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IT亡者と観光と 其の二

もうしばらく前のベストセラーに Quiet: The Power of Introverts in a World That Can't Stop Talking by Susan Cain 2015)(静けさ:饒舌な世界で内向力)という本がある。これは従来の社交性と多勢へ語る弁舌能力に重きを置く社会から、寡黙で社会性を多少欠いても補う知性と能力を持つ者を評価する方向に米社会が転換しているという、過去数十年既に見られた傾向プラス著者自身の悲願を基にした社会の動向の考察なのだが、事実IT業の台頭によってこれは広く見受けられる現象となり、更にはコロナ禍を経て、集団でする仕事という会社組織文化終焉の果の、社会性もへったくれも、という今日のディストピアUSAの前触れ預言書として読むという用途もある。本としては、ある数章を除いては凡百ながら、そのごく限られた箇所に表された考察が他ではあまり触れらない内容であったため、特に記憶していた。

有り体に云えば、ITに従事するタイプは、従来の社会では対人関係に難のある、「敗残者」であったのが、その敗北要因である寡黙、更に云えば、社会性を司る弁舌の無さと内向性がもはやマイナスではなくプラス要因、ひいてはそれが必須になる社会がやってきており、それは往々にしてIT業の台頭によるものと著者は示す。つまり、かつてはマイナス要因であったその「社交性、弁舌スキルの無さ」は、そのままIT業の適性となって、更に、そのIT業とはいまや最も金が儲かる、しかも唯一成長の見込みのある職種になったため、かつての弁舌史上主義が反転し、「社会的不適格」こそが最も衆望の的の特性に変りつつあるという経緯。

ちなみに、米の短い歴史の中で、この弁舌術は社会で抜きん出るためにはいかなる分野でも必須で、これは、多くの人に語りかける能力が、物事を能率よく成し遂げるために必要だったという、即物的理由によるからだが、特に二十世紀にはいってからは、商業の分野で重宝されることに:営業話術。寅さんの如き香具師スキルこそが、米社会の最も求め評価した技能であり、無人格八方営業は間違いなしの処世術であり出世の近道とされてきた。

こんな話を引いたのにはわけがあって、ひろゆきのような人物の需要がある昨今の日本という事象の背景について考えざるを得ない数日を過ごし、それは不愉快で不幸な時間なのだが、結局上のようなほぼ忘れかかっていた記憶をも総動員することにもなったわけだから、塞翁が馬。

「対人関係に難ありのIT長者世に憚る」という事象は何をか況や。このIT長者のひろゆきの役どころとは、「庶民や貧困層が尽く屈する総ての規則に従わずに済むラッキーな富豪」であり、つまりただの有力者だ。お金は「4億ぐらいしかない」と宣い自分はそんなに金ないしでも金つかわないから要らない、といくらうそぶいても、当人にはまず、法的損害賠償命令に背き支払い拒否を貫いた果ての残額が、まずその「そんなに多くない」という4億という見積もりであり、それがまがりにも公に云って可の額である、ということがまずひとつ。(隠している有り金はここに入れないという前提で話を進める。)その金がなければ国外に法的責任や賠償支払い義務を逃れて移住することも、その先定住することも更に移動し続けることも出来てはいまい、ということを念頭に置いて発言はしていないらしい。そういう「ラッキーなIT長者」には、庶民の艱難辛苦は総てただのおかしな、しかも無意味な身ぶりであり仕草でしかあるまいが、そのラッキーな富豪だけに許される特権やら、IT長者だけに許された特殊に様々な免除を受け、珍重されてきての今日のこの人物であり、今後もそうされていくという見通しのもとに培った例えば不遜な、例えば一人よがりな世界観を開陳し、あたかも自分が人を知によって感心させた、(論破?)どこに論がある?))という痛々しい勘違いをした度し難い阿呆がこの人物であり、そこへメディアがへつらって金儲けの材料にしているのが、今回のアメバのネット番組というわけなのだろう。

ちなみに、IT長者の社会的不適格の例なら枚挙にいとまはないが、例えばザッカ―バーグのフェイスブック創業の逸話はおそらく誰もが知るところであろう。手短に、映画版ザッカーバーグの伝記を振り返ると、奇しくも、友達づくりネットワーク手段として始まったフェイスブック創業過程で、もともといなかった「友達」が更に思いっきり遠ざかる、という、皮肉な因果が描かれている。社会不適格者ザッカーバーグが尽く失敗した友人や人脈や異性交際相手探しを能率よく成し遂げてくれる筈のSNSを非合法すれすれで立ち上げることで、充実した人間関係というそもそもの理想の実現は更に無理、の様相を帯びるが、それと同時進行で、そもそも自分の自己意識充足や世渡りの為に必要だと思っていた「充実した人間関係」とは実は、サイトひいては結局いずれはインターネットが代行する、よって要らない、という啓示とその後の人生の指針が孤独な大学生の意識にもたらされる。こうして、サイト設立と運営そのものが、自分を疎外した者らへの「復讐」になるという福音、そしてそれを実行する過程が的確に描写されているのが、この作品、劇映画として脚色は無論あるとしても、大意はザッカーバーグのその頃からさほど逸脱はしていないらしい。かくして、彼の後の人生の軌道は、ヴァーチャル友達作りがみちびきのともし火となって形成され、ザッカーバーグは今日IT亡者の典型を体現する世界のネット長者、の一人となり、稀代の若年成功者として名を馳せる。つまり、来たるべき世で、人間は充実した人間関係など無くともネット(と金)があれば生きていけるし、そういう世界(と金)を今から自分のサイトを立ち上げ軌道に乗せることで作り得る、という天命のまま、程なくその世界が(八割型)実現した具体例がこの人物ということになった。

今日のIT亡者とは昔の戦争における大量殺戮に結果的に協力してしまった「技術開発者」や「科学者」「医療関係者」と酷似するものの、その手の考察や記述は、上記の本には残念ながら、ない。(しかも、著者の最も深い部分でこの本を書く動機になったという寡黙なことで思い出される著者の祖父という人は、ホロコースト生き残り、だった)筈なんだけど、うろ覚えかつ本が手元にないので再確認出来ないまま書いてます。違ってたら訂正します、失敬。))これは、社会の変遷によって、必要とされた事柄が風化、反故にされている過程を、世代交代に具体的に見るという意味で見落とすことは出来ない。戦後間もない時代とそれを生きた世代は、あの凄惨さを繰り返すのだけは勘弁、で、二度と同じことするまじ、させるまじ、という宿願のもとに生きて死んだ。その孫の世代は、事実、金になるかならないかが善悪のそして総ての行動基準になりつくす世となり、あの悲惨な時代へ無反省に、むしろ嬉々として逆行している只中にある。かつての科学技術や医療開発は、一分の倫理でも欠けば、途方もない殺傷能力を持つ武器凶器となるが、それをみすみす起こし起こさせている今日、インターネットのもたらす技術と便宜は、ここまでの歴史で辛くも得た叡智と知それぞれを否定、反故にし、世界を木っ端微塵にしかねないという近い将来への見取り図は、あながち杞憂ではない。それに対するいIT亡者の態度とは往々にしてそれがどういう用途に使われるかは、自分は関知しない、なぜなら、これだけ役に立つ便宜を開発、提供しただけで充分過ぎる大盤振る舞いだったのだから、自分の役目としては充分以上、という態度に終始している。

ひろゆきの2chも4chも社会に相当の害悪を流したことは誰もが知っているし、今更誰も否定出来ないだろう。NY州のバッファローでのスーパーマーケット乱射事件では、極めて計画的に黒人だけを殺す目的でその場に赴いた白人優越主義の若者(子供)が、計画通り銃を乱射して十三人を殺傷(うち十人が死亡)する殺戮の過程をネットで同時中継した。その前段階のコミュニケーションには総て4chを使っていたのは知れた事実だ。それ以外にも、無数の米白人優越主義者達がそこに常住してはその意見を組織し、交換し、行動の指針を発表する、というコミュミニティの場を4chが提供しており、その悪名は「ネットで最も有害なサイト」という連邦お墨付きとなっている。

そのサイトの主が、大手を振って、沖縄の米軍基地抵抗デモへ遠方より出向いては、嬉々としてデモ参加者を揶揄し、嘲笑し、それをアメバが誇らしげに放送している。このおぞましい光景を、咎めない人のほうが多いのは、ひろゆきが珍重されるべきIT長者にもかかわらず、「気さくに」「腰が低く」テレビに出てきて「奇譚なく」喋るから、という、極めて単純かつ怠惰な世論の回路によって、なのだろうか。

追記: その後調べると。上記書籍「静けさ」には邦訳が既にあり、しかも著者のテッドトークは日本でも充分おなじみのようなので、読者の皆様には各自そちらをあたるなりして頂くのがよろしいかと思う。著者の祖父の強制収容所生き残りに言及がないので、これは私の‘うろおぼえに基づく脚色’だったかもしれないので、その箇所はこの記事筆者の極私的虚構とでも思って、むしろ鉤括弧つきで、面白く読んで下されば有り難い限り。


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