたことをありがとう。
生きてるみんなにありがとう。
誕生日迎えたね。
私。