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MMDの歴史と文化圏醸成についての考察

 16年という歳月は、歴史にとっては僅かな記載に留まる期間ですが、人生にとっては決して短い期間ではなく、文明においても機転を得るには、十分な期間と言えます。

 2008年2月24日に生まれたMikuMikuDance(3DCGアニメ制作ツール。MMDと略)は、『樋口優』というハンドルネームを持つ一般人が、趣味で開発したツール(道具)です。このツールは、ニコニコ動画という動画投稿サービスにて公開され、即座にITmediaやAscIIといった大手ウェブメディアで取り上げられました。
 これは2007年8月31日に発表された、クリプトン・フューチャー・メディア社の合成音声歌唱ツール『VOCAOID2 初音ミク』の登場から半年後というタイミングで出た事も影響しています。
 初音ミクはその半年間の間でまたたく間に広がり、初音ミクのキャラクターモデルを作成して動画として発表されていた期間でもあります。
 そんな中、初音ミクファンのいちユーザーとして、樋口氏はBlender(3DCG総合ツール)を使ってダンス動画を作りましたが、その苦労は大きなものでした。できるだけ軽く簡単に動かしたいという想いから、MMDが生まれ出て来たのです。

 世界は、「MMDがこれだけ流行るとは──」という本人談とは関係なく、ネットワークコミュニケーションの発達、コンピューター・テクノロジーの進化と共に、MMD文化圏は広がり続け、今なお使われ続けている道具です。
 その理由は、「MMDが小学生でも分かるようなデザイン」がされており、簡単に利用できることにあります。そして何より、操作結果が即座に反映し、視覚的に見れることにあります。上記の説明動画を見るだけで、専門知識が必要である3DCGを、普通の人でも若年層でも、即座に使えるのです。
 実際筆者は、MMDのオフ会などで、保護者同伴の小学生参加者とお話する機会がありました。MMDの使いやすさは、小学生に対しても実証済みなのです。
 誰でも簡単に、難解な知識やマニュアルが無くともテクノロジーが使えるというコンセプトは、Apple社製品コンセプトと同じであり、今現在でもMMDユーザーが絶えない理由の一つでもあります。

 この文献は、そんなMMDの歴史を振り返りつつも、独特な文化圏を持つコミュニティにどうやって発展したのかを分析しつつ、筆者自身の体験を元に思考実験・考察をしてみるものです。
 この文献は、万人向けではありませんが、MMDユーザーならびにこれから成長するであろうメタバース文化において、些細な助けになる事を祈りつつ、皆様にお届けするものです。

諸注意

 あくまでもこの文献は筆者の主観と保持している資料と取材によるものです。学術論文のような正確性はほぼありません。一部のMMDユーザーによっては認識が異なることがあります。
 特に年代区切りやインタビュー内容等は主観的なものも多分に含まれているので、「文化史的分析エッセイ」です。事実と異なる場合、誤字脱字などは、コメントかX(Twitter)にてご一報頂けると助かります。再検証した上で、適時修正更新していきます。
 MMDにまつわる公式的文献も少数であり、比較的正確な資料は『VPVP Wiki』のものとなりますので、併せてご利用ください。
 余談ですが、MMDに触れている論文が米国で発表されていたりしますので、探してみてください。

※:作者は可能な範囲で第三者的視点で記載していますが、主観による情報も、多く入り混じっています。正しい情報は必ず検索をかけ、他ソースと併せて検証してください。


MMD黎明期(2008年~2010年)

MMDの登場とその背景

 MMDの発表はニコニコ動画で行われたので、MMDユーザーも同サービスで自分の作品をアップロードする傾向が強いです。当時はまだ、コンテンツツリーやクリエイター奨励プログラムなどはありませんでした。ニコニコ動画の有利な点である「タグ検索」が強力だったので、タグによってMMD発表動画と紐づけができるようになっています。
 今現在でも、影響が非常に強い特異性が、ニコニコ動画にはあります。

 ニコニコ動画を創設した会社『株式会社ニワンゴ』(現:株式会社ドワンゴ)の取締役管理人は、元2ちゃんねる管理人の『ひろゆき』(西村博之)氏です。氏の存在の影響は強く、ニコニコ動画は2ちゃんねるの文化的遺伝子を、一部受け継いています。罵倒的コメントや、目立つ赤文字、コメントアートなどがそれに当たります。

▼ 2ちゃんねんる文化においての、動画作品発表
『2ちゃんねる』(現:5ちゃんねる。1999年5月から運用開始)は匿名掲示板であり、自由に発言できるものです。ニュースメディアなどで言われる『匿名掲示板』は、2ちゃんねるのことを指していることが多いです。

 また、ほぼ同時期に、ブラウザで見れるアニメーション動画の制作がオコなるツールとフォーマット『Flash』が米国で生まれています(Macromedia社製。後にAdobe社が買収)。2ちゃんねるでもFlashを取り扱っている専用の掲示板がありました。この掲示板では、Flashムービーの作り方のスレッド(話題)や、お題に沿った内容の作品発表をする遊びイベント、大々的にクリエイターを集めての参加型イベントなどがあり、MMD文化圏の原点はここにあります。初期のMMDユーザーの一部には、これらのイベントに参加していた人も居ました。
 FlashムービーはWeb広告にも使われ始め、多くのクリエイターは広告デザイン業を営んだり、同人活動でムービーの頒布を行うことを生業としていた人も居る──そういったメディアでした。
 最近公開された、マクドナルドのWebCM『マクドは大変なものを作っていきました』は、この2ちゃんねるFlash掲示板が派生元です。

 後述する第2回MMD杯優勝者である『ポンポコP』は、Flashムービークリエイターの一人でもありました。その要素はその後のMMD杯参加作品にも色濃く出ており、MMD文化の原点となっています。

▼2ちゃんねるからニコニコ動画へ

 ニコニコ動画にはこれまでの通り、2ちゃんねるの遺伝継承がされており、特色である『コメント表示機能』『タグ検索の利便性の高さ』という特色で、遺伝継承されつつ進化変異していきます。

 独自性があり競合となる動画投稿サイトはYouTubeくらいしかありませんでした。ニコニコ動画を追いかけるように国内でも様々な動画サービスはいくつも開始されていましたが、収益性の悪さから撤退するものも多かった時期です。現在でも生き残っている大手は『FC2 動画』ですが、こちらはアダルトコンテンツ向けという印象が強く出てしまい、競合とはなり得ません。
 当時のYouTubeはGoogle(Alphabet社)に買収された直後であり、システムも画質も、検索の利便性すら貧弱なものでした。一方、ニコニコ動画は国産サービスでもあり、日本語での親和性が取りやすいサービスシステムです。

 2ちゃんねる文化、そしてその流れを組むニコニコ動画という動画メディアサービス。さらには2007年8月に生まれた『初音ミク』という存在が混ざり合い、大阪のお好み焼き以上の独特なカオスさを持って、半ば自然派生的に進化し始めます。
 そして冒頭の通り、『樋口優』氏がMMDを創り上げたのです。
(※:初音ミクについては別文献を参照にしてください)

 MMDが何故注目されたのかは、初音ミクの存在が大きな原動力ではありますが、それだけではありません。
 樋口氏が体感した通り、当時の3DCGツールは数十万~数百万円の高価なものであり、ソフトウェアだけでなく高性能なPCが必要でありました。 
 その中でも、3DCG総合ツールである『Blender』は、オープンソースで無料で使えるものです。しかしこの時点では、まだユーザーインターフェース(操作画面)が難解であり、かつ一般的なPCでも動きはするものの、非常に重い(遅い)ものです。リアルタイムで3Dモデルを表示させる事が難しいものでした。
 そうした中、高性能PCではなく、一般的なノートPCでもリアルタイムで動く3DCGツールであるMMDは、大きなインパクトを持って登場したのです。

 本来の3DCGツールでは、自分で3Dモデルを設計・作成し、動くようにプログラムし、動画ファイルを生成するのに、1コマあたり数分~数時間掛かるような作業を必要とします。また、これら作業を行う上で必要な手順や知識を得るためには、専門書を購入する以外にありません。

 MMDを立ち上げた直後には、初音ミクモデルが初期ポーズで立っている。モデルの読み込みやセットアップすら必要なく、すぐさま初音ミクを動かせるというのは、常識外のものでした。
 MMD発表の翌日には、ユーザーが初音ミクを動かした動画をアップロードするという、驚異的なスピードで展開していきます。当時の3DCGを知る人間だけでなく、いずれは3DCG作品を自分でも作りたいと興味を持っていた人の心に、深く刻まれました。
 まるで雷撃に打たれたような衝撃を覚えた者は、数千人に及んだことが今も脳裏に刻まれています。

MMD作者『樋口優』という人物

 筆者は幸運に恵まれ、樋口氏を酒席に招く事ができ、少人数(筆者含めて4名)ではありましたが、様々なことをインタビューする機会を得ました。その内容を全て公開する事はできませんが、個人特定できない範囲で、筆者が感じた彼の人となり、そしてどのような背景でMMDが生まれたのかを知る機会を活かし、記載します。
 個人的な付き合いであり、長い間秘匿していましたが、この後に訪れる仮想世界(メタバース)やVTuber文化、AIテクノロジーとも深いかかわりを持ち始めたので、この時期をもって一部公開します。

 樋口氏は一般的な普通の人であり、多くの人がそうであるようにサラリーマンでした。家族構成や本人の属性については、個人情報保護の観点からこれ以上述べません。
 まあ、有り体に言えば、ただのオタクでした。

 ハンドルネームの由来は、当時樋口氏が好きであったマルチメディアコンテンツ『ひぐらしのなく頃に』の「厨(ハマっている人の意)」をもじったもので、深い意味は無いそうです。
 このハンドルネームを使用したかどうかは分かりませんが、彼は同人活動を行っていました。何人かのチームで、ノベルゲームを創る事をしていたようです。詳しくは聞いていませんが、ゲーム背景を3DCGで創るという事だったらしく、Windows OS上にて動くBlenderを利用したり、独自ツールを作成した経験がありました。
 樋口氏は元々趣味プログラマーであり、独学でプログラミングと3DCGの基礎を学んだようです。
 そうした同人活動を経て、Blenderに苦戦し「無いなら造る」の精神でMMDに着手しました。
 Blenderで苦労された動画はこちらです。

sm1072801で以前配布されていたモデルをどうしても動かしてみたくて、素人が無料ソフト(blender)で3Dムービーに初挑戦してみました。歌はsm1085518から借りています。
3Dムービー作るのがこんなに大変だとは知りませんでした。ひでー目にあたよ><
【追記】初投稿がいきなりランクインしてビビり気味の素人です。ありがとん! sm1437743にアニメ風にしたバージョンもうpしてみました。

動画説明文より - 樋口優

 リンクに貼られている配布モデルは、『あにまさ』氏の手によって造られた初音ミクモデルです。この後、MMDに同梱されるシリーズの一番最初となるモデルでもあります。

「いや、マジでね、徹夜してもレンダリングが終わらないとか知らなかったし、上手く動いているのかどうか確認するだけでも一苦労。もう二度とやるか、と思いましたよ」

酒席にて - 樋口優

 その後、樋口氏は自分の言葉を守り、Blenderで作成した動画は今現在でも発表していません。

 こうした背景があったうえでMMDを作成し、版権元であるクリプトン・フューチャーメディア社と係争問題にならぬよう事前に手を打ち(詳細は秘匿事項です。筆者も知らされていません)、MMDの発表に至りました。

 樋口氏は非常に物腰が柔らかく、かつ思考も柔軟であり、社会人としても立派な人であると推測しています。個人事情もあり、公に出ることを避け、ひっそりと活動する事を望んでいます。
 今現在でもそうであり、きっとのんびりスローライフを送っている事でしょう──でなくとも、そうであって欲しいと筆者は願います。
(まぁ世情も色々あったので、のんびり生活とは違うでしょうけど)

 直接お会いできたのは1~2度程でしたが、筆者がMMDでの活動をするにあたり、問い合わせなどが必要な場面が幾度かあったので、ネットでの連絡は取っていました。もっとも、氏の意向を汲み、必要最低限のものに収めています。今後もこの方針は変わりません。

 そんなただの趣味プログラマーが、数多の人生を変える事になったのか──。

初期のMMDコミュニティ

 こうして、MMDユーザー(以下一部MMDerと表記)は、こぞってMMDを、初音ミクを弄り倒し、可愛く動かす者、妙な格好をさせる者、楽曲に合わせたMVを造る者──と様々な形で、誇張なく毎日新着動画がアップされていました(発表直後から毎日10作品~20作品ほど)。
 そんなMMDerたちは、自主独立しており、横の繋がりはニコニコ動画でのコメントのみの状態でしかありません。2ちゃんねるの文化系統も影響し、コメントは称賛ばかりではなく、罵倒するものも多く含まれています。
(現在では自動フィルタリング機能がありますが、フィルタをオフにすれば当時のコメントを読めることでしょう)

 2ちゃんねるは既にサービス終了し、ネットアーカイブでも当時のスレッドが残っているかどうかは調べていません(本稿とは話がズレるので)。
 MMD発表から少し後に、2ちゃんねるのYouTube板に、最初で随一のMMDスレッドが立ち上がりました。
『【MMD】MikuMikuDance総合スレ【初音ミク】』
 これがMMDer唯一の相互会話が可能な場でした。言うなれば、近所の空き地に集まった子どもたちの遊び場所です。
(今では空き地はほぼ無くなり公園でしょうけど、ドラ◯もんモチーフとして……)

 匿名掲示板なので、当時は誰と誰が話してたかは分かりませんが、初期組の中にはプロの3DCG関係者や職業プログラマー、デザイナーから高校生まで幅広く活動していました。
 2ちゃんねる文化の特徴である、真面目な会話と罵詈雑言が入り混じったカオスさは、毎日アップロードされていたMMD動画に反映されていることでしょう。
 MMD発表から半年間ほどは、この場所がMMDコミュニティの始まりの地となります。

 半年後になると、IRCチャット(専用ツールを使用したリアルタイムチャット)にてMMDerの中でもアクティブ系の人(積極的コミュニケーションを図る人)がIRCの専用チャンネルに集まりました。
 おおよそ、数十人の規模のチャンネルです。
 この時期は、筆者が月間ランキング動画を作っていたのでおおよその数は記録していました。MMDを使って動画作品を発表しているユーザー数は、おおよそ数百人~千数百人程度だっと記憶しています。
(正確な集計データは、バックアップがあるものの現在読取不能)
 ですので、IRCには数%~10%程度の人が集まっていたことになります。日常的に会話をしていたアクティブな人数は10人前後です。

 これがMMDerの総数とアクティブ系ユーザーの規模感です。後述するMMDの動画発表イベント『MMD杯』の影響もあり、ユーザー総数は右肩上がりになりました。
 また、MMD情報を集約する『VPVP Wiki』(創設者:pianika氏)も作られ、様々な技術情報や、配布されている3Dモデルファイルの一覧が見られるwikiもできました。
(初代管理者が作った後、筆者も編纂者として参加していました)

Pmdエディタの登場(ユーザーモデルの始祖)

 2008年9月には、Pmdエディタ(今でいうPmxeditor。MMD向けモデル作成ツール)が発表され、初音ミクモデルだけでなく、ユーザーが作ったモデル(主にボーカロイド関係)が作られ、MMDで使えるようになります。『◯◯式初音ミク』モデルなども出始めました。最初は初音ミクのバリエーションモデルから始まり、段階的にボーカロイド、そして二次創作版権キャラなどに展開していきます。

 Pmdエディタの作者は、極北(きょくほく)Pというプログラマーの方の作品です。この時期では、MMD用のモデルデータを作成する唯一の道具でした。
 詳細は省きますが、匿名のMMDユーザーたちが、2ちゃんねるのMMDスレッドにおいて技術情報をやり取りしつつ、樋口氏を差し置いてユーザーが勝手にファイル構造・データ構造を解析していたのです(無論、樋口氏も認識しており、恐らくスレッドに書き込んでいます。黙認状態です)。それら分析データを元にして、極北Pが作り出したのが、Pmdエディタです。

 MMD作品を紹介する「MMDランキング動画」が4月から始まり(4月~6月は初代ランキング作者『hanya』氏の手によるもの。MMD杯草案もこの方です)、7月には初のMMDイベント『第1回MMD杯』が開催され、9月にはPmdエディタが出て、10月にIRCチャットコミュニティが運用され始める──こうした毎月・毎日が忙しなく過ぎ去りつつ、MMDコミュニティと関連ツール、そしてMMD本体も進化していきました。

SNS『ボーカロイドにゃっぽん』

 翌2009年に、ボーカロイドファンが集う事を目的とした、会員専用SNS『ボーカロイドにゃっぽん』(以下、にゃっぽんと略)が運用開始されました。
 このSNSサービスは個人が運用しており、企業運用のSNSサービス『mixi』(株式会社ミクシィ)と同質な機能を備えていたので、ボーカロイドクリエイターはこぞって参加しました。
 MMDerも飛び込むようにこのSNSサービスに会員登録し、手当たり次第、他のMMDerに招待状を、まるで果たし状のように叩きつけ、にゃっぽんに引きずり込みました。
 無論筆者も、樋口氏、極北P氏らに、招待状を配達証明付きで送り出しました(やや誇張してます)。
 このSNSは、一部の利用者に限られていた2ちゃんねるやIRCとは違い、一般的にも親和性があるSNSシステムでした。2ちゃんねるを忌避する層やIRCの存在を知らない層も参加し、MMDコミュニティーと横の繋がりが激増した切っ掛けとなります。
 樋口氏や極北P氏といった方々とMMDユーザーサイドとの垣根もなく、お二方の意向もあり「神格化や過度な持ち上げを禁止」ということも浸透し、同じ立場でのやりとりが平和に行われていました。
 mixiライクなSNSという事もあり、罵詈雑言のやり取りはなく、至って温和であったので、筆者は『MMDの温室』と呼称しています。

 このSNSの存在は今でも語り継がれ、MMD初期勢は懐かしき黄金時代のように語ることがしばしばある存在です。
 この存在が大きく影響し、文化圏はいっきに成長期へと登りつめます。

MMDイベント『MMD杯』をはじめ、数々のユーザーイベント

 ニコニコ動画では初音ミク登場以前より、ジャンルとして『東方Project』『アイドルマスター』の二次創作やMAD(版権動画などを編集したネタ動画)の動画を集うユーザーイベントが活発な時期でもありました。特に『東方project』では楽曲アレンジクリエイターとイラストレーターが多く、『アイドルマスター』(アイマスと略)ではエンジニア系、アート系クリエイターなどが比較的多く活動していました。これにより、当時の低画質状態でも高品質なイベントが開催されている最中です。
 そして、MMDに限らず、AVIUtl(動画変換・編集ツール)、Ut Video Codec(可逆高圧縮動画コーデック)という、どちらもアイマスファンのエンジニアユーザーが、動画作成の為のツールをリリースしていました。
 これらのツールのお陰もあり、Adobeなどのプロ用ツールを購入するまでもなく、MMDはより簡単に素早く動画作成を行う事ができていたのです。

 そうした背景もあり、MMDでもユーザーイベントをやろうと、2008年5月に立案されました。
 先述のとおり、その時期はユーザー同士のコミュニティが2ちゃんねるしかなく、そこでイベントについて話題になりました。立案者である『hanya』氏は、肯定的意見よりも否定的意見の方が目についてしまい、結局は開催を諦めることにします。ですが既にイベント用動画を作成していたユーザーからはクレームが入り、hanya氏は板挟み状態に陥ってしまいました。
 イベント運用のノウハウを偶然持っていた筆者が、hanya氏と相談した上で引き継ぐことになり、『第1回MMD杯』を半ば強引に開催・運営し、奇跡的に無事終了を迎える事ができました。

 第1回は緊急避難的に開催した事もあり、筆者独りで行いましたが、これはリスクを多く孕む行為でした。シンプルに言えば、独りよがりになる可能性があったのです。
 それを避ける為、終了直後に第2回開催の企画を始め、少人数の希望者を集い、複数人による委員会形式にて第2~4回までの開催を行いました。
 ある程度リスクヘッジが採れる事が分かったので、『選考委員』という制度を立案・実行。優秀な作品を称えるのではなく、単にいちユーザーとしてボーカロイドやアイマス、東方で作品を作ってる方を招き、MMD作品が他のユーザーにどう見られているのかを明示化するコーナーを設ける事ができました。これは結果的に功を奏し、その後の開催でも継承されていきます。
 第4回以降用に運用マニュアルを作成し、活用されたかどうかは分かりませんが、『cort』氏というMMDerの方へ引き継ぎ、筆者はとっとと引退しました。こうする事で黎明期から成長期へとイベントを進化させる事ができるので、後ろ髪をひかれる事なくすっきりとやめる事ができたのです。

 また、第1回MMD杯の開催直前の混乱時に、風俗店などでよく使う浴室用品がアクセサリ(今でいうモデル)が発表され、それを使ったネタ動画を集めるイベント『第1回SKB杯』というとんでもないイベントが主催不明(正確には2ちゃんねるスレッド企画)として急遽開催され、ネタ動画が沢山集まるという場面もありました。
 そういった意味では、MMDでもユーザーイベントは成り立つという事を実証した最初(本当の意味でのMMD初)のイベントです。

 この流れの中、ある程度特化させたユーザーイベントがいくつか開催され、MMDというツールとジャンルの確立と、認知度向上に貢献していきました。

関連ツール『MikuMikuEffect』

 現在ではMMDユーザーにとって無くてはならない存在である『MikuMikuEffect』(MMDの追加機能。エフェクトを追加できるツール。以下MMEと略)は、2010年9月18日に発表されました。作者は『舞力介入P』というエンジニア系MMDユーザーです。
 この技術は、API HookというWindows DirectX9技術であり、当時は先端的なプログラミングテクニックを利用したものです。舞力介入Pは、MME発表以前に、ゲーム画面の中にMMDを表示させるという離れ業を発表しています。

 これは一部のエンジニアの方々に大きな驚きをもたらしました。さらにはその機能をMMDに追加させるMikuMikuEffecへと繋がり、現在に至るまで使われる重要なツールのひとつとなりました。
 MMDは元々、特色あるトゥーンレンダリング(アニメ調描写方法)であり、ほぼ全てのMMDユーザーが同品質の動画を創ることができました。しかしこのMikuMikuEffectは描写方法を乗っ取り、MME用に記載されたプログラムを割り当てることで、当時のゲームと同じ品質、場合によってはTV放送にすら耐えられる品質を生み出す可能性を秘めていました。
 これまでのMMDでは出来なかった、モデルの材質変更、ゲームなどで多用されている攻撃エフェクトや魔法といったパーティクル(粒子描写)エフェクト、画面全体の品質を一挙に変えるポストエフェクトなどが使える様になります。
 MikuMikuEffectはサンプルエフェクトも豊富で、MME発表直後からエフェクトを使用できる環境でした。また、MMDと全く同質の出力ができる『full.fx』は、MMEシェーダープログラミングの基礎的存在であり、多くのエフェクト制作者のお手本が同梱されたパッケージです。

 やや特殊な専門知識が必要な、リアルタイムエフェクト描写処理だったものが、プログラムを書いたこともない一般人でも、ものの数分も掛からずに初音ミクの手からゆらめく炎を出すことができたのです。

 こうしてまた、『振り込めない詐欺』となるMikuMikuEffectが生まれ、MMD文化圏の内外で旋風を巻き起こしました。MMD発表からわずか1年半後の出来事です。

 エンジニア系のMMDユーザーも爆増し、エフェクト配布者(正しくはHLSLプログラマー)らが、MME発表からわずか一週間たたずで、MME用エフェクトファイルの配布を開始しました。お手本である『full,fx』の存在は大きく、部分的に書き換えるだけで、全く別のエフェクトを作ることができた大きな要因です。

 筆者はいくつかのMMD関係の案件にて、ネット上(文字チャット)だけではありますが、個人間のコミュニケーションを図った事があります。

 その間で得られた印象は、真面目でありながらもMAD動画などの笑い要素にも寛容であり、ステレオタイプなプログラムエンジニアではありつつも、一風変わった感触がありました。プログラマというよりも、漫画などに出てくる仕事ができるバリバリのシステムエンジニアな感じです。凄腕ホワイトハッカーです。

 このように、筆者は幸運にもMMD三女神(全員男性)とも言える方々とのコミュニケーションを取ることができ、かつ彼女ら(全員男性)の意図や意向などを汲み取ることができました。
 皆、普通の人であり、普通にエンターテイメントが好きで、気楽に楽しんでいるMMDユーザー(とその開発者)です。
 彼女ら(全員男性)もMMDコミュニティと、そして文化圏の造成に対し、他ユーザーと同じく寄与していきました。そしてユーザーとの交流を普通に楽しんでいた方々です。

黎明期の文化について

 MMD発表以前より、初音ミクの下着は何が相応しいかという宗教派閥がありましたが、これについては本稿とまったく関係ないので割愛します。

 2ちゃんねるという匿名掲示板から会員制のSNS、MMDとほぼ同時期に日本でサービスが始まったTwitter(現:X)といったネットワークコミュニケーションサービスの成長と共に、MMDコミュニティもニコニコ動画を中心とした文化が発展していきます。

 MMD発表直後から「ノウハウ情報を無料で共有」(日本国内での決済サービスや広告収入システムが貧弱だった事もあり)、「ツールやモデルデータ、エフェクトファイルなどを無料で頒布」というものが定着しています。 
 MikuMikuDance本体も『振り込めない詐欺(元祖)』と言われるほど、共生・共有の特色が根付いていました。

 一方、2010年辺りになると、アフィリエイトや有料ネットショップサービスなどが広まってきており、特に海外ではMMDのモデルファイルなどが無断で配布・販売されるなどの問題も出てきました。
 特に、著作権の意識と法整備が弱い社会主義系・共産系地域はその傾向が強く出ており、国際法に訴える手段は個人にはなかったので、配布者は泣き寝入り・無視するしかありませんでした。

 MMDの配布ホームページには、最初の段階から英語用案内ページがあり、MMD本体も英語表示にも対応ていました。それを見習い、筆者も早い段階で英語版マニュアルを配布したりと、日本国外への展開も進めていました。
 それが良い結果も悪い結果も生み出す事となり、上記のような問題も、ネットサービスの発展と共に明るみになります。
 全ての社会・共産系国家が悪いわけではなく、特にブラジルや中近東(確かアラブ首脳国連邦?)といった、どこで見つけてきたのか分からない国のユーザーからの問い合わせがあったりと、なかなか体験する事ができない事象もありました。筆者にすら問い合わせがあったので、もしかしたら樋口氏や極北Pなどにもメールが届いていたかもしれません。

 人類の歴史がそうであるように、文化圏の発展が必ずしも人々にとって幸福だけを齎(もたら)す物ではない、という事を身を持って知らされたのです。

MMD成長期(2011年~2013年)

 様々な希望と未来への不安を抱えつつ、MMD文化圏は成長のピークに向けて邁進します。
 そして、平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震が発生。
 国内だけでなく海外にまで浸透しはじめたMMDユーザー層の中にも、被災して活動を継続できない、またはお亡くなりになった方々も多くいらっしゃいます。
 特に震源に近かった仙台は、MMD勉強会などを開催し、100人近くの動員があるリアルイベントがあった場所です。それだけに、MMDコミュニティにも大きな影響を及ぼした悲痛の災害でした。

 その影響かは分かりませんが、樋口氏はMikuMikuDance ver7.39、2011年5月26日のリリースをもって、開発を停止します。
 特に公式的な発表は無く、一部の人にそれとなく伝えるだけで、ひっそりと姿を消しました。

 3DCG技術もPCの高機能化に伴い、日進月歩でありました。MMDも後から追いかけるように機能拡張が施されていましたが、これ以上の拡張はBlenderと同じ道を歩むとなって、誰でも簡単に使えるというコンセプトから外れてしまいます。
 特に家庭ゲーム用モーションキャプチャデバイス『Microsoft Kinect for XBOX360』(後述)を使えるよう拡張した段階で、メニュー数の増加や操作パネルの複雑さが増していました。
 樋口氏本人の生活のこともあり、良い区切りとしてMMDは一旦完成となります。

 致命的なバグなどはその後も微修正されましたが、Windows10用の修正を最後に、MMD本体の機能追加などのバージョンアップは終わりました。
 しかしそれがMMDの終焉を意味するものではなく、MMDユーザー数は増加傾向が続きます。
 新たなユーザーは、樋口氏の存在を知らぬまま、MMD本体の存在だけが広まり、文化圏の独り歩きが始まります。

 MMDイベント『MMD杯』も開催ごとに、参加作品ユーザーが飛躍的に増え続け、それを見た視聴者が興味を持ってユーザーとなり──YouTubeでも、海外ユーザーが類似のイベントを開催するなど、とどまる事がありませんでした。

 私が『月刊MMDランキング』の定期掲載を終了したのが2013年6月号です。その時の総計データでは、ニコニコ動画だけで5~6万人程のアクティブユーザーが居ました。動画発表をしない潜在的ユーザーや、YouTubeに投稿をしている日本国内外のユーザーを含めると、推定で少なく見積もっても八~数十万人は居ると思われます。

 MMDのバージョンアップ終了から時は経ち、2013年2月15日。
 ボーカロイドSNS『ボーカロイドにゃっぽん』が閉鎖します。
 広告収入ではなく、有志の寄付金によって賄われていた個人サービスは、ついに肥大化するボーカロイドクリエイターとファンを抱えきれなくなったのです。また、コミュニティが大きくなると個人間の係争も顕著となり、数人ほどだった運営チームの死活問題にも関わるようになりました。
 事前に告知されていた事も在り、大きな混乱はありませんでしたが、惜しみと別れの協奏曲がレクイエムとなります。

 最大級のボーカロイドコミュニティ、そしてMMDユーザーの拠り所が無くなり、多くの人々が分散化を余儀なくされました。

『初音ミクの消失』ならぬ『初音ミクらを愛する人々の消失』となったのです。

 それらの人々の避難先はTwitterが主となりますが、個人間の連絡窓口が一時的に失われます。
 一部のMMDユーザーは、ゲームユーザー向けチャットツール『Discord』でチャンネルを作り、そこに集う様になりました。現行の『MMDの集い』(ビームマンP運営)はその時期に立ち上がり、古参をはじめとした、一部のMMDユーザーなどがそこに集り始めました。

 SNSにゃっぽんの消失は、コミュニティが無くなっただけにとどまらず、MMDにおいては、ノウハウ情報、モデルファイルなどの関連ファイル、外部アップローダーのアドレスなど多くの資産が失われます。
 一般ユーザーの樋口氏や極北P、舞力介入Pへの窓口も無くなりました。

 その後、類似のSNSを立ち上げるような企画も出ていたりしましたが、数十万人を超えるボーカロイドファン、数万人規模のMMDユーザーを抱えられるSNSサービスを個人で運用するのは無謀です。代替的にmixiに避難する方もいらっしゃいましたが、その時期のmixi社はSNS運用よりもソーシャルゲームの利益率が高くなり、サービス向上は望めないSNSだと認識されていました。

 2009年1月8日、Microsoftは『Windows Live メッセンジャー』(現在のSkype)のTV-CMをオンエアー。これはMMDで制作されており、動画制作もMMDユーザーの手によるものです。

 続いて2011年12月15日。GoogleのTV-CM『Google Chrome : Hatsune Miku (初音ミク)』をオンエアー。

 これはMMDを使用したものではありませんが、CM内ではMMDで3DCGを作っている『わかむらP』の姿とMMDの画面が写っています。(18秒から数カット)

 この2つの巨大IT企業CMの影響は想定以上であり、貴方の世界を聞かせてという輝かしい未来を連想させる『Tell your world』と現実は真逆となり、ボカロファン同士の交流場所が失われてしまうという、不本意にも皮肉な結果(話す場所が無くなる)を導きました。

 今現在でもMMDユーザーは散逸しており、特定の一箇所に集う場所はありません。
 発祥の地であるニコニコ動画はSNSサービスを展開していましたが、にゃっぽん程の利便性のあるコミュニティサービスではありません。にゃっぽんの避難場所のひとつとして、ニコニコのユーザーブロマガなどの利用が増え、主要なノウハウやファイルアドレスなどは、個人ブロマガに移行したのがこの時期です。
 MMD情報が一挙に手に入る場所は無くなりました。

 そのニコニコのブロマガサービスが、2021年に終わるとは、この時誰も予想できません。

MMDユーザー向けアップロードサービス『Bowlroll』の誕生

 時系列が前後しますが、2010年~2011年にかけて。無料のファイル配布サービスサイト、いわゆるアップローダーサービスが連鎖的にサービス終了となり、SNSにゃっぽんの消滅以上にMMD関連資産が消滅の危機を迎えました。MMDデータ資産すら失われ、歴史の断絶となる一歩手前とまでなります。
 筆者は出来うる限りで無差別にダウンロードを行い、自宅PCに一時退避を行います。ですが、筆者はサーバ運用のノウハウも資金もありません。
 幸運にも初期組MMDユーザーでもあり、アイマスファンである『木曜洋画劇場P』氏が職業スキルを活かし、個人運用サーバーとして、MMD専用アップローダーを2008年の段階から運用されていました。
 筆者は木曜洋画劇場Pと協議の上、一時的アクセス権限を借りた上で、サルベージしたファイル群を氏のサーバにアップロード。
 2011年5月にリニューアルが施され、アップローダーサービス『Bowlroll』として一般公開されます。現時点でもドネーションや広告収入を活用していますが、幾度も赤字になる時期がありつつも、現在まで運用を続けています。これは氏が身を切ってでも維持してくれたお陰です。
 ユーザー数増加に伴い、連鎖的にMMDデータ資産も乗数的に増加し、

 pixivによる直接のドネーションも可能ですが、コンテンツツリー登録することで広告収入がサーバ運用費に充てられますので、読者の方でご利用されている方は是非ともご検討ください。

登録ユーザー総数:938,364
ファイル投稿ユーザー数:22,297
公開ファイル総数:149,573(1ファイル最大500MBとして最大容量74TB)
ファイルDL総数:108,174,070

(2024年11月8日午前5時時点調べ:『Bowlrollについて』参照)
※筆者注:月間転送量なんて知りたくありません。

 この規模のサーバーをセキュリティ維持し、規約違反・悪意あるファイル削除等の管理、個人情報の保護、ログの保存……様々な難関を一人で乗り越えています。現在の氏は、ウマ娘プリティーダービーを癒やしとしつつ、現在でもMMD資産の守り人であります。

立体投稿共有サービス『ニコニ立体』

 ニコニコ動画(株式会社ドワンゴおよび株式会社ニワンゴ)は、MMDユーザーを主なターゲットとしたサービス『ニコニ立体』を2014年5月2日に開始しました。
 このサービスは、PMD/PmxといったMMDで使われるモデルファイル、VMDといったモーションファイル(アニメーションファイル)にも対応しており、モデルがブラウザ内で直接見れるというものです。ファイルダウンロードはもちろんのこと、モーションファイルも視覚的に見れ、二次創作の関連付けができるコンテンツツリーにも対応し、クリエイター奨励プログラムも利用できるという、ニコニコ動画と連動可能なサービスです。
(MMD向けファイル以外にも3DCG用ファイルがアップロード可能です。詳しくは公式サイトのヘルプを参照してください)

 このサービスが利用される前、筆者にはPmxフォーマットの商用利用について、ニコニコ動画のスタッフ様から相談を受けました。
 これはその時、筆者は極北Pの委任代理窓口でもあったので、氏とニコニコ動画サイドの間を取り持ちました。
 詳しい内容は倫理上問題があるので公表は致しません。
 結果としてはMMDユーザー読者の皆様もご承知の通り、使用許諾が出され、一般公開となります。

 こうして、MMDモデル・モーションなどのダウンローダーは分散化でき、Bowlrollの負荷も下がる事となります。


 また、2013年4月23日にサービス開始されたブラウザゲーム『艦隊これくしょん』の爆発的ヒットを皮切りに、即座にMMDユーザーモデルが生まれる現象が続きます。
 2013年夏に行われた『第11回MMD杯』では、数多くの艦これ動画が参加しました。更には動画の「選考委員」として、行政機関である観光庁が参加したのも拍車を掛けます。

 代表例として艦これを挙げましたが、それ以前より数々のアニメやゲームキャラの二次創作ユーザーモデルが毎週のように造られ続け配布され、コミュニティが断絶されても、MMD全体の規模は拡大の一途を辿ります。

MMD成熟期(2014年~2016年)

 この時期、筆者は個人的な都合により、MMDコミュニティからは少し離れた時期でしたので、これまでのように詳細については語れません。MMD関連の企業案件に集中していた時期なので、一般ユーザーとしての活動はストップしました。
 ですが、MMD動画を見たりとかMMD杯を視聴者として楽しんで居ましたので、まったく距離を取っていたわけでもないです。

 この時期はコミュニティの分散化が進み、MMDという一つの枠ではなく、使用するモデルのジャンル(ゲームやアニメなどのタイトル別)ごとに、それぞれ小さなコミュニティが出来てきた時期です。
 ひとりのユーザーが複数のコミュニティに属するような形で、ゆるく横の繋がりができていきました。
 しかしながら、技術情報やノウハウに関しては、一人がそれぞれのコミュニティを跨いで共有する方法は無く、聞かれた時に対応するなどの処方箋しか無くなりました。もしくは個人ブログやDiscordのようなクローズドな場所での対応となり、広くそのノウハウが共有できるのは、文字制限のあるTwitterが主流となってしまい、情報が欠けた状態で拡散されてしまいます。
 正しい情報を拡散させるメディアサービスが少なくなり、また、VPVP Wikiの管理者交代などの小さな出来事などが積み重なり、2016年辺りに拡大傾向は一旦縮小します。

 この段階で、男性向きジャンルと女性向けジャンルの分離化が始まり、男性向けジャンルに属するユーザーはTwitterとDiscord、女性向きジャンルはGoogle Hangout(グーグルのチャットサービス。現在はサービス終了)やMicrosoft Skype(マイクロソフトのチャットツール。LINEと同様のもの)で個人間でのコミュニケーションが主流になっていく時期です。


バーチャルYouTuberの登場

 バーチャルYouTuberと最初に名乗ったのは『キズナアイ』で、2016年12月に活動を開始します。しかし、バーチャルYouTuberという名称ではなく、3DCGアバターを使った動画配信を最初に行っていたのは『Ami Yamamoto』で、2011年から活動していました。また企業系で、気象情報専門企業である『株式会社ウェザーニュース』の企業系VTuberとして『アンドロイドお天気お姉さん「ウェザーロイド・アイリ(ポン子)」』(2012年4月デビュー現在でも活動中)が運用され始めました(公式MMDモデルも2015年3月に配布されていました)。

 時間軸が前後しますが、2010年11月20日にMicrosoft社がリリースしたゲーム用モーションセンサーデバイス『Microsoft Kinect for XBOX360』が発表されます。
 MMDを開発した樋口氏は発売前のプレスリリースの段階で強い関心を持ち、米国サーバで公開されていたソフトへ組み込むライブラリを入手、日本国内での発売時期とほぼ同時にMMDでもKinectによるモーションキャプチャが可能になりました。
 この時期を切っ掛けとし、モーションキャプチャ技術は米国とイスラエルを中心に世界各国で開発競争が始まり、低価格化が一気に始まりました。

 Kinectのリアルタイムモーションキャプチャシステムは、『ウェザーロイド・アイリ』にも活用され、初期の段階ではMMDも補助的に使われていたという未確認情報もあります。

 またニコニコは、この時期にライブイベントスペース『ニコファーレ』(2011年6月~2019年7月まで営業)を完成させます。ステージには本格的なリアルタイムモーションキャプチャシステムが導入された、最先端なイベントスペースです。このイベントスペースとMMDを利用したバーチャルライブも行われ、今のVTuberの原点となる実験と実証がなされました。
 そのイベントには一部の先進的MMDユーザーが参加しており、そのスタッフが『キズナアイ』を創り上げたのです。キズナアイのモデル制作もMMDユーザーの手によるものであり、VTuber文化の創設に、MMDは深く関わっています。

 その後、2017年夏に『キズナアイ』のYouTubeチャンネルが一方的に凍結した事で話題になり、一気に躍進します。その時の一部スタッフのインタビューで零した言葉があります。

 たしかにアイちゃんが「Fxxk You!!」(ふぁっきゅ~!)と言ったけど、なんでそれでバズったのかは今でも分からない

キズナアイスタッフの一人

 言葉が言葉だけに、特にYouTubeの本国である米国で話題になりました。

 そしてKinectとリアルタイムモーションキャプチャシステムとほぼ同時並行的に、一般向けVRデバイスが発売され始めたのも2016年~2018年あたりです。

バーチャル世界の始まり

 いわゆる「メタバース」の歴史は古く、2003年に、『Second Life』という3DCGのソーシャルサービスが始まりました。世界的に一時期話題になったものの、アイテム売買や仮想土地売買(公認リアルマネートレーディング)など商業色が強すぎたこともあり、また日本国内でも広告代理店が頑張って広めようと活動していましたが、それは振るわず、ひっそりと歴史の中に埋もれていきました。なお、現在でもサービスは続いています。

 今では世界最大級となったバーチャルコミュニケーションサービス『VRChat』は2015年にサービス開始。日本国内でも2020年6月に類似のソーシャルVRサービス『cluster』がスタートしました。
 これはリアルタイムモーションキャプチャデバイスと同様に、一般向けVR用デバイスの進化と低価格化が段階的に行われ、パソコン本体より安価に購入でき始めたのもこの時期です。
 これにより、日本国内でも普及し始め、『VRChat』では様々なクリエイターがワールド(背景)を公開したり、『cluster』でのVTuberのバーチャルライブイベントへと繋がる基礎ができてきました。
 1990年に出版された漫画『攻殻機動隊』(士郎正宗)における、可視化されたネットワークの中に漂うような場面を夢みて、革新と普及が連鎖していきます。

 一方、VRChatにはMMDと関わる問題が発生しました。MMDモデルデータの無断流用です。
 これも、米国などのネットリテラシー意識が薄いユーザー層を皮切りに、日本国内でも「それが許される」という風潮が出始め、MMDの文化圏で大きな問題となる初めての事例が出始めました。
 VRChatは現在のような一般的普及はまだされておらず、MMDユーザーの多くはその存在を知りません。また、MMDファイル群が無断流用されるなど、事前に予想する事は不可能でした。

 悪意のあるなしに関わらず、MMDのアニメ・ゲームなどの二次創作版権モデル、一次創作されたステージの流用などは論争となり、また法的対応もまた難しい状態に陥り、特にグレーゾーンである版権モデルと創作モデルを混同させて考える一派が出てきたりと、カオスな状態になります。

 元々、MMDで頒布されている多くの二次創作版権モデルは、同人誌同様に『ファン活動の一環』としてお目溢し(意図的に無視)されているものです。ただでさえブラックに近いグレーゾーンで存在しているものが多く、それを頒布者の意図と予想を越えて利用されてしまえば、大きな権利侵害問題に繋がりかねません。場合によってはデータ頒布者が刑事罰を受ける可能性すらあります。

 そうしたセンシティブな問題が明るみになり、VRChat優先に考える一部の層と、VRChatを無差別的に敵視する層との論争が過激化、本来の頒布者、創作者の声はその中に埋もれてしまいます。

 これらの問題は一時的に鎮火したものの、今現在でも問題として孕んでいます。いったんは相互和解状態になっても、ユーザー層が増えると同時に再燃する火薬庫となり、定期的に同じ事が繰り返されます。

 むしろ放置されている小さな問題は累積していき、火山の噴火同様、あるきっかけを境として、相互確証破壊への未来に繋がる危険性が残されたままとなっています。

MMD過度期(2017年以降)~現在

 MMDの大型イベントとなった『第18回MMD杯』あたりを皮切りに、肥大化したMMD杯運営の一部メンバーによる失言、長年に渡る運営スタンスへの疑問などが、遂に明るみに出ます。
 筆者の視点からの評価ですが、長期間運営されているイベントが一度は陥る、『運営側の油断』によるブランド毀損問題が発生しました。これは事前にリスクヘッジを取る事で、回避可能な問題でもあります(例:コミックマーケット等)。

 この問題は『第16回MMD杯』あたりから内包されており、参加者の減少傾向が見られ、第18回開催では運営に対する不信が明示化、『第20回MMD杯閉会式』(2018年3月4日発表)をもって、MMD杯の歴史に幕を閉じる事になりました。

 これは筆者の予想よりも長く続いたと感る一方、ついに来るべき時が来たなという感想を持った出来事です。
 運営人数が増え、外部(選考委員)との繋がりが大きくなり、著名企業との連携企画などもあり、やや商業色が出たこと、一部運営参加のMMDユーザーに増長的発言が見られたことなど、複数の要因によりこの結果に繋がりました。
 これを受け、一部のMMDユーザーは投稿意欲が失せてMMD自体の活動を辞めたり、別のイベント企画を立ち上げるなど、様々な動きがありました。

 筆者のnoteの過去記事を一読して頂ければ助かりますが、こうした歴史の流れにおいて、MMD杯に代わるイベントを実行するには、これ以降の時期には難しい環境となっています。

 また、古参ユーザーの一部はリアル生活のこともあり、ひっそりと鳴りを潜めたり、引退したり、個別に指導に回るなど、それぞれの人生を歩み始めます。自然派生的に、本格的な世代交代が始まりました。

 そうした流れの中でも、MMDを中心に3DCGアニメーション制作を主業とした会社『株式会社ピクシス』(2012年10月創業。代表は第2回MMD杯 優勝者)などが活躍し、地上波アニメ番組制作において、MMDを活用する事例などが増えてきました。

 VTuber活動も2017年後半を皮切りに爆発し、大手企業の融資や出資に頼らないスタートアップ企業が台頭し始めます。同時並行で、個人VTuberの活動も活発になり始めたのは翌年2018年からとなります。

 MMDの姉妹ソフト『MikuMikuMoving』の作者(Mogg氏)によるVTuber用ツール『Hitogata』もリリース(2017年)され、一部の個人VTuberにも利用されていました。

 この様に、VTuberとMMDは関連性が強くありましたが、そういった歴史背景があった事は、一部の者のみが知る埋もれた歴史の一幕となりました。

 文化圏の進化と環境変化はそれにとどまらず、現在となる2024年には人工知能(AI)の一般利用が可能なサービスなども出てきており、動画やWebカメラからモーションキャプチャを行い、MMD用データに変換できるツールも発表されるなど、期待と問題を同時に孕んだテクノロジーとツールが、法の整備を待たずして独歩していきます。

 また、2020年に日本国内で発生したコロナパンデミックの影響はMMDにもあり、MMD関連の案件を扱っていたVTuberや幾つかの企業にも死活問題が降りかかる一方、余暇が増えてしまった一般人から新たにMMDを使い始めるユーザーが数多く出てくるなど、表裏一体の事象があったことは、記憶に新しいでしょう。
 2022年までコロナ禍は続き、ようやく2023年に落ち着きを取り戻した頃には、MMDの普及も一旦落ち着き、世相もMMD文化圏も安定的になりつつあります。

 新たにMMDユーザーとなった方、そしてVRChatやVTuberの個人ユーザーなどとの衝突が近々でも発生していますが、コミュニティ全体、MMD文化圏に大きな影響を及ぼす事は、この文献を執筆している時点で観測されていません。

MMD文化圏の考察

 わかりやすく『MMD文化圏』と呼称していますが、この呼び方が正確な表現であるとは言い難い側面もあります。
 MMDリリース直後から『ノウハウとファイル共有』という文化は定着しており、また「自分達はファン活動を行う(著作権的にグレーな)存在」である事をしっかりと自認し、ニコニコ動画を中心とした狭い範囲の中で活動していました。
 その理由により、こうした歴史が文献として残っているものは数少なく、部分的に書籍化(筆者の寄稿文献もある)されたもののみとなっています。
 MMD村の風習は、世代間での口頭継承のみで伝えられ、既に長老勢は引退し、MMDの風習と文化圏は、世相とテクノロジーの変貌の影響を続けています。

『MMD村』と表現したのは、共生社会の一つの形として最適であり、今現在四散している各コミュニティごとに独自の文化が生まれています。
 日本の歴史に準えるなら、数々の村が集まり大きくなり大和国と一度はなりましたが、地方分国になるのと、近しい状態になっています。社会構造としては、共産から連邦に移行したとも言えます。

 この後、この村社会がどう変わっていくのかは、この16年の歴史を振り返っても進化と変貌が激しすぎて予想が出来ません。
 歴史学や民俗学などを履修していない筆者には、難しい問題です。

 恐らく、次にMMDが大きく関わるのは、本格的にサービスを開始する(cluster以外の)企業・行政による国産メタバースサービスとの兼ね合い、そしてAIの進化との関わりでしょう。そして、MMDユーザーにとって、波乱に満ちたものになる可能性が高いと考えられます。
 もちろんMMDに限らず、社会システムと法整備にも大きな影響を与えかねないテクノロジーなので、SF小説以上に混乱と足踏みを強いられるかもしれません。もしくは、当のMMDユーザーにとって衝撃でも、巨視的な視点で見れば、歴史の1ページに満たないものとして記されるだけの、小さなものになるかもしれません。

 ファン活動の方々を総括する立場にありませんが、筆者もいちMMDユーザーとして、ひっそりとしつつも同好のファン同士で平和に過ごしたいと願っています。世界がそれを許してくれるのであれば、です。

 MMD村は、文化圏だけが肥大化した小さな村落の集まりであり、砂場で遊んでいる子どもたちの憩いの場なのです。

まとめ

 いずれはまとめようと前々から思っていた文献ですが、ようやくコロナ禍も落ち着いた時期、そしてMMDユーザー層の世代交代も感じとれたので、記事公開となりました。

「MMD界隈」「MMD文化」など分散ネットワーク環境の中にある、スタンドアローンコンプレックス(独立集合体)のひとつの形としては、先述のアニメ版『攻殻機動隊 S.A.C.』のタイトル通りの、規模こそ小さいですがそれに準える事ができるものができています。
 ですので、「MMD界隈」と一括りにされる事も違和感が強いですし、「MMD文化圏」というのも、何かが統一されたものではなく、各コミュニティによって仔細が異なります。
「ノウハウとファイルのお裾分け」という長老たちから引き継がれている文化だけは、それとなく根付いたままでいるようです。

 筆者としては、この歴史を残したいという思いは正直薄いです。その一方、自己満足的にまとめておいた方が良い情報だと感じてますし、読者の方が新しいテクノロジーとの衝突時に鉢合わせた時、一助となればと思い公開するものです。

 それでは皆様、よき創作ライフを。

謝辞

(敬称略・順不同)

樋口優
極北P
舞力介入P
Mogg
hanya
pianika
cort
木曜洋画劇場P
BeammanP
ポンポコP
わかむらP

敬愛するMMDユーザーの仲間たちへ

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かんな@バーチャルJC
どこにでも居るバーチャルJC MMDユーザーの一人。 MMDアニメーター、動画制作・編集、VTuber関連制作などを行っているただのJC。