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沖縄と私 Je t’aime moi non plus
約26年間住んだフランスから、地元沖縄に戻って1年。最近は浦島太郎状態から抜けつつある。沖縄での生活に慣れてきたようだ。
そもそも私は小さい頃から自分の故郷が嫌いだった。沖縄生まれの沖縄育ちなのに、違和感を抱きながら生きていた。まるで外国で暮らしている、或いは自分が異邦人のような感覚だ。それは私が社会的不適合者とか、メンタルになんらかの障害をもっていたのかもしれない。父親が本土出身者で、方言が分からない、苗字が沖縄っぽくない、生活様式が違う等、よそ者に対する差別も当時は実際あった。沖縄独特の横社会にも違和感を感じていた。原因は色々考えられるだろう。とにかく沖縄が嫌だった。
そんな幼少期、思春期が過ぎ、転機が訪れる。大学進学だ。
県外の大学をリサーチしていたら、偶然中国の大学を見つけた。米留経験者の両親にはアメリカ留学を勧められたが、私の親族には英語を話せる人間が多いので、自分は違う言語を学びたいと必死に説得した。多分遅めの反抗期だったのかもしれない。親に反抗したのはその時が最初で最後だ。当時の中国はまだ閉鎖的で外国人留学生が少なく、情報量も少なかった。勿論中国語なんて全く知らないし、中国に興味があった訳でもない。正直言って、沖縄から出られるなら何処でもよかったのだ。
結果、両親は私の熱意に負け、私は沖縄から脱出することに成功する。
今振り返ると、あの時何故本土の大学(例えば東京)を志望しなかったのか、自分でも謎である。もし、あの時本土に行ってたら、全く別の人生を歩んでいただろう。
とにかく沖縄が嫌だったお陰で海外生活をスタートすることができた。そういう意味では沖縄に感謝しなくてはいけない。因みに、中国留学した理由を聞かれた時は、毎回カンフー映画が好きだからと答えている。
そして、50代になった私は、もう二度と帰らないと決意した沖縄に戻ってきた。住んでみると島生活は心地良く、あの頃感じた違和感はもうない。逆に帰る故郷がある幸せを実感している。
これから先のことは考えていないが、暫くの間、この島で生きるのも悪くない。
今日も海が綺麗だ。