学校の思い出
入園以来、場面緘黙の傾向が強かった私ですが授業での発言や朗読、歌のテストなどはできていました(行きたくない気持ちはやまやまでしたが学校にも通っていましたし、先生に問題視されたこともほぼなく、話せる友人も居ました。場面緘黙グレーゾーンと言えるのかもしれません)。もちろん緊張は物凄いのですが、決められたことをすることはできたのです。注目を浴びるのがどうしても嫌で、授業での発言などができなくて目立つのがこわかったのかもしれません。何をすればいいのか決まっていない時、その場はすごく苦痛でした。雑談とか「しばしご歓談を」的な時間はとても苦手でこわかったです。皆の輪に入ることがなかなかできない。どうしてひとりで固まって席に座っているの??あの子変じゃない??そんな視線を感じながら、ひどいときは本当に身体が緊張し過ぎて固まってしまい、ただひたすら席に座っていることしかできませんでした。そうなると、ひとりで本を読むことも窓の外を眺めることさえもできません。ゆるい緘動かもしれません。まるで地蔵のようです。
ある時先生に「皆がずっと喋って待っていた中、あなただけはずっと静かに黙って待っていた、偉い!」と褒められたことがありました。が、ひとりだけ喋れず惨めな気持ちで耐えていたため心中複雑な気持ちでした。先生からは大人しくて手がかからない生徒としか思われていなかったのかもしれません。子どもの頃は「場面緘黙」など聞いたこともなく、自分でもよくわからないモヤモヤした誤解ばかりの毎日でした。
学校に行くと、必ず作文、図工、体育が苦手になるのも不思議でした。文章や描く絵、創る作品が、家にいるときのそれと明らかに違ってしまうのです。意識していないのに、心のどこかで周りの視線を気にしているのか、どうしてものっぺりと当たり障りない作品になってしまうのです。自分の中に表現したいものがあっても、出口を塞がれてうまく出せなくなってしまう感じかもしれません。身体を動かすこともそれに近くて、頭の中のイメージに身体の動きがついてこない。緊張して脳の指令が身体の筋肉などに届いていかない感じです。なので、図工で手を動かしても手が動かない。体育での運動も、何だか身体の動きが固くなったり、鈍くなったりしてしまいます。「自由に」と言われるのがいちばん困るのに、図工や美術は自由度も高くて大変でした。耐える理由のわからない不自由な時間を耐えながら、何とか描いても何だか哀しくて、頭の後ろの方ではキャンバスをバキバキに破壊したい悔しさと怒りを感じていました。覇気も躍動感もなく死んだような私の作品。辛い苦痛に耐えながら描いた絵そのものが、苦しみの象徴のように思えたのです。それでも時折、稀に、ふとのびのびと描けることもありました。話すことも同じで、時折ふと話せる瞬間が訪れることがあります。自分でも何故だか訳が分かりませんが、心の状態にムラや波がある性格なのか?というふうに捉えるしかありませんでした。そういえば小学生の頃、クラスメイトの男の子に「どうしていつも <そういう> 絵なの?」と言われたことがあり、私の何とも説明し難い悩みを見抜かれたようでショックでした。私は常に、周りの人と同じように話せないことや出来ないことがあって、劣等感の塊で死にたいと思っていることを悟られないために、必死で「普通」を装っていたのです。「話せないんじゃない、興味がないから話さないだけ、話したくないだけ」「おしゃべりや友達付き合いは好きじゃないだけ、むしろ人嫌いだし」「(本当はやってみたいけど)興味がない、やってみたいわけじゃない」「(何に関しても)別に」と常に平静を装い、本心を塗り潰そうと躍起になる毎日。話せないことを悟られないために、話さない振りをし続ける。きっと、本当は話したいし、笑顔で過ごしたい。何故必死に誰にも気が付かれない苦しい演技をし続けなければならないのだろう。それに、きっとうまく演技し切れてないだろう中途半端な自分が嫌だ。学校に来ると、うまく私が出てこなくなる。私のこの秘密は何なのだろう。こんな悩みを持つ人は世界に私だけだろう。なす術もなく、自分をどこまでも罵倒したし、私であることを呪った。家と学校。幼なじみと居る時、居ない時。どうしても、何かが、変なのだ。だけど、性格の問題、全部自分が悪いと思うことしかできなかった。苦痛でも降りることのできない学校生活。「でも、私は普通。」虚勢を張り続け、神経は張りつめ続ける。学校では一瞬たりとも気を抜けない。そんな日々に磨耗していく。そのうちに自分が何をどう感じているのか、本当はどうしたいのかが、曖昧になってくる。私は徐々に、自分の気持ちがよく分からない人になっていきました。
ある時、作文に本当の気持ちを小説風に綴ったことがあります。家で書いてくる課題だったため、自分の本当の気持ちを書くことができたのでしょう。シャボン玉のような薄い膜に、いつも私だけが覆われているかのような孤独な中学時代だったと。けれど提出する直前になって、自分の本当の気持ちを知られるのが怖くなったのでしょうか、当たり障りのない修学旅行のエピソードを面白おかしく書いたものに急いで変更しました。それは卒業文集に掲載される予定の作文でした。
こちらも中学時代、将来の夢を作文に書く課題は、とにかくいつまでも書けませんでした。授業参観で発表するというのです。私は困り果てて、自分のせいで友達を傷つけてしまったことがあるので、将来は人を傷つけない人になりたいと書きました。求められている内容とは違うと分かってはいましたが、将来生きていたくなくて、具体的な夢など欠片も無かったのです。それでも、死にたいとか偽りの将来の夢は書けないと思い苦肉の策でした。そして発表の時。緊張と、保護者の方々が目の前のクラスメイトの後ろにずらっと並んでいる圧迫感。皆の作文と違いすぎる夢のない自分や当たり障りなく適当に書いてやり過ごせなかった自分への情けなさ。晒し者の惨めさ。幼稚園の時も、卒業アルバムに掲載する将来の夢を聞かれて先生の首元を噛みちぎりたくなった。私のような世界一劣った人間にそんなことを聞くことが許せない、私が人並みの何かになどなれるはずがない。わかっているくせに!尋常じゃない怒りと憎しみと哀しみが湧き上がった記憶。私は自意識過剰なのだろうか。とにかく、私は最低だ。作文を読みながら、いろいろな気持ちが混ざり合い泣き出してしまいました。先生が取り繕うように私を慰め、最もらしく私の作文を褒めました。それを聞いたクラスメイトも、それはすごい!と言ったりしました。でも私には死にたいほどの人生の汚点、恥だという気持ちしかありませんでした(どうせもともと死にたいんですけどね、笑)。誰もなぜ私が泣いたのか分かっていない。とにかく私の親がこの日参観に来ていなかったことが唯一最大の救いでした。
場面緘黙の人は人前で自分を表現するのがこわくて、何故か自分のことを知られるのもこわいのです。なので、筆談や手話であってもお話しできないこともあります。私は秘密主義でも気取っているわけでも恥ずかしいのでもなく、何故かひたすらに自分のことを表に現わせなかった。「命に関わるほどに」と言っても大袈裟ではないくらい、自分を表現できなかった。ひたすら人前で「ふるまうこと」がこわかった。私は今どんな表情をしている?どんな声でどんな言葉を吐き出している?どんな口調で?どんな視線?どんな身体の動きを取っている?それら一連の言動は間違っていないか?見られたら、聞かれたら、知られたら、心底どうしよう。わたしの人生はもう終わりかもしれない。そこまで大袈裟に感じる理由は自分でも全くわからないのです。できるだけ、命を懸けて人目を回避したくなる。生きていることの全てが自己表現だとすれば、自分が成すひとつひとつが自分の全てを皆にバラしてしまいそうで、こわい。私の一挙手一投足がジャッジされるのがこわい。自他の視線恐怖とか、他者と居ることとか、教室という空間やその時々の状況とか、先生から他の子と比較して評価されてる感じとか、それらに絡め取られるように意識と身体が変容していく気がすることとか、私が何か外的な要因に影響を受けている感じは確かにあったが、それが何なのかは分からない。言語化もできない。ゆえに、極端に内向的、人付き合いが絶望的に苦手、意固地で偏屈な変わり者、生きることに向かない、何の取り柄もない、存在感も存在価値もない、地蔵、などと自分にたくさんの負の烙印を押し続けた。それは頑張って生きやすさから遠のいていく非生産的な行為だった。狂おしい程に、滑稽な程にこの訳のわからない「こわさ」とたたかい「こわさ」から逃げる。そのことで精一杯な日々。こんなんで、生きてて何になるでしょう?死ぬほど疲れるだけ。そんな子ども時代でした。
家庭科や理科の実験など、実技の授業も人とのコミュニケーションが必要になってくるため、大きな困難を感じます。本当に気が重い時間でした。決められた班の中で話しかけてもらうと、気を遣ってもらいありがたく嬉しいけれど、私からはうまく話せなくて申し訳なく居たたまれない。役割もこなせない。分からないことがあっても誰かに聞けない。これでいいのかな?という不安があっても、自分ひとりで考えて判断してやらなければならない。そんな風に、学校の授業では持っている力を発揮できないことがたくさんあります。共同作業では迷惑をかけてしまうし、疎まれてしまう。それはとても辛く、その度に自分を罵りました。
皆で給食を食べるのも苦手でしたね。いつも食べるのが遅かった。お弁当は、数人で食べる輪に入れてもらっていても私だけ話さない。感謝しているのに話もできず本当に申し訳なくて、いたたまれなくて、その気持ちを伝えることもできないまま毎日が過ぎます。居場所がなくて辛いと、とにかく図書館かお手洗いに行っていました。授業中、いきなり鼻血が出て無言で教室を飛び出したこともあります、笑。学校で、怪我や体調が悪いことをなかなか伝えられず我慢してしまう緘黙の方は多いようです。
家と学校では全くの別人でした。家ではとにかくおしゃべりでうるさくて愉快で怠惰で食いしん坊でした。学校に行くと、そういう自分らしさは途端に抑制されてしまうのです。親にとっては信じがたいことでしょう。学校で過ごすことでひどく疲弊して、家ではとにかく寝ていました。全てのことが面倒くさくて、何をする意欲も気力もなくなりました。学校でよく言われたのは、
おとなしい
まじめ
無口
暗い
猫をかぶっている
どうしてしゃべらないの?
どうしてあの子とはしゃべるの?
など。あなたは真面目だからテレビも見ないでしょうと言われたりしましたが、超テレビっ子でしたし漫画やお笑いも好きでした。そちらへ現実逃避していたくらいです。テレビの話なんかも、したくてもできないのでしたことがなく、かつあまり表情もなく淡々としているので、テレビ見なそうと思われたのかもしれません。とにかく真面目呼ばわりされます。これらのことを言われると私は哀しかったですね。全然そうじゃないのに、と思っても言い返すこともできないですしね。
おっとりしている
おしとやか
落ち着いている
冷静
と思われたこともありますが、全然そうではありません。人前で気持ちや感情が出ない=出せないだけなのです。本音を伝えて、頼ったり、助けてもらったりすることもできないのです。
学校時代、あなたは鈍感だ、という人と、いや敏感で繊細だという人が居ました。鈍感だと言った人に、私は動きののろいぼーっとしている奴のように見えたのかもしれません。せっかく珍しく私に興味を持ってくれても、会話の矛先が私に向くと質問の答えを濁してしまうし、誰かと仲良くなりそうになると急にこわくなってきてその子と前より話せなくなったりもする。誤解も解けず、なかなか人との関係性が結べない。
幼稚園から小、中、高、大学2年生くらいまで。明日は話せるかもしれない。自分でも毎晩思うのです。いつか、ふと話せた時もあったのだから。それでも翌朝学校に行くと、やっぱり話せない。自信や自己肯定感はどんどん削ぎ落とされて、劣等感や絶対的自己否定感とでもいうようなものが私の基盤になっていってしまっている。何年も、毎日毎日積み重なってしまいます。それを危惧しながらも、どうすることもできない。絶望と哀しみで、八方塞がりでした。おはよう、さよなら、ありがとう、ごめんね、好き、嫌い、やりたい、一緒に遊ぼう、思いついた冗談、今これ言いたい、言わなきゃ。言えなかった言葉と、誰にも理解されない孤独と、劣等感。自分への呪いや罵倒。そういうものがどんどん私の内側に積もって行きました(結果、19歳で爆発、心身の症状として急激に発露し、行動もおかしくなって、本当に死にかけました)。 生きづらいのは決して緘黙だけのせいだけではありませんが、学校時代、私は本当に長いこと苦しんだのです。
きっと今思えば、周りのクラスメイト達や大人達はやさしかったのでしょう。私が勝手に、どうせ私は誰にも理解されないと突っぱねていたのです。でも、その時はそうすることしかできなかった。学校をまるごと嫌う、憎む、それしかできなかった。本当は学校が問題ではなかったはずなのに。場面緘黙を知らなかった私は、自分の苦しみや生きづらさを学校や社会の問題(せい)にしてきた面も多々あったと思う。大人になって、場面緘黙を知って、あらためて学校時代の思い出や「学校」について考え直したりしている現在。本当は苦しみを理解してもらいたかった。学校時代は、そのことをうまく認めることができなかった(今になってやっと言える)。
不登校もしたかったけれど、どうやって親や先生に説明したらいいのだろうか、その言葉を私は持っていませんでした。場面緘黙を知らなかったですし、言い出す勇気もありませんでした。今から20年以上も前でしたし、子ども心にも到底理解されるとは思えなかったです。親に心配をかけたくない、がっかりされたくないという気持ちや、逆に学校で目立ってしまうのではないか、進学というレールから外れると取り返しがつかないのではないだろうかという不安もありました。親には学校での様子や悩みを知られたくありませんでしたし、不登校をする勇気はなかったです。今から振り返ると、学校で他者と馴染めない辛さはありましたが、様々な人間模様を観察できたことはよかったのかもしれないと思います。あんなにたくさんの他人に囲まれて過ごすことはこの先はない経験です。とくに接することのなかった同級生たちのことを、未だに、ふと思い出すこともあります。でも、30歳を超えるまでは苦しかった記憶に支配されていて、とてもそのようには思えませんでした。
そういえば、よくちびまる子ちゃんに出てくるたまちゃんに似てると言われますが、性格はまる子です、笑
見た目はたまちゃん、性格はまる子。
めがね、人畜無害、やさしくおだやか。
大人になっても自分を出すのが苦手で、性格もたまちゃん的だと思われがちです。でも実際は結構毒づくまる子です、笑
調子に乗るとブラックユーモアしか吐きません、笑
小学生の頃、野口さんて言われたこともありました、笑
自分の中の自己像と、他者から見られている私像の乖離を、いつも気にしてしまうみたいです。
とりとめもなく長くなってしまいましたが、読んでくださりありがとうございます。場面緘黙の方が皆さんこう感じる訳ではありません。あくまで、ひとりの当事者である私個人の経験として記しています。お読みいただき幸いです。
*このテキストは、かんもくの声Facebookでの過去の投稿を修正したものです。
https://www.facebook.com/kanmokunokoe/
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