常識の外へ
科学や理屈は我々が今こうしてここに存在している理由すら何一つ明らかにしないできない。結局のところなにか、神的なものの、なんというかこう見えざる手によって、存在させられているというか。
感覚さんはそういうことをしばしば思う。
自分が神視点になって考えてみればいい。ゲームでも妄想でも(ヘンリーダーガー的な)なんでもよいのだが、自分が一つの世界を創ったとする。そこで次第に文明的なものが出来て、やがて文明的生命体が都市を作り上げたとする。そこに生きる生命体は、自分の存在をどの様に認識するだろうか?
通常はもちろん、自分が存在する意味など特に考えもせず、不思議にも思わず、日々の日常生活を粛々と行い、生きて、そしてやがて死ぬ。しかし中には、自分の存在する意味という事に関して考え、モニターをのぞくこちらに目線をおぼろげに合わせながら、
「科学や理屈は我々が今こうしてここに存在している理由すら何一つ明らかにしないできない。結局のところなにか、神的なものの、なんというかこう見えざる手によって、存在させられているというか。」
そんなことを心の中でつぶやく者も出てくるのではないだろうか?w
智子さんのツイートで、長老めいたキャラの高次存在様はこう言った。
「しかし、引き籠ってばかりでは進化はなくてな。智慧のある者や勇気ある者は、常識の外へ踏み出す事ができるのじゃ。目覚めた者と目覚めぬ者、今が二極化の時じゃな。」
そう、目覚めとは、常識の外へ一歩足を踏み出すこと、と感覚さんもそう思うわけだ。「常識の外へ」、それはやはり、ふと日々の箱庭的営みの意識から一段階上の、己の存在そのものに意識を向ける様なことをはじめとする、パラダイム転換でのあれこれというかなんというか。常識というのはこの中でのルールでしかない、という外側への気付きというかなんというか。
そしてまた高次存在様はこうも言っている。
「皆、怖がっておる。自分が積み上げて来たもの、信じていたものが壊される事をな。そこから出たくないのじゃ。まるで地面が消えるかのような恐怖じゃな。そうして一歩も外に出ず、引き籠っていたいのじゃ。無理やり外に出そうとすれば、烈火のごとく怒り狂うわけじゃ。」
そう。常識の外へのパラダイム転換のその先には、自分の今まで生きてきた世界から、それこそ地面が消えるかの様な恐怖感がある。恐怖ゆえに、あたかもあらゆるこの世界の中での常識的理をつかさどるかの様に厳然と眼前に存在し高く高く(地の底には深く深く突き刺さりつつ)そびえたつ柱にしがみつくが、やはりその柱は何かの拍子に簡単に消えてしまう。
かつ、その消失現象をひとたび目の当たりにすれば、今現在自分がしがみついているまた別の柱が消え失せることへのさらなる不安と恐怖を生む。しがみつくことのできる様な確固たるものは、実はどこにも何もない。しかしそもそも、しがみつく必要なんてものはないのだ。あると思うなら、気のせいだ。我々の存在自体の意味をおぼろげに考え、存在自体(今自分がここに在ることそのこと自体)にプライドとプラウドを持っていいのだ。
端的に言えば、「常識にしがみつくのではなく、wonderへと飛び立とう」。今は、そういう時ですよ。
今や、胡散臭い世界から、胡散臭いものがどんどん駆逐されていくかの様な、胡散臭さの末期。そのさなかにあって、常識(そもそもウソ臭いものも多い)をつかさどってきたかのような柱は、どんどん消失する。恐怖感でその事実からで目をそらすのではなく、今の世界のあり様をじっと見やれば、落ち着いた気持ちで、冷静な感覚で、流れが感じられるはず。
その流れに抗うのは、悪党だけでいい。なぜそんな悪党から搾取されている我々のごとき善良な奴隷的小市民まで抗う必要があろうか。「逃げられるのに逃げなかった(自ら進んで隷属を選んだ)奴隷」状態になってしまっているのかい? それは、洗脳だ。いわゆる常識が、あなたをそうした。(さて常識とはいかなものか?、あらためて、考えてほしい、感じてほしい)
だから、常識を捨てよう、常識の外へ飛び立とう。時は来ている。常識にしがみつく力(総量)があればあるだけ遅くなる。あなたの脱力(常識にしがみつかない、離すアクション)が必要だ。だから、協力してほしい。よろしく。