いまなぜ「おばあさん」が熱いのか 其のニ
其のニを書く書くと言っていつも結局書かない、お前んとこのノートは所詮カクカク詐欺じゃないか、というそしり怖さゆえ、其のニをすかさず続けます。
実は老女もの、比較的近年では、ポーランドのノーベル文学賞を受賞した、自身は当時まだ老いたというには尚早の感のある50代女性作家オルガ・トカルチュクが、60代後半(家族のない、身寄りもない)女性をほぼ老女としてその危険な「疏外されぶり」を書いている作品があった(「死者の骨に鍬を」)が、あれを読み私の個人的老女物蒐集アンテナが張られたような気がする。
その際、あたかも初めてかのように、ああ、なるほど、と腑に落ちたことは、つまり、老女とは、なんらかの形で家族と共にあった人生を過ごした結果ある存在な筈だから、夫や子供、そして孫をなした形跡のない、家族のない年嵩の女性とは、社会的異常現象を体現した、困る人、になる、ということだ。
つまり女子とは、旧時代社会の家族制度特に大家族制度に於いては、揺り籠から墓場まで、賃金に換算されない家庭内労働に従事していない時は実は一瞬たりともあってはならない存在、家族内作り付け労働力存在であって、家の外に可視化しないしするべきではないもので、その風習に習わない者は何らかの形での逸脱者、不穏分子、脱走奴隷、そこに居てはいけないはずの生命体と解釈され厳しく罰されなければならない存在ということだったのだろう。
まあ、そんなことを何を今更とお思いでしょうが。
其の三へ続く