三浦半島の会津藩士墓地へ墓参 (2011/2/04)
今日は三浦半島会津藩士の墓地へ墓参して参りました。
この会津藩士墓地は江戸時代の文化7年(1810年)から文政3年(1820年)までの10年間、会津藩は幕府の命により、三浦半島沿岸の警備にあたり、異郷の地で亡くなった会津藩士とその家族の墓26基と碑の1基があります。
諏訪地区の方々により、共同アンテナの建設を機に、当時笹藪の中に点々と存在していた藩士等の墓を1カ所に集め、墓地として整備したそうです。
昭和38年より諏訪区テレビ共同視聴者組合が毎月第3日曜日とお盆には、墓地の清掃と花やお線香を供えるなど、藩士等の冥福を祈るとともに、墓地の清掃を縁に会津若松市との市民交流を図り親交を深めております。
平成18年に三浦市の指定文化財に指定されるに伴い、「三崎城山会津藩士墓地を守る会」が結成され、引き続き、春と秋のお彼岸、6月、8月15日、正月前の12月にも墓地の清掃と花やお線香を供え供養を行っているそうです。
ご紹介致します。
地元の皆さんが会津藩士墓地を整備し守って頂いております事に厚く御礼を申し上げます。