ベビーカーの利用は正々堂々と
心の余裕の無い人格障害者はどこにでもいるが、彼らは低水準教育の犠牲者だ。病気が言わせる暴言・文句を真に受けたり気に病む必要は全くない。
子は社会の宝。宝を育てる保護者にはそれなりの自由と権利が与えられる。ベビーカーはよほど混雑した場所でない限り、畳む必要はない。
車椅子・松葉杖・白杖なども同様だが、一部の共感力・想像力の欠如した傲慢な不幸者の我儘に屈せず、臆することなく堂々と利用して欲しい。そもそもそれらを不愉快に感じる者がいたとしても自業自得、自己責任である(論拠詳細は弊サイトをご参照)。
だからと言って、わざわざ睨んだり反論などしたりして徒に彼らを刺激するのは御法度だ。キャパを超えた彼らの憤懣がエスカレートする危険性があるからだ。触らぬ神に祟りなし、君子危うきに近寄らず。
かと言って何もしなければ、彼らの認知の歪みは放置され、いつどこで何をきっかけに病状が再発し大事に至るか分からない。怒鳴るだけでも脅迫罪だが、彼らに必要なのは懲罰ではない。低水準教育の犠牲者に必要なのは憎しみ(情報遮断・処罰・排除・放置)ではなく愛(情報共有・高水準教育・精神治療・救済)だ。加害者が適切十分な情報や治療・カウンセリングの機会等を受けられるよう、社会全体で情報共有し犯罪の未然防止に繋げるべきだろう。国交省公認のポスター等をもっと多く貼って啓発するのは当然だが、それを読む余裕すらない人や読んでも理解できない者もいる。
では、どうやって情緒や協調性に難のある人々に必要な情報を提供するか。
義務教育の段階で感情自己責任論を教え続けるのが最良だがその実現は現時点では難しいので、せめて必要と思われる人に感情自己責任論の存在を伝えたいが、広告チラシを配布するには「内容が思想的」と見做されて認められないだろうし、こうなったら鼻毛通知代理サービスならぬ感情自己責任論通知代行サービスでも始めるしかないのかも知れない。
本当にコスパがいいのは、義務教育の段階で~なのだが。
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