差別を批判する人ほど差別している8
動画に出ているマッチョなザンビア人はご機嫌で陽気で人生を楽しんでいるようで、一言で言えば「カッコイイ」。偏見を助長するどころか寧ろ、偏見を改めるような内容だった。
だがこれに眉を顰める人々がいる。その主張の端々に黒人差別が透けて見えるのだが、彼らは自身が持つその差別心に全く気付いていない(逆に「誰も指摘しない差別を見出す私、意識高い」と思っている節がある)のだ。
>「上半身裸などアフリカのステレオタイプ的な格好をさせられること、彼らにとって『無関係なコメント』を読み上げさせられていること、さらにそれを見た日本人が笑って『消費』すること。どのポイントをとっても人権侵害と言えます」
どのポイントをとっても人権主義が仰々しいので順に反論。
「上半身裸はアフリカのステレオタイプ的な格好」と彼女自身が認識している時点で自家撞着、ブーメラン。
また「無関係(?)なコメント」を読み上げさせることは人権侵害ではない。
日本人か否かに関わらず「笑って消費すること」は人権侵害ではない。
そもそも、彼らは上半身に「させられ」読み上げ「させられて」いるようには見えない。そうとしか見えないとしたら、一種の被害(或いは加害)妄想であり、彼らの自主性・主体性に対する愚弄とも言える。
>このような映像を子どものころから観ていれば、黒人の方を『笑ってもいい存在』だと思ったり、無自覚的に自分たちより下に見たりしてしまう危険性があります。
仮にその危険性があるとすれば、その子供自身の解釈或いはその親の育て方の問題。情報受信者の問題を発信者に転嫁するのは筋違い(論拠詳細は弊サイト)。
>この動画をYouTubeで世界配信することで、国際的な人権感覚の欠如や、倫理観の低さをさらけ出す結果となっています
何の問題もない動画に差別を見出すことが国際的人権感覚でもない。寧ろ彼女自身が、その過剰反応により却って己の心の奥底にある差別心を曝け出している。
以上、引用は黒人差別問題を訴える「Japan for Black Lives」の代表・川原直実氏。
以下、引用は立命館大学国際関係学部の白戸圭一教授。
>多くの日本人が共有する「日本のほうが上で、アフリカのほうが下」という認識を踏まえ、アフリカのコミカルな部分だけを「笑いもの」として描いている(略)。現状の動画では「ステレオタイプの増幅」になっている
的外れで蒙昧主義的な批判だ。こちらも順に反論。
「多くの日本人が共有」の根拠が不明。仮に極一部の日本人だけが共有していたら、話が変わるのだろうか。変わらないのならその認識を誰が何の為に「踏まえ」るのだろう。多数論証に抗うだけの論理的思考力の乏しい人に、その差別の妥当性を賛同して貰う為だろうか。仮にとある日本人の認識が彼の言うように差別的だったとしても、それが行為に及び他人の自由を侵害しない限りはその個人の内心・思想・信条・学問・信教の自由だが、その点は「踏まえ」なくて良いのだろうか。
何が「コミカル」かは人によって異なる。相手が何人(なにじん)であるかに関わらず、人それぞれ笑える要素があれば各々が笑うのが自然。そもそも娯楽・笑いを提供するのが目的の動画に、コミカルな部分以外も描かなければならない道理はない。
仮に動画を見て偏見を深める者がいたとしても、それはその視聴者自身の「解釈の問題」。動画・情報発信者のせいにするのは論点摩り替え。
以下、弊サイトより抜粋。
自称反差別主義者や自称愛国者が差別や自虐史観を声高に非難する目的は、自身の心底に潜在する劣等感・情緒不安の解消。
差別心や自虐的国家観を自覚なく他者に自己投影して同属嫌悪する偽善者ほど、自身の平等主義や自慰史観に心酔し正義面する。