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何も信じない


そもそもなんつうか俺は、所謂オカルト、スピリチュアル、陰謀論界隈の人になってしまった感もあるが、そんな俺を笑う奴は、ではお前は「アキレスと亀」をどう説明するのか?と聞きたいわけだ。

アキレスは速い、確かに速い、界隈きっての韋駄天である事は認めよう。しかし、アキレスはどん亀(宮川一朗太)を決して追い越せないさ。

たとえアキレスの速度がきっちり亀の二倍だったとしてもだ、アキレスが最初の亀の地点まで行く時には、亀はその半分の距離を進む事には疑いがないだろう。次にアキレスがその亀のB地点にさしかかった時には、亀はまたその半分の距離を、アキレスの先に行くのだから。

そう、亀は常にアキレスに先んじる。
それは、宗茂が先に生まれた以上、常に宗茂が宗猛を先んじており、決して宗猛が宗茂の齢を追い越す事などはありえない事にも似ている。

そしてそれはたとえ宗茂が光速ロケットに乗って遠くの星まで行って異星人とのファーストコンタクトをサクっと済ませてから地球に帰ってきたとしてもだ。いかに宗茂の時空がねじれようとも、宗猛が宗茂の居た給水所に辿りつく時には、既に宗茂はその給水所から勝利の栄光に向かってその足をまた一歩前へと踏み出しているのだから。

・・されど、一応本稿は前回の続きなのである。前回、TO BE CONTINUED(岡田浩暉)と書いたわけで。ところでTO BE CONTINUEDはファンから「トゥビコン」等と略されていたりしたのであろうか?略すとしたら「トゥビコン」以外にはありえないと思うのだが、そういう事を言っていると話を戻そうとしているそばからまた脱線が始まってしまうので、そこは各自の想像と解釈におまかせしたい。

で、なんなんだっけ?
ああ、何も信じるな、って事か。
そう、何も信じるな、お前はお前の事だけを信じろ、そして教祖様には言ってやれ、「血のイニシエーション、おいしゅうございました」ってな。以上。

それはさておき、俺は別に何も、いわゆる陰謀論を信じろ、と言っているわけではなく、何故に陰謀論めいた事は全て否定して、表立っていわれているいわゆる常識ばかりをかたくなに信じてしまうのか?と問いたいわけだ。

前回のサギ師の寓話を見て、今一度考えてほしい。世の中というものははたして、あなたの都合の良い様に、あなたを助けようとする人ばかりで構成される世界なのですか?むしろ誰もが自分の欲望の元、自分の利益に躍起になって、スキあらば騙して奪い取ろうとする様な世界とは思わないのですか、と。

常識だから、多くの人がそう言ってる事だから、学校で教わった事だから、お父さんが言った事だから、・・ナンセンス。OH!ナンセンス。では、あなた自身の、あなたの頭での考えというものは、どこにあるのだ?

だから、物事は自分の頭で考えよう。外部から押し付けられたものを信じるのはもうやめよう。

トルマリンブレスで金運MAX!ブルワーカーでムキムキボディ!ビガーパンツで性器増大!Drキャツポーで志望校合格!そんな世迷言に惑わされているのは馬鹿な奴だけだとあなたは嘲り笑うかもしれない、だがしかし多かれ少なかれ、大なり小なり、それはあなたと五十歩百歩、目くそ鼻くそ、大同小異、同じ穴のムジナ、路地裏のキジムナー、駐車場のジムカーナ、TVの中のナムジュンパイク、なのであるのだから。

要するに、外部から押し付けられたものを信じている内は、騙されていないとも限らない、というわけだ。

では、どうするか。
これはあらゆるものを信じこまない、常にどこか疑う、という姿勢でいるべきかと思う。

それは何も、ドラえもんにおける名作「世の中うそだらけ」のギシンアンキを飲んだのび太の様になれという事ではなく、むしろジャイアンの様に、ユーモアを携えたサギ師たる事を目指す方が、より焦点が合っていて目指す所が近いと言えるかもしれない。

何せ、世の中とは結局、おもての模様がうらに、うらの模様がおもてに印刷された50円硬貨の様なものであるかもしれず、世の中を所詮そういうものと認識する様な、シュールかつ良い意味でのシニカルさが、あったらいいな、できたらいいな、と。

もしくは、深読みすれば、あの話のオチは、藤子F先生から子供達へのその様なメッセージなのかもしれない。「世の中とは結局、おもての模様がうらに、うらの模様がおもてに印刷された50円硬貨の様なもの、なんだよ子供達」とばかりに。そう、表は、表の様で裏の様なものであり、裏は、裏の様で表の様なものである、と。

だから俺は、表も裏もなく、常識もオカルトも、科学も陰謀論もなく、みな平等に、信じるし、信じない。

別に、騙されたくない、という消極的な気持ちなのではなく、むしろ、世の中には色んな可能性があるよね!という積極的な好奇心でもって楽しみたいし、DS、カバル、ペド野郎共の様なチンケな悪も、その傀儡セレブも、見下しつつも、結局にんげんだもの、せめて自分はそうならない様にしようと、欲望について考えたりしながら、前向きにこの時代に生きる事を、楽しみながら満喫したい、という事なのですよ、真面目に言えば。本気目(マジメ)に言えばねマジで。

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