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これまでと、このnoteのこれから

note、最初の記事は自己紹介を。

これを書き始めた5月6日は現在コロナウィルスの緊急事態宣言真っ只中。

旅館の予約状況は、5月は全てキャンセルになり、宿泊予約がゼロに。

ここから世の中が変わるのかどうか。はてさて。

2020年、33歳、

現在は、しまなみ海道、愛媛県大三島の旅館さわきの若旦那をやりながら、『移住を応援する短期滞在型のシェアハウス』の運営も行なっております。

経歴を簡単に書くと、

18歳まで大三島。のほほんと暮らす。

教師の勧めで大学を選ぶ。主体的な考えのない高校生だった。


大学は福岡に5年。九州大学工学部でがっつり理系。

勉強はそれなり。アウトドアサークルで野宿したり、学外でのイベント活動やNPOの活動に進んで参加する学生時代。

大学院試験を受けようとするも、様々な出会いやきっかけがあり、路線変更。一年留年して、専門外の分野で就職活動をする道を選ぶ。

大学_サークル活動3

大学_ヒッチハイク

就職先は東京。渋谷のベンチャー企業に入社。

日本の中心は東京だろうという単純な考えで、「人数が少なく・変化が激しい業界で・社長が面白い」という軸で会社を選ぶ。退職する頃には人数も増えてた。

元住吉シェアハウスに2年間住んだ後、代官山へ引越し。

社会人_シェアハウス住居にて

10畳一間でAirbnbやカウチサーフィンで民泊の受け入れを行ったりも。

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一緒に飲みに行ったり、たこ焼き作ったり、ダブルブッキングしてしまい、みんなで雑魚寝したり。

5年勤めた会社を辞め、半年間の海外放浪へ。

1ヶ月のフィリピン語学留学の後、アジア(タイ・インド・ネパール)、北米(ハワイ・カナダ・アメリカ)、中南米(キューバ・メキシコ・ペルー・ボリビア)を転々と。

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退職後_グランドキャニオンにて

退職後_ウユニ塩湖にて

海外を転々とする中で、東京ではなく、島で働くコトを考え出す。

大阪にて、エコール辻日本料理専門コースで1年、学生。

実家の旅館で働くなら日本料理の基礎を身につけないとという事で、海外から願書を書き、入学のタイミングで帰国。

大三島に帰ってくる。それが、3年前。

島に帰って1年は旅館の仕事を黙々と。移住者が多いことに最初は気付かず過ごしていた。ただ、ある時、移住の若者が島に結構いることに気づく。

「移住の人とずっと島に住んでいる人、一緒にいるのに接点が無いのが、もったいない!」

そういった想いから、2018年4月から現在も続けている「たのもしナイト」という交流会を開催中。一度に40人以上集まったことも。

たのもしナイト2

そこから1年、空き家問題が世間を賑わす中、実家がまさに空き家になっていたので、ボロくなっている所を修理して2018年10月『移住を応援する短期滞在型シェアハウス 上条の家』をOPEN。

※この動画は、伊東豊雄建築ミュージアムの展示の際に撮って頂いたもの。


旅館業はというと、

しまなみ海道のちょうど真ん中に位置し、大山祇神社の近くの老舗の旅館。

じゃらんの口コミでは中四国部門1位の賞を頂きました。

もちろんこれは、両親がこれまで培ったものです。お魚が食べたい人はぜひ。

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そこから、現在に至る。。。


と、いった感じですね!今後は、


島の移住関連のことも積極的に関わっていきたいなと思います。

移住コーディネーター(自称)を名乗っていきますが、いつかお墨付きが来ることを目標に。

今はまだ、大三島の事でも知らないことがたくさんあります。島で受け入れ側の立場で頑張っている人たくさんいます。そういう人の話も吸収していきます。移住してきた人、ぜひ気軽に声かけて欲しいです。

また、実際にこんな事しよーと転がり出している計画もあります。まだまだ、書けるほど形にはなっていませんが。

2020年、先が見えない世の中になりましたが、自分の暮らしに、島の暮らしが楽しく豊かなものになる様に、やっていきたいですね!


こちらのnoteには下記の様なことを書いていきたいと思います!

◆島への移住や暮らしについて
シェアハウスの受入状況や・運営してみてわかる事、大三島の暮らし・お祭り、移住にまつわるアレコレなど。

◆旅館業について
Uターンで旅館の若旦那として働いて見えてきた都会と島で働き方の違いや、宿泊業事情、しまなみ海道の観光事情など。


それでは、また!

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