競技は全て俺TUEEEE
>やはり試合相手と握手してからでないと、礼を欠いていると見られても仕方がない。
そう感じるのは、「かくあるべし」という固定観念・自分ルールに拘っている証拠に他ならない。
元より、精神的に幼い者ほど自他の才能・技巧の優劣を付けたがる。そこへスポーツマンシップやマナーを半ば強要することで人格教育の一手段にしたのは、大人の都合だ。単に、今までの選手が「社会通念に順応し」「対外評価を気にし従って」いただけ、とも言える。
いずれにせよ、他者の人権を侵害しない限り、どんな言動も表現の自由。人々の寛容性・多様性は今後も高まり続けるので、彼以上に率直に「俺SUGEE俺TUEEE」を表明するナルシストが登場するのも時間の問題。
その時に「失礼だ」と感じるかどうかは、やはり解釈の問題なのである。
以下、弊サイトより抜粋。
感情を含むあらゆる体験の根本原因は体験者自身の固定観念自分ルール思い込み先入観。それが変わらない限り似た体験を繰り返す。
肉体的苦痛の原因は加害者でも、精神的苦痛の原因は被害者本人の固定観念。複数ある個別の因果を混同する限り苦悩は止まない。
どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。
自由度多様性の高さは精神成熟の証。最大限保障し問題の早期発見等に活用が吉。民度の低い集団ほど不都合な存在を嫌悪排除。
雑言等は不遇な未熟者の自己投影・同属嫌悪。表現狩り等で自由奪えば却って暴発。必要なのは排除処罰ではなく治療教育。
法律ルール礼儀作法マナーに関するよくある勘違いhttp://kanjo.g1.xrea.com/rule.htm#2
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