長女3歳になる
長女はち、3歳になる。おめでとう。
かわいい小さな手で2歳を示すピースを練習し始めたのがつい昨日のことのように思えるが、確か2歳前になんとなくできるようになったのでもう指の使い方は完璧なのかもしれない。歌が大好きで、家ではずっとぴょんぴょんとんで落ち着かない、偏食のかわいいかわいい私のむすめ。
いまだに産んだ実感がいまいちないというか……気がつけば家にいたかのような。3年前の私はまだ緊急帝王切開での出産となるとは夢にも思っていなかった。
胎児の成長が遅いと出産予定のクリニックで言われて、紹介状をもらって、夫に急ぎ連絡して1番早く予約が取れた日(結局それが出産日となるのだが)まで不安に苛まれながら過ごしていた。
もしかしたら管理入院になったりするかも、とまだ34週だから早いかなと思いながら、入院の準備をしたことは覚えている。
当日は暑かった。受診後に買い物でもしようと思っていたくらい夫婦でのんびり病院で待っていた。尿検査、血圧測定、体重測定をして、腹部エコー検査で技師さんに見てもらい、診察になるまでがなかなか呼ばれず待ちくたびれていた。
診察室でドップラーと再度エコーをした際に、言われたことがショックだった。
「胎児の成長が週数の割にかなり遅れていること、臍帯の血流が不足しており胎児が酸素不足になっていること、血圧もやや高いのでこのまま妊娠継続するのは望ましくないので今日だします。」
赤ちゃんに苦しい思いをさせていたとは全く気が付かず、ショックで泣いていた。無事であることを願って、泣きながら手術に同意した。その後待合室で呼ばれるのを待っていると車椅子を持って助産師さんが私を迎えに来た。これもショックで覚えている。
そのまま病棟に行き、ルートを確保して、NSTをとられて、病衣に着替えて、落ち着かないうちに気がつけば手術室にいた。
今日は麻酔科医がいる日だから良かったねと言われたことは覚えている。でも硬膜外麻酔辛かったなぁ。尿道カテも麻酔効いてるのに辛かった……
お腹切られているのも辛かった、けどそれ以上にちゃんと育てられなかった自分が情けないというか責めるしか選択がなくて、ごめんねごめんねと赤ちゃんに話しかけていた。お腹の中をぐるんぐるんとかき回されているような、なんともいえない気持ちの悪い感じがした後赤ちゃんが生まれたと言われて連れてきてもらえた赤ちゃんはとてもとても小さくて、赤ちゃんに触れていいですよと言われたのに怖くてなかなか手が出せなくて、指でほっぺに触れたがあまりにも弱々しい生き物だと感じて嬉しいのか悲しいのか分からない涙が止まらなかった。
その後すぐにNICUへと連れて行かれた。1ヶ月弱NICUとGCUの入院を経て、帰ってきてからも長女が心配で心配で、今もまだいろんなことに心配だけれど、写真を見ながら当時を振り返りながら、成長を実感できている。ここまでよく育ってくれました。ありがとう。
最近は次女にかかりきりになる分、あまり構ってあげられていない。その分、一緒に遊ぶ時はいろいろしてあげたいが本人に届いているかは分からない。