パニック症の根本原因はソレではない
先日放送された世界仰天ニュースでの、K-1王者・武尊のパニック障害の話題が取り上げられた。
>根本的な原因を解決するためある行動に出る!
だが、その行動「那須川天心との試合をしていないこと」は根本原因ではない。よって「試合をすること」は根本的解決にならない。
メディアがこの荒療治を「根本的解決」と断じてしまうと、視聴者に誤解が広がるだろう。同じ症状に苦しむ人が、彼のような行動を取れる人ばかりでもない。
「天心から逃げている」等の揶揄や誹謗中傷は、武尊氏の精神不安の原因ですらない(論拠詳細は幣サイト)。対外評価に打ち勝つ為に対峙すべきは、悪評を流す者でも天心氏でもなく「対外評価を気にする自分自身」だ。戦う相手を間違えている。
試合を敢行し「逃げているのではない」と証明しても、真因である「認知の歪み(からくる自信の無さ)」は無くならない。その証拠に、試合後2年経って(番組放送時点で)も、彼のパニック症は続いている。
他人からの評価が気になる人に必要なのは、下記のような現実認識だ。
「他者の批評は、評価者自身の投影に過ぎない。故に、真に受ける必要はない」
「強者は自他の欠陥・過ち・弱点を容赦する。弱者は容赦しない」
「《自分を悪評して欲しくない》と相手に心中で不自由を課せば、自らも不自由を課される(その結果の一つが情緒不安延いてはパニック)」
「恐怖心の原因は常に(過去の解釈を決定している)今の自分の固定観念」
これらを十分に理解すれば、どんな論評も言論・表現の自由として認められるようになり、強靭なメンタリティが身に付く。
以下、弊サイトより抜粋。
どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。
自由度多様性の高さは精神成熟の証。最大限保障し問題の早期発見等に活用が吉。民度の低い集団ほど不都合な存在を嫌悪排除。
雑言等は不遇な未熟者の自己投影・同属嫌悪。表現狩り等で自由奪えば却って暴発。必要なのは排除処罰ではなく治療教育。
差別ヘイト蔑視は共感力適応力問題解決力の低いコミュ障の内集団バイアス。目的は劣等感情緒不安の払拭。原因は低水準教育。
一部個人個性と全部集団属性を同一視する「森を見て木を見ず」やその逆は差別の一大特徴。排除の論理では問題解決しない。
世界・外界はそれを見る者の心・内界を映す鏡。世相言葉服装風紀の乱れや善悪正邪清濁美醜利害優劣はそう感じる本人の自己投影。
感情の強さは知識量増に伴い正規分布を描く。無知全知は0。最も中途半端な理解度の時、人は最も強く憤怒悲嘆恐怖苦悩感動歓喜。