むずかしい話
感覚さんがいつも思うのは、論理的思考、科学的思考は大事だけれども、それだけではどうにもならないオカルトめいた領域もある、という事なのね。
だから感覚さんは、どちらの信者も同じだと同等にみている。双方の信者の問題点は、どっちかだけ、って部分にあるわけで。どちらも必要だから、どちらの信者にもなれないし、どちらも懐疑的に見る必要があると思ってる。
だからと言って感覚さんは圧倒的に勉強不足だから、そのせいでどちらにも疎く、結局感覚的な事しか言えないっていう部分もあるけど。でもそれってのは、「学んだのでその事はわかってる」って感じの気持ち自体を捨ててたり、危険と思って避けてたりするから、そういう気持ちでいると必然あらゆる勉強がはかどらないわけでもあって、思えば子供の頃からどこか親の期待を裏切る様な成績を取り続けて来たのもそういう感覚のせいかもで、でも最終的に国・英・社という三大感覚教科と感覚的な小論文だけで国立大入れて4年で卒業出来たし塾なんかも行ってなかったから、まあ少なくとも金銭的迷惑はかけてないでしょ、って言い訳もしておきたい。って、何言ってるかわからないって? 感覚さんにもわからなくなって来たよ。
まあ端的に言うとだね、「自分はわかってる」と言うことよりも、「自分にはわからない」と常に言いたい、というわけだ。
だから子供との会話でもほとんど、「それはわからないね~」「そうかもしれないね~」という発言がとても多い様な気がする。これは子供にも、物事を決めつけない気持ち、これから学ぶあらゆる物事に対して、どこかひとつ懐疑的な気持ちを持ってもらいたい、という親心でもあったりする。
そして勉強は子供と一緒にやり直せばいいっか、って思ってるわけだ。「教科書にはこうあるけど、実際のところこうだったかもしれないね~」、って、その場その場で考えて行きたい、と。
・・ってまた何を言いたいのかわからなくなってきたね。ええと、つまり、だから、何を言いたいかってえと、
確かに人生を生きて行く上で、自分の中での確固たる何か、信じるものだとかがあった方がそれはいいだろうよ。それが無いとなんだか、何がなんだかわからず常に不安定な気持ちでふらふらふわふわと彷徨う事になるよ。でも、感覚さんは後者を明確にえらんだということ。
いや、それすらも明確じゃないかもしれない。不安を感じながらふわふわした気持ちで後者をなんとなく指向しているかもしていないかも、っていう感じかもしれないけれども。
だから、論理的思考、科学的思考優勢の世にあっては、どっちかといえばオカルト派になるし、もしもオカルト優勢の世の中にあっては、どっちかといえば論理的派になるであろう、という。だから"自分はどっち派"とかじゃないのね。”どちらも同じだけ必要派”、であって。(だから世の中の趨勢によって、バランスに合わせて自分のスタンスも変わる)
そういう意味では、デマとかデマじゃないとかもどうでもいいと思ってて。それによって世の中の趨勢、オカルト的に言えば「集合意識のバランス」がいい方向に変わる動きなら、デマも別にいいだろ、とまで思ってたり。そもそもデマかどうかも言い切れはしないわけだし、と。
でもY子さんとかが問題にするのは、そのデマを真に受ける奴が出て来て、そいつ当人の問題だけならまだしも、世の中に迷惑をかけたりもするだろ、という事だと捉えておりますが、確かに感覚さんも、○○県の病院とかにいちいち問い合わせをするバカが出てきているなら、T子さんもそこはつっこまれても仕方ないかもなあとも思う。
そしてY子さんが人に迷惑をかけるデマを許さない姿勢の方が余程世の中の正義的な話かもしれず、それに対してデマ(っぽい事項)を受け流したり、場合によってはデマでも別にいいだろと思ってる私感覚さんの方が、悪なのかもしれないね、と思ったりもする。
しかしだ、デマと言えば、ワクワクちんちんに関するこんなデマを信じない様にしましょう、なんてのが政府側から囁かれたりするときによく使われる言葉でもあって、感覚さん的にはそれこそ、それがデマとかデマじゃないとかはどうでもいい圧倒的保留事項、すなわち射たないのであり、それに対しデマという決めつけを信じて射った人に健康被害が出たり死んだりしたら、そちらは病院への迷惑だとかの非ではない、紛れもないとんでもない極悪非道なデマとなるわけだし(ちなみにY子おじさんは射つらしい。論理的科学的思考を自認していながら・・それともしているゆえ?兎に角デマを憎んでいる人間がデマでもしあ○められでもしたら、皮肉な話だ)。
こういうの、難しい話。
と思うわけです。
だから、冒頭の話の通りどっちも必要だし、論理的科学的思考とかでわかった気にならずに、どちらにしても鵜呑みにし過ぎず、何がデマとかデマじゃないとか決めつけず、色々と保留しようよ、と言いたい。少なくともワクワクちんちんだけはさすがに、射つのは保留にしようぜ、だし、また病院に電話をかける様な事もやはりやめようぜ、だし。
願望は持っていいよ、というか持とうよ、そしてもしも仮に多くの人が同じ方向の願望を持てば、必然として世の中の趨勢は動いて、物事が動いて行くわけだし(これはオカルトではないと思ってる)。
ただし、ずっと現状のままという仮定の上での具体的努力もしよう。勿論少しづつは変わって行くだろうが、すぐには変わらない。あくまで呼びかけみたいなものであり、それが無ければさらに速度は遅くなるのだから、いちいちデマとかデマじゃないとかとりたてて騒ぐべき話ではないと思っているけれど(そんな事よりワクワクちんちんのデマ可能性の方を騒ぐべき)、思考が昭和で頭カチカチのおっさんとかはそういう所まで考えは及ばない、しかしそんな昭和爺さんの言う通りな部分もある。だからちゃんと現状の現実世界を軽視せず、地に足つけて、具体的努力をしながら、日々願望を持ってぶっとんだ未来を引き寄せる。こういう事じゃないですか?ねえ。これが感覚さんが今思う、感覚さんからみんなへのお願いかな。