戊辰殉難者秋季祭典に参列 (2012/9/23)
今日は(財)会津弔霊義会の主催による戊辰殉難者秋季祭典が日新町の長命寺と七日町の阿弥陀寺において開催されました。今から144年前、会津藩は言われなき賊軍の汚名をきせられ戊辰戦争という悲劇に見舞われます。多くの会津藩士が亡くなりました。しかし賊軍という事で半年あまり野晒しにされたのであります。ようやく明治政府から埋葬の許可を得、長命寺と阿弥陀寺に葬る事が出来たのであります。
その会津藩士の御霊の供養が行われたのであります。
さて当時の日本は勤皇倒幕の西軍(薩摩、長州など)と勤皇佐幕の東軍(会津など)の戦いでした。
将軍徳川慶喜は大政奉還をもって徳川政権を天皇へお返しし徳川幕府は無血開城をもって幕を閉じるのです。しかし西軍は敵は徳川慶喜ではなく会津藩主の松平容保だという事で会津を攻撃してくるのです。将軍でなく家来が責任を負わせる事は武士道の道から外れている。と明治政府へ訴えるために団結したのが奥羽越列藩同盟なのです。
しかし戊辰戦争は避けられず会津戦争ではこのように亡くなった会津藩士の遺体を触れる事も出来ず何ヶ月も埋葬の許可が出ず野晒しにされたり、略奪など武士道にあるまじき行為が行われたのであります。会津人は今でも忘れてはおりません。
明治維新はこのように多くの犠牲の上に成り立っているのです。
軽々しいパフォーマンスだけでなく、しっかり歴史認識もつべきであると考えます。
私は3期12年間会津若松市長として会津と歴史的なゆかりの地とのネットワークづくりに取り組んで参りました。
正に会津が近代日本の誕生の聖地であり、そのシンボルが鶴ヶ城だと考えます。昨年の東日本大震災などで我が国は国家存亡の危機に直面しています。
来年の大河ドラマ「八重の桜」など今こそ会津は日本を救うために貢献できると確信していますし、貢献すべきと考えます。
私はその志をもって会津における本物の維新の会を立ち上げてまいります。