子どものころは苦手だったのに(ライチ編)
お使い、苦手でした。
徒歩1分の近所に八百屋、魚屋、肉屋、乾物屋、お菓子屋が長屋のように寄せ集まった、今思えば『三丁目の夕日』的なレトロな市場があって、7、8歳からよく行かされました。
人見知りなので基本、お店の人が怖かったですし、魚屋で「カツオの半身をお刺身にしてください」とか、喫茶店で「キリマンジャロ200gをペーパー用に挽いてください」など、子どもには高度すぎるミッションを言い渡されるのもつらかったです。
子ども一人でお使いなんて、当時もそんなにいませんでしたから、きっと、お店の方は皆さん親切にしてくれました。えらいねと褒められたり、おまけやお駄賃ももらう。それでも、えらいねとか言われるのがすでにいや。余計な会話なしに、用件だけを淡々と済ませたいと願うのみのリアクション下手な子でした。
時は流れてライチはティーン。公立ながら校風自由な私服の高校で、毎日の服装に頭を悩ませます。ファッションバイブルのOliveをすり切れるほど読み返し、DCブランド(わー死語!デザイナーズ&キャラクターブランドのことです)の服がほしいよ~と焦がれる日々。
そしてお小遣いを握りしめて向かったラフォーレ原宿やパルコやハリウッド・ランチマーケットで、再びコミュ障癖に苦労させられるのです。
そう、こんどは
「販売員さんが苦手」。
ファッション誌で憧れのモデルさんが着ている服を、このダサい私が買おうなどおこがましい!この空間に自分が場違い!などなど、卑屈な自意識がめぐりめぐってオーバーヒート。
販売員さんに声をかけられないよう、店内の商品にいっさい手を触れず、泳ぐように一周して3分で去るという不審な行動が精一杯でした。ああ、最盛期アツキオオニシのディテールちゃんと見たかった…!
大学生になり、少しましなバイトを始めた私は、カネという心強い後ろ盾を得ます。販売員さんに声をかけられても平静を装い、試着の意思を告げられるほどに成長。しかし、また別のおかしなジレンマが発生します。あるお店で買った服を着て、そのお店に行けない!という謎の羞恥心です。
「あーあ、ウチの素敵なお洋服が、こんな人に着られちゃうのね」と鼻で笑われるのでは?そんな心配を本気でしており、当該ブランドの服を着ているときは、なるべく店頭から遠ざかり、逃げるように通り過ぎていました。
さあ途中を華麗にすっ飛ばして、40代のいまです。
まー、こんなにお店のかたとお話するのが
好きになるとは思ってもみませんでした。
世間知らずだった私もさすがに経験値で、ショップのスタッフは皆さんその道のエキスパートであり、しかも素人がガンガン質問や相談をしてもいいありがたい存在だと気づいたからです。
景気がちっとも上向かないここ10年ですが、良くなったこともいくつかあって、素晴らしいホスピタリティをもつ販売員さんがぐっと増えたように思います。
小手先の接客技術ではなく、皆さん知識豊富な上に、商品が好きでたまらないマインドが核にある。時に好ましいオタクのような、職人のような、アーティストのような、個性豊かなスタッフとお話する時間はめくるめく楽しさです。そして、そうしたお店が自然と行きつけになります。
私とスタッフさんは、ここの商品が好きという一点で心通じている、と感じればこそ、いつしか「お店に入って何も買わずに帰る」という、昔なら気が引けて仕方なかった行動がまったく苦にならなくなりました。お店をあとにする時は必ず「また来ます」と言います。本気でそう思っているから気分は爽快です。
昔とは逆に、そこで買った服を着てるから、という理由でわざわざお店を訪ねることだってあります。「着てきましたよ!」と大いばりで(笑)。人間ある程度歳を重ね、必要なものを一通り揃えたあとは、品物以上にストーリーを求めるものなんですよね。ネットで同じ商品が少し安く売っていたとしても、素敵なスタッフさんと対面で買う方が、品物と一緒に思い出も手に入れられるってことです。
まるでネットショッピングを否定した、コピーライターとしてどうよ!?な発言をしたようですが、それは違うつもりです。
ネット上であっても、実店舗でショップスタッフと会話し、心が動いて購入に至る、それに近い体感を得てもらえるようなコピーを目指しています。
あっ、私今、ちょっといいこと言ったか?(笑)
そして仕事の学びのためにも私はまた、(ネット店舗含む)素敵なお店で散財し続けるんでしょう!